鬼平犯科帳 浪人になると

 失業は今でも大きな人生上の困難である。失業保険や生活保護などがあるけれども、それでも、失業すれば生活の保障がなくなる。江戸時代は、多くの者は生まれついた職業、身分をもっており、ほとんどの者は一生変わらずそれを保持する。農民などは飢饉で苦しむことはあっても、それは一時的であるし、農業そのものが倒産したりということは、おそらくあまりなかっただろう。しかし、武士には、失業の危機は少なくなかった。自分の家だけではなく、主家が潰れてしまう。家の跡取りがいなければ、家そのものがとりつぶされるし、また、主人に不祥事があれば御家断絶となる。その場合、家来や家人は、生活の糧を失うことになる。失業である。
 武士が失業、つまり浪人になるとどうなるのだろう。鬼平犯科帳には、多数の浪人が出てくる。そして、その生きざまは実に多様である。しかし、犯科帳であるから、犯罪者を扱った小説なので、当然、悪の道に落ち込んだ浪人が、たくさんでてくる。しかし、ここでは、そうではないふたつの物語を考えてみよう。「乞食坊主(ドラマでは「托鉢無宿」)」「用心棒」のふたつである。 “鬼平犯科帳 浪人になると” の続きを読む

鬼平犯科帳 与力同心の転落

 現代でも警察官の犯罪や不祥事が起きて、ニュースとなるが、江戸時代もおそらく同じだったろう。鬼平犯科帳でも、警察官に当たる与力・同心の犯罪がいくつか題材となっている。旗本の転落については、前に書いたが、旗本は身分の高い将軍の家臣だから、自分の強欲が原因となるような話が多かった。しかし、与力同心は、御家人なので禄も低いし、裕福ではない。町奉行の与力同心となると、町民たちからの付け届けという役得があって、経済的には余裕があったという記述も多数あるが、火付盗賊改め方の与力・同心については、あまりそういうことはなかったのかも知れない。鬼平犯科帳に、そういう場面はないし、また、研究書などでもそうした記述は読んだことがない。町奉行は、単なる警察機構ではなく、一般行政や司法機関でもあったので、町民にとっては、生活の便宜のために、付け届けをするうまみがあったのだろうが、火付盗賊改め方は純然たる刑事警察だから、町人にとっても付け届けをする動機がなかったのかも知れない。だから、経済的欲得で転落する話ではない。「殺しの波紋」と「あばたの新助(ドラマでは「おとし穴」)のふたつである。原作には、「狐雨」という話があるが、ドラマにはない。これはさすがにドラマにしにくかったのかも知れない。
 最初に、「狐雨」を紹介しておく。 “鬼平犯科帳 与力同心の転落” の続きを読む

鬼平犯科帳 密告 罪を犯す子を親はどうしたらよいのか

 鬼平犯科帳には、母子の関係を描いた物語が極めて少ない。そのうちのひとつが「密告」である。子どもが犯罪者になったとき、親はどうすればいいのか、という問題を突きつけている。練馬の元事務次官が息子を殺害した事件、また、警官を刺し、銃を奪って逃げた男が、自分の息子ではないかと通報した親、このできごとは、「密告」に描かれたことと、通じるものがある。
 ある日、平蔵に、今夜盗賊が押し込むという密告があった。時間と場所が書いてある。この手の情報提供は、たくさんあり、ほとんどがからかいやガセネタなので、出動する同心たちは、疑問をもちながらだが、平蔵はどんなときにも、それが正しいものと仮定して行動する。このときも、直ぐに出動せよと言われた忠吾は、いやいやでかける。しかし、その密告は事実で、既に盗賊たちは、家に入って殺戮に及んでいたのだが、少数を除いて捕縛された。 “鬼平犯科帳 密告 罪を犯す子を親はどうしたらよいのか” の続きを読む

鬼平犯科帳 敵討ち

 江戸時代の話だから、敵討ちが何度も登場する。しかし、ルールに則った事例は、ひとつもない。実は、江戸時代の敵討ちには、厳格なルールがあるのだ。そのポイントが、『鬼平犯科帳』にも説明されている。市口瀬兵衛という71歳の老武士が、自分の息子の敵討ちをする「寒月六間堀」にこうある。

許可された敵討ちとは
 「武士の敵討ちの場合、肉親の尊属のためにすることなら正則のものとして届出が許可される。つまり父や兄の敵を討つというのならゆるされるけれども、子や弟妹、妻などの場合は変則となる。これが掟であった。
 なんといっても日本の諸国は百に近い大名や武家によって、それぞれに統治されている。殺人を犯して他国へ逃げてしまえば、自国の警察権もおよばなくなる。そこで殺された者の肉親が、死者のうらみをはらすのと共に、自国の法律の代行者として犯人を探し出し、討ち取る。これが[敵討ち]なのだ。
 それがためには、どうしても正則のものでなければならない。変則のもので、公の許可のない敵討ちは、却って法を犯すことになるのである。」 “鬼平犯科帳 敵討ち” の続きを読む

鬼平犯科帳 誤認逮捕を考える

 「小説とドラマの相違」は一回とばして、「誤認逮捕」に関連する作品を扱う。これは、現代的テーマでもある。
 原題が「鈍牛(のろうし)」で、ドラマでは「男のまごころ」。
 平蔵が留守のときに、放火犯が捕まり、捕まえたのは、普段手柄のない田中貞四郎だった。自白しているので、平蔵帰宅の2日後に火あぶりの刑が執行されることになっていた。しかし、帰宅の夜、酒井同心が密かに平蔵に、粂八がきいた噂として、自白した亀吉が放火などするはずがないし、盗んだという8両も出てこないので、まわりの町民たちがおかしいといっている、ということを伝える。そこで、平蔵は翌日、さらし者になっている亀吉と、見つめる見物人の表情をみて、亀吉の犯行に疑問をもち、次々と手をうつ。町奉行に処刑の延期を頼み、亀吉が奉公していた柏屋にいって、話を聞き、そして、亀吉を捕まえて尋問した田中貞四郎の手下の源助を呼んで、「俺に対して、亀吉が犯人だと断言できるか」と詰問すると、うなだれてしまうので、源助を役宅の牢にいれる。そして、亀吉がいれられている牢に出向き、平蔵が、当日のことを聞くと、柏屋も罰せられるというと、自分はやっていないこと、当日は、柏屋の女主人の病気回復の祈願をして神社にいっていたこと、犯人をみたことを白状する。誰であるかは言わないので、翌日から平蔵と酒井が、晒されている亀吉の見張り役を務め、数日後、亀吉がじっと見つめていた人物安兵衛を逮捕すると、自白した。 “鬼平犯科帳 誤認逮捕を考える” の続きを読む

鬼平犯科帳 事実と小説とドラマ2

 世界的に有名な文学作品の映画化は、失望することが多い。作者は当然、小説とか演劇と形で構想するから、それにふさわしい内容と形式をもたせる。また、小説は、いくら長くても、内容が惹きつけるものであれば、読者はそれだけ満足する。しかし、映画にすれば時間的な制約があるし、またテレビドラマの場合には、制作費や、時間的推移(連続ドラマならば、空きの日数がある)などの制約が起きる。もちろん、映像は、文字よりもリアリティがあるから、原作にはない効果を出すこともできるのだが。そこで、原作とは異なる展開になったりもするわけだろう。
 鬼平シリーズはどうだろうか。原作の小説は、月刊誌の一回読み切りで、一回ごとに結末がある。(晩年の作品は、連続ものがいくつかあるが)ドラマ制作者の声では、原作を45分のドラマにするためには、鬼平シリーズは多少話題が少ないそうだ。その場合、原作にはない挿話が必要となる。最も単純には、何か食べているときに、会話を多くするとか、犯罪ものなので多い「追跡」の場面、いろいろなショットをいれるとか。しかし、比較的短い話の場合、ドラマとしての展開が単調になるために、原作とは異なる内容を挿入することが、鬼平シリーズではたくさんある。そして、その多くは、ドラマとしての魅力を高めている。 “鬼平犯科帳 事実と小説とドラマ2” の続きを読む

鬼平犯科帳 事実と小説とドラマ1

 森鴎外に「歴史其儘と歴史離れ」という短い随筆があり、歴史小説を書く際の事実をどのように扱うかを、自作について説明している。鴎外は、基本的に事実を自然に書くようにしていたそうだが、「山椒太夫」では、事実と伝えられる(といっても事実かどうかは分からないのだが)内容の不自然な部分を訂正して、変更をしたが、それは自然さを意識したものだという。実際の鴎外の小説が、かならずしも事実と合致しているわけではないことは、「阿部一族」などがあげられるが、鴎外の姿勢は「自然」の重視であると確認できるだろう。
 鬼平犯科帳に描かれた長谷川平蔵は、実在の人物であって、実際の功績も記録にある程度残されており、研究書から小説まで、様々なジャンルで扱われている。小説仕立てではあっても、長谷川平蔵の筆によると思われる『御仕置例類集』を素材にした『長谷川平蔵仕置帳』(今川徳三)のような書物もある。残念ながら、長谷川平蔵自身の「著作」は存在しないようで、当時の記録としては、『御仕置例類集』として残されている長谷川平蔵の扱った事件の裁きの記録が、彼の仕事を知る上で最もよい材料のようだ。当時の老中松平定信が書いた書物や、定信が調査させた記録(『よしの冊子』)他若干の記録等があるが、いずれも適切な人間長谷川平蔵を表したものではないようだ。歴史に埋もれていた人物である長谷川平蔵を世に知らしめたのは、池波正太郎で、池波は最大限歴史的事実を尊重したが、事実と明らかに異なる面もたくさんある。それが、資料の読み違い、あるいは資料を入手できなかったためとされる例もあるが、知らないはずがないのに、事実と異なる面もあり、それは池波による「歴史離れ」と考えざるをえない。
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鬼平シリーズ4 旗本の転落2

 旗本の転落の後半だが、前回の女問題ではなく、今回御家相続に関わる犯罪である。武士は、「家」が最大の課題であり、家の継続が至上命題になる。武士にとっての家は、単なる家族の集合体ではなく、経済単位であり、「家」そのものが生活の糧だった。家が存続している限り、生活は保障されていたわけである。家族が収入源の仕事をもつことによって、家族の生活が成り立つ現代とは、根本的に異なる。だから、家が大きな領主で、家臣がたくさんいれば、「家」が処罰されて取り潰されたり、あるいは、相続者がいなくて断絶したりすると、領主の家族だけではなく、家臣の家族全体の生活の糧が失われることになる。現代でいえば、会社の倒産にあたる。当然、誰が跡目を継ぐかという争いが生じる。自分の子どもや跡目にしようと企む者もいる一方、邪魔者を除こうとする者もいる。男子がいなければ家を存続させることはできないから、妾をもつことが当然とされ、その一族の争いも生じる。江戸時代を通じて、相続者がいないためにつぶされた大名だけでも、59家あったそうだ。旗本や陪審を含めれば相当な数になるだろう。
 鬼平犯科帳は、犯罪の主体が町人であるから、大名は対象になっていないが、希に、旗本の犯罪が扱われる。跡目相続に関係する話はふたつある。まず「毒」である。
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鬼平シリーズ3 旗本の転落1

 鬼平犯科帳には、江戸時代の支配層の代表である「旗本」が犯罪をして転落する物語が、いくつかある。代表的なものは、「密通」「毒」「春雪」「鬼火」の4つだ。「鬼火」だけは長編で、単独で一冊になっている。そして、犯罪もまったく異なる。「密通」は、平蔵の妻久栄の伯父が、家臣の若い妻を、地位を利用して月に1度密通する話。「毒」は、明確には示されないが地位の高い旗本が、おそらく将軍の子どもの暗殺を図るために、毒を入手する話。「春雪」は、自分の放蕩でつくった借金のために、裕福な商家の娘だった妻の実家を襲わせようとする話。「鬼火」は、他家に養子となった自分の子をその家の跡継ぎにするために、既に継いでいた兄を盗賊の女を近づけて追い出す話。どれも、本来大切にしなければならない人を、自分の欲望のために、亡き者にしたり、排除するという、陰惨な話である。
 今回は、「密通」と「春雪」を扱う。
 しかし、残念ながら、「密通」は、ドラマになっていない。中村吉右衛門主演のテレビドラマは、原作をすべて消化してしまったという理由で、シリーズものは打ち切りになり、そのあとは、年一度のスペシャルで同じ話のリメイクを作っていたということらしいが、どういうわけか、「密通」はドラマ化されていない。話としては骨格が単純で、しかも、主要ゲストが、この話にしか登場しないので、他との連携もうまくいかないと判断されたのだろうか。しかし、最後に「封建的武士道」に逆らって、家臣が主人に切りつける場面があるし、また、そもそもの発端が、主人の横暴に逆らう下人の行動だから、興味深い物語だと思う。
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鬼平犯科帳2 長谷川平蔵の失策

 鬼平は、理想の上司などといわれることがある。確かに、部下や密偵たちへの、非常に細やかな心遣いや、的確な指示・命令など、学びたくなるところが無数に出てくる。だからこそ、「お頭のためなら、いつ死んでもいい」という献身的に、命懸けの仕事に部下や密偵たちが、日夜励んでいる。しかし、部下の不祥事の話もいくつかあるし、逃げてしまう密偵も出てくる。そして、平蔵自身の失策もある。しかも、今回取り上げるのは、そのミスのために、密偵と密偵候補者を死なせてしまう話である。その失策は、作者池波正太郎が、頻繁に平蔵の優れた資質として、人を見ただけでどんな人物か察知してしまう能力や、慎重で緻密な対策という設定に反している。こうした時折みせる平蔵の人間的弱さも、鬼平の魅力であるかもしれない。しかし、「学びたくなる」物語であるなら、教訓を引き出すことも重要だろう。
 「殿さま栄五郎」と「妙義の団衛門」のふたつを取り上げるが、原作では、馬蕗の利平治という密偵が関わっている。従って、物語として連続性があるのだが、ともに、前者では、古参の密偵の粂八、後者では、新参の密偵の高萩の捨五郎に変更されている。

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