初めから優れた授業ができ、子どもとの関係を理想的に築き、すばらしい、楽しいクラスをつくることができる教師などはいない。失敗を繰り返し、反省し、克服していくことで、教師も成長して、自分の理想とする実践ができる教師をめざしていくのである。教師の成長を助ける大きな要因は、校長の優れた指導性にある。校長として、教師を鍛え、育てて、学校全体で優れた実践を行うレベルを達成させた代表的な人は、斉藤喜博である。斉藤喜博の著作は、教師を叱咤激励し、よい授業と悪い授業を分析し、教師としてすべきこと、してはならないこと等々を、たくさん示している。斉藤喜博の行った実践は、既に大分昔のことになったが、教育の原点は時代によって大きく変わるものではない。
研修に必要なこと
教師の多くは公務員だが、教育公務員として、一般公務員とは別の法律が存在し、そこでは教師だからこその特別規定がある。一般公務員も研修を受けるが、教育公務員は研修が特に重視されている。研修が全体として重視され、設置者は研修の機会を与えるとともに、初任者研修や十年目の研修など、特別の制度も設定されている。教師としての力を発揮できていないと認定される、現場を離れて研究を受けさせる規定まである。法は、いかにも教師の成長を助けるように配慮されているように見える。
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月別: 2019年4月
オランダの不登校問題2 対応策
オランダの不登校に対する対策を考える前に、日本の義務教育制度との相違を再度確認しておく必要がある。
オランダと日本の義務教育システムの違い
第一に、日本の法律では、国民は教育を受ける権利をもっていること、そして、保護者は保護する子弟に、普通教育を受けさせる義務を負っていることが決められている。つまり、子どもには、「教育を受ける義務」あるいは「就学義務」はない。「就学義務免除」という概念はあるが、それは保護者が「就学させる義務」を免除するということであって、事実上は、子どもの就学義務の免除であるが、法律的な意味はまったく異なる点である。しかし、オランダでは、学齢の子どもの就学義務が規定されている。したがって、義務違反は子ども当人に及ぶことがある。
第二に、日本の義務教育は、その修了や認定が極めて曖昧であり、ほとんど不登校であっても卒業証書を受け取ることができるが、オランダは落第があることからもわかるように、違法な欠席が長ければ、義務教育の修了が認定されず、後の生活に支障をきたすことになる。
第三に、日本の義務教育は6歳から15歳と短いが、オランダでは5歳から18歳未満まで、つまり、成人になるまでと長い。18歳の段階で、決められた義務教育の課程の修了認定を受けられないと、23歳まではそれを再履修して取得することを指導される。
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いじめ防止対策推進法改訂論議 教師への懲戒処分??
4月26日の毎日新聞や東京新聞に、いじめ防止対策推進法の改正を目指す超党派議員による議論で、教師への懲戒処分の項が削除されていることについて、論議になっていることが報道されている。特に遺族の立場から批判がなされているという。2月に改正論議が報道されたときにも書いたが、今回は、異なる局面になっているので、再度書くことにする。2月には、「懲戒規定は必要だが、責任をとるのは校長である」という趣旨の文章を書いた。その後の議論で、教師への懲戒そのものを削除するという方向になり、それを批判する議論があるというので、そもそも、いじめによる被害に対して、だれにどのような責任があるのかということを、整理してみたい。
率直にいって、遺族の側から、教師を懲戒処分にすべきであるという議論が出ていることに、私には強い違和感を感じる。
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オランダの不登校問題1 不登校の現状
事情があって、オランダの不登校を調べてみた。
オランダは子どもの幸福度調査で、世界一になったことがある。つまり、世界一幸福な子どもというわけだ。しかも、オランダの教育は自由なので、オランダの子どもたちはストレスもなく、みな生き生きと学校生活を愉しんでいるという思い込みが一部にある。だから、不登校などあまりないだろうし、オランダから学ぶことが多いのではないかと考えるわけである。もちろん、オランダから学ぶことはたくさんある。しかし、上記のことは、ほとんど間違いであると、私は思っている。オランダの子どもだって、ストレス多い生活を営んでいるのである。考えてほしい。オランダの子どもは12歳で、人生の重大な選択を迫られるのだ。ドイツの多くの州と同様に、オランダも中等教育の三分岐制度を維持している。ドイツは、PISAの成績が極端に悪かったので、その反省から二分岐制度に移行しつつあるが、オランダはそのままである。どの学校種にいくかは、人生を大きく左右する。もちろん、やり直しはきくが、それでも大きな選択であるには違いない。こうしたことが、ストレスにならないはずがない。しかも、その選択には、全国的に行われる試験の成績にかなり左右されるのである。
オランダは、基礎学校(幼稚園と小学校が一緒になった八年制の学校)に関して、完全な学校選択の自由がある。選んだ学校だから満足度は高い。しかし、教師との相性、友人関係など、学校にいくのが不安になって、不登校になる子どもは、少なくないのである。他方、不登校の子どもを援助する団体や人員も配置され、活発に活動している。
そこで、最初に、オランダにはどの程度の不登校がいるのかを確認し、次に、不登校対策がどのように行われているかをみてみよう。
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学校教育から何を削るか6 慣習的な作法
私は基本的に効率主義であることを、最初に断っておく。1時間かかることを、30分でできるようになれば、それはとてもよいことであると考えるし、30分でできることを1時間もかかってやるのは、大いに改善の余地があると考える。常識的な感覚だと思うが、実は、学校教育の「慣習」のなかには、非常に多くの「余計に時間をとる」ものが多いのである。授業時間は決まっているのだから、そうした慣習的時間の無駄があれば、それだけ授業の実質的内容は減少する。
私が無駄と感じている最たるものは、教師が質問し、子どもが挙手し、さされた子どもが立ち上がって答える。最近は、「いいですか」と当の子どもがみんなに問いかけ、「いいです」との答えがあると、座るという一連の行為がある。
このやり方は、時間の無駄であるだけではなく、いくつかの教育上の問題を含んでいる。
まず時間だ。単純に、指名されてから、立ち上がり、椅子を整え、回答してから、「いいですか」と聞いて、「いいです」を確認してから、また椅子をひいて座る、という一連の動作にかかる時間を、測定すると、だいたい大人で20秒程度であり、小学生なら30秒はかかるだろう。一度の授業に何人答えさせるかは、もちろん一定ではないが、多くの教師は、できるだけたくさんの子どもを指名して答えさせたいと考えているだろう。20名答えるとすると、その慣習的行為だけで10分必要となる。45分授業が、実質35分授業になってしまうのだ。教師であれば、最後あと5分あれば必要なことをできるのに、と思った経験はだれでもあるだろう。それが10分ロスなのだ。
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机を捨てた大学生
「『スポーツ実績だけで大学入学』の大きな弊害『「机を捨てた』大学生の厳しすぎる現実とは?」と題する朝比奈なを氏の文章が掲載されている。
http://toyokeizai.net/articles/-/207365
プロのスポーツ選手をめざして小さいころから努力しているが、そのスポーツ以外何もせず、大学まで進んでもその間ほとんど勉強することなく過ごす人たちのことである。
若くして横浜DeNAベイスターズ社長になった池田純氏は、新人の選手は全員3年間寮に入ることを義務づけてることにしたが、それは、選手たちが、社会生活に必要なことをほとんど知らないからだそうだ。そして、朝比奈氏は、選手の保護者や、彼らを受け入れる学校、そして行政までもが、それを容認というより、促進しているということ、そして、本人もそれに甘えて、学校に所属しながら、ほとんど勉強しないまま過ごしていると批判する。
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学校教育から何を削るか5 通知表
日本の教育の特質、あるいは問題が「受験のための教育」であることは、長らく指摘されてきた。今では、大学全入時代になっているから、かならずしも皆が、受験のために血眼になっている状態ではないのだろうが、しかし、政策的に受験的な競争を維持する意図があることは、今でも変わらない。
では、何故、受験競争的な教育が問題なのだろうか。散々指摘されてきたが、整理しておこう。
第一に、勉強の動機が、勝ち残ることに置かれることである。日本の子どもたちに、何故学校にいくのかに関して調査をすると、必ず、学校は楽しいから、という回答が大多数を占める。何故学校が楽しいのかといえば、友達がいるからなのであって、勉強が楽しいと答える子どもは、ごく少数しかいない。これは、ずっと変わらない傾向である。では、なぜ、勉強が楽しくないか。それは、勝つための勉強になっているからで、勝敗というのは、常に勝者は少数であって、敗者が多数なのだから、多数が、勉強を楽しくないと感じるのは、当たり前のことなのだ。
第二に、試験のための勉強は、与えられた課題に対して、決まった正解答を求めるための訓練となる。しかし、人間というものは、基本的に、自分で興味をもったことに取り組むのが楽しいのであって、それには、決まった正解答なども存在しないことが多い。解答といっても、多様な可能性があるほど、面白くなる。こうした学習スタイルを許容している部分も、皆無ではないが、あったとしてもごく少数だろう。好意的にみれば、ゆとり教育は、楽しい学習を保障するものだったが、残念ながら、学生たちの経験をきくと、興味のわく学習が、ゆとり教育として実施されていたという声はほとんどない。
このような欠陥を根本的に改めるために廃止すべきものは、「受験」ということになるが、それは次のテーマとして、今回は、日常的に、受験的な学習を支えている「通知表」を、廃止の対象として考えてみる。
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教育学ノート メーガン法とジェシカ法
メーガン法とジェシカ法をめぐる課題
新潟で起きた小学生の女の子を、比較的近所の若い男性が殺害した事件をきっかけに、新潟県議会が、性犯罪者にGPS装置を装着して、周囲が警戒できるようにすべきであるという要望書を採択した。同じような要望書は、以前宮城県でも提案されたことがあるそうだが、国会で議論して、法律として決定しなければならないから、現在まだその要望は実現していない。
この県議会の要望の採択をきっかけにして、私に某テレビ局の取材があり、その際、メーガン法とそれに関連するジェシカ法について調べたので、「子どもの安全をめぐる問題」として、整理しておくことにした。
性犯罪者を危険度に応じて、社会的に公表する「メーガン法」の議論は、過去日本でも何度かおきた。最初は、神戸のサカキバラ事件、奈良で小学校の女子が殺害された事件、そして、サカキバラが少年院を退院したときが、社会的に議論された。しかし、日本の警察は、メーガン法に乗り気ではなく、警察がデータを保持しておけばよいとしたので、実現させるほどには議論が盛り上がることは、これまでなかった。新潟県議会の要望書採択も、大きな話題になったとはいえない。
私は、講義でメーガン法をとりあげることがあるが、警察が採用しないという方針を示す前は、学生の多くは、メーガン法に賛成していたが、方針提示後は、だいたい半々となっている。権力による政策提示の影響力を感じてしまう。
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ポピュリズム考察 ゲッベルスと私3
『ゲッベルスと私 ナチ宣伝相秘書の独白』は、原題を忠実に訳せば『あるドイツ人の生涯 ゲッベルス秘書の話は、我々に対して、現代のために何を教えているか』となり、ゲッベルスの秘書の話から、教訓を引き出そうとする書物であることがわかる。そして、それを担当しているのが、ポムゼルの回想をまとめた上で、長い解説を書いたハンゼンである。
ナチが政権に至るまでと、政権をとっていた時代が、現在のポピュリズムをめぐる状態と似ているという前提で、ハンゼンは論じている。
彼のいう、共通点とはなにか。
第一に、敵をつくることで、国民をまとめようとしていること。ナチの敵はユダヤ人であり、現在のポピュリズムの敵は移民、イスラム教徒である。
第二に、その際に、宣伝やフェイクニュースを強力な手段として使用し、国民を欺くこと。
第三に、国民の多くが、そうした事実を知ろうともせず、事態が悪化すると考えたとしても、何らの行動もおこさない人が絶対多数であることである。
非常に説得力がある部分もあるが、また疑問をもたざるをえない面もある。
ポムゼルの告白そのものが示すのは、なんといっても第三の共通点である。前回までに紹介したように、ポムゼルの告白は、自分が、ゲッベルスというナチのナンバー2の間近にいながら、ナチの行った悪行について、ほとんど知らなかったといい、また、知ったとしても何もできなかったのは、誰もがそうだったのだ、という言い訳に終始している。もっとも、水晶の夜の事件とか、友人のエヴァが失踪したときなどに、異常を感じていたと述べているが、しかし、知らなかったとするのが、大部分である。
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学校教育から何を削るか4 いじめアンケート
まだこのブログを初めて日が浅いし、まったくの個人ブログなので、アクセスはまだまだ少ないが、「学校教育からの削除」関連は、比較的多く読まれているようだ。まだ続けていくし、中教審答申も出ているので、その批判的検討もするつもりだ。
さて、今回は、「いじめアンケート」である。
いじめアンケートは、大津でのいじめによる中学生の自殺がきっかけになって、「いじめ防止対策推進法」によって、法的に義務づけられている。自治体や学校独自のアンケートが更に行われている場合もある。いじめが原因とみられる自殺があると、必ずこのアンケートが話題になる。
いじめアンケートは、要らないのではないか、かえってマイナスなのではないかと、先日「教育学」の講義で、学生たちに問いかけてみた。実際にアンケートを書いてきた人たちだから、非常に参考になる意見がでてきたし、私もいくつか考えなおすきっかけになった。
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