佐々木朗希登板回避は正しかったか?

(一昨日投稿の原稿でしたが、未投稿のままだったものです。)
 丁度一年前、高校野球最大の話題だった佐々木朗希投手が、県大会の決勝戦での登板を回避するという「事件」が起きて、野球に関心のある人たちのなかで、賛否両論侃々諤々の議論が起きた。その一年後ということで、國保監督へのインタビュー記事が掲載された。(https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb/佐々木朗希-衝撃の登板回避-大船渡-國保監督が真相初告白/ar-BB16X1Vt?ocid=spartandhp)私は常々高校野球の反教育性について疑問をもっていたので、ブログでも何度か関連記事を書いた。真夏の暑い時期に、連日の試合をやることは、高校生にとってあまりに過酷であり、身体を壊す危険が非常に高く、何らかの対策をとるべきであることは、かなり広く主張されていた。しかし、高野連はまったく動かなかったわけである。野球の歴史を見れば、甲子園で大活躍した投手が、プロに入って潰れてしまう例はいくらでもある。明らかに投げすぎだろう。 “佐々木朗希登板回避は正しかったか?” の続きを読む

野村ノート(再論)

 昨日、野村ノートの出版を望むと書いた。野村の書いた本を何冊か読んだが、念のためアマゾンをチェックしていたら、『野村ノート』という本が出版されていることがわかり、野村が日頃つけていたノートだというので、早速購入して読んでみた。しかし、予想通り、それは私のいう野村ノートではなかった。確かに、野村ノートを元にしているのだろうが、これはあくまでも、野村が書いた著作だ。私が考えているのは、野村のつけていたノートをそのままコピーするなり、写真製版したものだ。もちろん、だれかの解説が付されているほうがよいが、そのままでもよい。そんなものより、本人が書いた、整理された内容があればいいではないか、と思う人も多いかと思うが、やはり、取捨選択してかみ砕いたものは、たとえそれが本人が書いたものであっても、別物であり、オリジナルの書きつけたものには、それだけの価値がある。
 音楽の世界で考えてみると、その違いがよくわかる。
 たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は何種類も出版されているが、実はみんな同じではない。音符そのものはほとんど違いはないとしても、強弱に関する記号、指使い、スラー、ペダルなどは、けっこう違いがあるのだ。 “野村ノート(再論)” の続きを読む

野村元監督の死 野村ノートの出版を願う

 子どものころは、東京育ちだから普通に巨人ファンであったので、パリーグの試合を見ることは、駒沢球場がなくなってからはほとんどなかった。オリンピック会場が建設される以前は、駒沢には東映フライヤーズの本拠地の駒沢球場があり、そこはよく見に行った。小学校時代、友達とだ。思い出に残っているのは、山本八郎という捕手がいて、直ぐに暴力を振るって退場させられることが多かったのだが、その現場を2度くらい見た。また、近くにある合宿所で、新人のときの張本にサインをもらったこともあった。当時、新人の張本をよく知らなくて、ただうろうろしていただけなのだが、張本がこっちこいといって、自発的にサインをしてくれたのだ。小学生なので、ありがたみもわからずに、そのサインはすぐにどこかにいってしまったのだが。
 そんななか、野村が出る試合を一試合だけ見たことがある。後楽園で巨人とのオープン戦で、どういう事情でチケットを手にいれたのか、まったく憶えていないが、ネット裏の特等席で、野村を間近に見たことははっきり憶えている。もちろん、まだばりばりの現役キャッチャーだった。長島や王が目当てだったが、ネット裏だったから、野村のほうが印象に残った。 “野村元監督の死 野村ノートの出版を願う” の続きを読む

相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか

 前回(12月23日)の国際社会論で、文化の国際化を扱う材料として、音楽の国際化を考えた。昨年初めて行った講義で、3月のこのブログに、文章化したものを掲載してある。その際、様々な領域の文化、スポーツなどで、国際化が進んでいるものとそうでないものがある。何故そうなのか、自分の好きな領域で考えてみようという課題を与えた。
 日本発祥のスポーツとして、柔道は国際化が著しいが、相撲は極めて限定的である。柔道は、世界中で活発に行われているが、相撲は、日本でしか行われていな。海外巡業がごく稀に行われたり、あるいは相撲をしたいという外国人が日本にきて力士になることはある。しかし、相撲が海外でも日常的に行われることは、今のところ全くないし、また今後も考えにくい。それは何故なのか、いろいろな理由があるだろうが、そのことも考えさせる文章が、JBpressの12月25日号に掲載されている。「横綱白鵬を開き直らせた的外れ批判の罪」という臼北信行氏の文章である。要旨は比較的単純で、白鵬が、立ち会いのかちあげや張り手を、横綱審議委員会を筆頭として、いろいろな方面から、「横綱の取り組みとして品格がない」とか「横綱はやるべきでない」と散々批判されていることについて、白鵬の、禁じ手ではないのだから、改めるつもりがないという姿勢を支持している文章である。むしろ、相手が、白鵬がそうした技をやってきたら、それに対する有効な反撃の技を繰り出せばいいことであるのに、それをしないほうがおかしいというわけである。 “相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか” の続きを読む

松坂が今でもレッドソックスに嫌われているという記事

 12月12日のJBpressに「西部復帰の松坂大輔が今もRソックスに嫌われる理由」という文章が載っている。ここに書かれている内容については、私は多くを知らなかったが、日本のメディアの松坂に対する甘い評価については、日頃から疑問に感じている。
 まず記事の内容を紹介しよう。執筆は、臼北信行氏である。
 古巣の西部に復帰して、松坂は覚悟を決めているのだろうと書いたあと、日本復帰後は一年を除き、散々の成績だったことを確認する。そして、大リーグでは活躍したと、多くの日本人が思っているが、実はレッドソックスでは、ヒンシュクをかっていたし、成績も期待されていたほどではなかったと書く。一見いい成績だったシーズンもあるが、統計的評価では、運と味方の援護に大きく助けられたとして、四球が多く、味方もいらいらしていた。2シーズンのあとは、けがや手術で10勝をあげられたシーズンがなく、松坂の獲得は失敗だったと評価されているのだそうだ。
 そして、何よりも、評価を落としたのは、日本人スタッフが付きっ切りで、同僚たちとあまり交流もせず、同僚が近づくこともできなかったらしい。 “松坂が今でもレッドソックスに嫌われているという記事” の続きを読む