カテゴリー: スポーツ
直近のドジャースとパドレスの試合での、報復死球の連発はあまりに酷いものがあると感じている人が多いに違いない。アメリカの解説者のなかでは、報復死球は伝統的なもので、とくに問題がないなどと語っている人もいるが、大谷は2回も被害にあっており、映像をみるかぎり、ほぼ間違いなく故意にあてている。とくに一度目の死球などは、最初に膝あたりをねらったのだが、大谷がうまくよけたので、次の投球では、よけることを計算にいれた腰あたりを狙ってなげている。だから、バッターボックスの端あたりになげられていて、逆にいえば、大谷がまったく逃げなければ、お尻のあたりを外れた可能性すらある。しかし、近くにくる投球には、反射的に後に下がってよけるから、よけてくるあたりになげたわけだ。試合後の記者会見で、投手が、「故意か」と聞かれて、「みればわかるだろう」と、事実上故意であることを認める回答をしたとされる。
長嶋が亡くなった
長嶋茂雄が亡くなったという。読売は号外までだしていた。いつ亡くなっても不思議ではないような健康状態だったから、ついにきたかという感じだが、やはり、時代をつくった人物だ。
私は、これでも小学生のころは野球少年で、中学の部活などには入らなかったが、草野球として大学院時代まで野球はやっていた。駒沢の近くに住んでいたので、駒沢球場があったころは、けっこう頻繁にいったが、やはり、後楽園で巨人戦をみることが、楽しみだった。長嶋が新人として入団して、金田に4三振をくらった試合は、ずっとテレビでみていたし、天覧時代などもやはりテレビでみていた。後楽園球場では、金田や長嶋、王が全盛時代によく見に行ったものだ。
オリンピックのボクシングの性別問題を考える
パリオリンピックが開催中であり、さまざまな議論がなされているが、大きなひとつが、女子ボクンシグにおけるふたりのトランス・ジェンダー選手の問題であろう。世界選手権では、男性だと判断されて出場を認められなかった二人の選手が、パリオリンピックでは、パスポートに記された男女別によって認めるという形で、出場が認められ、イタリア選手が、かつて経験したことのない強力なパンチを受けたとして、途中棄権する事態になった。
大谷最大のピンチ?
韓国におけるドジャースの開幕戦の最中に、とんでもないニュースが流れ、多くのニュース番組がこの問題に覆われた感じすらあった。ニュースで詳しく報じられているので、内容には触れないが、最大の問題は、水原氏の説明の逆転の真実と、それによって、大谷自身が水原氏を援助したのかということに尽きるだろう。とくに、大谷が罪に問われるのか、大リーグにおいてなんらかのペナルティを課されるのかということである。 “大谷最大のピンチ?” の続きを読む
ボクシングはスポーツか?
昨年の12月26日に行われた日本バンタム級王座に挑戦したプロボクサーの穴口選手が、試合後倒れ、病院で手術を受けたが、意識が戻らず2月2日に死亡したというニュースが、大きな話題を呼んでいる。死因は右硬膜下血腫ということだ。
様々な論議を呼んでいるが、そのなかで、「だからボクシングはスポーツではない、という議論はおかしい」というような意見が多数あった。こういう事故がおきることとは関係なく、私は、ずっと以前から、ボクシングをスポーツとして扱うことに反対してきた。それは、ボクシングという競技がスポーツとしての基本的性格から逸脱していると考えるからである。もちろん、ボクシングという競技そのものを廃止すべきであると主張する気持ちはない。やること、みることが好きな人がたくさんいるのだから、危険な競技であることを承知でやることまで反対する理由はない。しかし、スポーツであると位置付けられ、オリンピックはもちろん、学校の部活になっている場合もあるのだから、本当にスポーツとしての意味があるのかどうかは、きちんと議論される必要がある。 “ボクシングはスポーツか?” の続きを読む
大谷の怪我は誰の責任
大谷が肘の靱帯損傷で今期の投手としての出場が不可能になった。打者としては活躍しているので、よかったという雰囲気だが、本当に打者として出場しつづけることがよいのか、疑問も提起されている。
大谷の身体が、あまりの酷使故の疲労が蓄積していて、危険な状態にあるのではないかとは、7月以来いわれてきた。とくに、投手として出場しているときに、途中降板することがたびたびあり、休ませるべきであるという声が強かったのは事実である。しかし、どういう契約になっているのかわからないが、報道をみる限り、大谷自身の強い希望で、試合に出続けていたようだ。そして、大谷に検査を勧めたのだが、マネージャーと大谷本人が拒否したのだ、といういいわけが経営サイドから公表され、顰蹙をかっている。ただ、経営側としては、自分で試合にでたいといい、検査を拒否したのだから、大谷の自己責任である、というのは、ごく当たり前のことではないかという感覚なのかも知れない。しかし、経営側は、選手が最高の状態でプレイできるように配慮するのが、役目のはずだから、そういう言い逃れは、やはり見苦しいし、自分たちの首を絞める行為でもある。そして、反感をかうことだけは確かだ。
中学部活の地域移行 関わりたくない教職員76%
毎日新聞に、山口市のアンケートで、中学の部活の地域移行に関するアンケートの結果が紹介されている。「中学部活の地域移行 「関わりたくない」教職員76% 山口市アンケ」という記事だ。
結果は次のような数字だった。
・有償・無償にかかわらず専門種目が指導できるならかかわりたい 3.9%
・報酬が支払われ専門種目が指導できるならかかわりたい 10.9%
・報酬が支払われるならば専門種目が指導できなくても関わりたい 2.1%
・報酬が支払われても関わりたくない 76.2%
他方地域クラブ活動がよいことだと思うと回答したのは小学生65.2%、中学生58.0%。そして、はいることについては、積極的な回答がほとんどだった。
大学スポーツ国際大会へのソマリア代表参加 アスリートへの侮辱か
少し前から、大学スポーツ国際大会の女子100メートルで、ソマリア代表が、断トツの遅さでゴールインしたことが、話題になっていた。それが、今日、サンデーモーニングで、中畑清が、アスリートを侮辱している、大喝だ、と気焰をあげていたのだ。早速記事にもなっている。「中畑清さんが大喝!大学スポーツ国際大会の陸上“素人出場問題”に「アスリートへの侮辱…許せない」」
私自身、このレースの映像を何度もみたが、途中で、あまりに遅いので、画面から消えてしまい、一人だけゴールした場面が、あとに出てくるというものだ。けっこう肥満体で、とても陸上選手とは思えないことは、この映像でわかる。そして、当初から「素人」なのに出た、と書かれているので、おかしなこと書くなあとは思っていた。大学生たちの大会なのだから、みなプロではないはずで、そういう意味ではみな素人ではないか、と。
水泳界で、再びトラブルか
2大会連続のオリンピック代表選手だった五十嵐千尋という選手が、ツイッターで、水泳連盟を批判したということで、話題になっている。「「日本は世界から出遅れている」五十嵐千尋が日本水泳連盟を糾弾!声を上げられない現実に訴え「もっと選手の意見に耳を傾けるべき」」という記事だ。
これで、すぐに思い出すのは、千葉すず選手の訴えだ。自由形の選手だった千葉すず氏が、表にでている規準によれば、当然代表選手に選ばれるはずであるのに、選ばれなかったことを不服として、仲裁委員会に提訴したのだったと記憶している。これには賛否両論あり、千葉を非難する人も少なくなかったし、正しいことをいっていると応援する人もまた多かった。私自身は、応援派だった。スポーツの世界で、幹部やコーチを批判することは、かなり難しいのだろう。私自身は、スポーツ、とくに野球が好きで、若いころはずっとやっていたが、あくまで草野球の世界で、部活にはいったことはないので、詳しいことはわからないが、ただ、部活などのとんでもない非常識な階層社会的なことが嫌で、部活にははいらなかったわけだ。たとえば、当時中学の野球部では、1年生はボールを握ることもできず、ただ先輩たちの練習を遠くからみていて、声をだすだけということだった。本格的に野球ができるようになるのは、2年生になったからだというのだ。そんな世界に入りたくなかったので、そのまま草野球を続けた。
それは、部活のスポーツは、他の種目でも似たようなものだった。それだけ不合理なことが横行している世界だから、上を批判するなどということは、とんでもないことだったに違いない。そういう意味では、千葉すず氏の訴えは、非常に勇気があるものだったし、そして、事実その後の水泳連盟の運営が変わり、それによって、不振だった日本の水泳界に活気が戻り、世界大会でメダルがとれるようになったのである。
部活の地域移管問題 2
前回は、スポーツや文化は多様になっているので、多様な要求に学校の部活という形態は対応できないものになっていて、弊害が多くなってきたことをのべた。その解決としては、地域に多様なクラブを設立して、自分の求める形態の活動をしているクラブを選択して参加するようにすればよい、という主張であった。
今回は、もうひとつの部活の問題である、教師の無償労働の問題を考える。
部活は学校の内部的な活動として行われるが、正規の学校教育の一環ではないので、その指導にかかわる教師は、どんなに長時間指導しても、その対価が支払われることは、つい最近までなかった。近年では、ごくごくわずかな手当がだされるようになっているようだが、到底、指導にかかる労働に見合うものではない。そして、問題は、無償労働であるにもかかわらず、何か事故があったときには、責任を問われるのである。もちろん、民事的な損害賠償責任を負うのは、国家だから、そうした責任を教師個人が負うことはないが、不注意による行政処分などは十分にありうる。不十分ながらの手当がだされるようになった経緯は、詳細には知らないが、教師の過重労働が社会問題化し、その大きな要因が部活指導になることが、大きく問題になったから、せめて手当を出すということになったのだろう。残念ながら、サービスをうける側からの提起はあまりなかったようである。