昨日、コメント欄に、佐藤年明氏から、私の大日方氏の『教育』論文批判に関するコメントに疑問、批判をされた旨の知らせがあったので、早速読ませてもらい、回答しなければならないと思い、長くなるので、コメント欄ではなく、ここに書かせていただきます。批判への回答のため、「である調」ではなく、「ですます調」にします。
佐藤氏がとりあげているのは、私がこのブログに書いた「『教育』2021年11月号を読む 教育の私事性論は、どこに弱点があったのか」についてです。
佐藤氏の批判は以下にあります。
最初に、私の文章に対して丁寧なコメント、批判を寄せていただいたことに感謝を申し上げます。
誤解もあるかも知れませんが、佐藤氏の指摘を、以下のように整理をしてみます。
1 国民の教育権論は、自爆したという表現があるから、使命を終えたのか、再建が可能、必要だと思っているか、明らかでない。
2 「どんなに熱意のない、学級通信などまったく作成する気もない教師にあたったからといって、委託してはいないから、本当に委託したい教師に自分の子どもを任せたいといっても、聞き入れられないのだし、国民の教育権論者は、そうした意識を受けとめなかったのである。」と書いているが、国民の教育権論は、「委託したのだから」などと説明していたのか。そんな国民の教育権論者はいないのではないか。
3 大日方氏の私事の組織化から公共性が実現するという論理をどう考えるか。