八ヶ岳セカンドスクールを終えて

先日4泊5日の林間学校(セカンドスクール)に補助員として参加してきた。実際には台風の影響で3泊4日になってしまったが、子どもたちとともに過ごす4日間はとても充実したものだった。子どもと接することができる機会は沢山あるが、朝から晩まで、それも約4日間一緒にいられる機会はなかなかない。昨年も参加させてもらったが、今年はできるだけ「教師として」参加しようと決めていた。補助員はどうしても「遊んでくれるお兄さん」として子どもたちから見られがちだ。先生とは違う大人だし、補助員自身も先生とは違うという意識を持ってしまう。昨年参加させてもらったときは、私もそう思っていた。「先生」と呼ばれなくても何も言わなかったし、友達のように接していたため、あまり注意をすることはなかった。今回はあだ名を付けようとする子に対しても、必ず「先生」と付けさせた。それだけで何かが変わるかはわからないが、自分の覚悟を確かめることができたのは確かだ。先生として子どもと接しつつ、信頼関係を築きながら時にしっかりと叱るのは難しかった。短期間のため一度叱るとまた心を開くのに時間がかかった。しかし先生方は日々これを繰り返して子どもたちを指導しているのだと体感できて、将来の予行演習になった。

当然ゼミの研究のことも考えながら日々を過ごした。子どもたちを観察しながら、多動傾向などの特徴を持つ子どもを注意深く観察した。先生方と話したときに、ADHDの子は実際にいるし、疑わしい子もいるという話を聞いた。もちろん誰がとは聞かなかったが、自分なりに目星をつけて接した。去年とは違い多動傾向の強い子ども少なかったが、不注意傾向の強い子どもが多かったように思える。落し物や紛失物が後を絶たず、驚くほどたくさんの落し物が集められた。もちろん落し物をした子全員が障害を抱えているわけではない。ふとした拍子になくしてしまったり、なくす回数が少なかったりした子は特に問題がなさそうだった。しかしかなりの頻度で落し物をする子がいた。多動傾向はないが、片付けがすごく苦手で、部屋にいても何かを無くすことが多かった。みんなが荷物の整理をしているときに、その場にいることができても一向に片付けが進まない。服をたためなかったり袋が縛れなかったりするだけであれば、ただのスキル不足ということで指導ができるが、彼はそのレベルではなかった。しまっては出し、しまっては出し、挙句目についたトランプをいじりだす。その子の荷物の周りだけいつも異様に散らかっていた。一緒に片付けをしながら観察していると、一つ一つしまっていくのではなく、次から次へと、「あれもしまわなきゃこれもしまわなきゃ」となっているのがわかった。私は周りに散乱しているものを一度集めさせて、まずは着たシャツ、次にズボン、靴下、寝間着、遊び道具のように順番をその都度指示しながら片づけさせた。すると、丁寧に畳んだりまだ使うものを考えないで入れたりしたものの、荷物をまとめ上げることができた。家庭でも片付けの習慣があるのかどうかが気になるところだが、私は自分でやっていないと思う。彼は片付けのノウハウが身についていなかった。普通であれば教えなくても自然と身に付けていくのかもしれないが、特に苦手な子であれば一から段取りを教えてあげる必要がある。片付けは色々な場面で必要になるスキルだし、整頓された場所で生活するのと散らかった場所で生活するのとでは精神的な違いが出てくる。

去年とは違うタイプの問題を抱える子どもたちに出会えたことで新たに学ぶことが沢山あった。しかしこの点も考えるべきことがある。子どもたちは常に同じではない。違う学年や違う学校の子どもたちを指導するときには、また新たな問題を抱えた子どもや集団に出会うはずだ。過去から学ぶことはもちろんある。しかし過去と同じことは必ず通用するわけではない。常に新しい指導法を模索しながら進む貪欲さが必要だと感じたセカンドスクールだった。

先日4泊5日の林間学校(セカンドスクール)に補助員として参加してきた。実際には台風の影響で3泊4日になってしまったが、子どもたちとともに過ごす4日間はとても充実したものだった。子どもと接することができる機会は沢山あるが、朝から晩まで、それも約4日間一緒にいられる機会はなかなかない。昨年も参加させてもらったが、今年はできるだけ「教師として」参加しようと決めていた。補助員はどうしても「遊んでくれるお兄さん」として子どもたちから見られがちだ。先生とは違う大人だし、補助員自身も先生とは違うという意識を持ってしまう。昨年参加させてもらったときは、私もそう思っていた。「先生」と呼ばれなくても何も言わなかったし、友達のように接していたため、あまり注意をすることはなかった。今回はあだ名を付けようとする子に対しても、必ず「先生」と付けさせた。それだけで何かが変わるかはわからないが、自分の覚悟を確かめることができたのは確かだ。先生として子どもと接しつつ、信頼関係を築きながら時にしっかりと叱るのは難しかった。短期間のため一度叱るとまた心を開くのに時間がかかった。しかし先生方は日々これを繰り返して子どもたちを指導しているのだと体感できて、将来の予行演習になった。

当然ゼミの研究のことも考えながら日々を過ごした。子どもたちを観察しながら、多動傾向などの特徴を持つ子どもを注意深く観察した。先生方と話したときに、ADHDの子は実際にいるし、疑わしい子もいるという話を聞いた。もちろん誰がとは聞かなかったが、自分なりに目星をつけて接した。去年とは違い多動傾向の強い子ども少なかったが、不注意傾向の強い子どもが多かったように思える。落し物や紛失物が後を絶たず、驚くほどたくさんの落し物が集められた。もちろん落し物をした子全員が障害を抱えているわけではない。ふとした拍子になくしてしまったり、なくす回数が少なかったりした子は特に問題がなさそうだった。しかしかなりの頻度で落し物をする子がいた。多動傾向はないが、片付けがすごく苦手で、部屋にいても何かを無くすことが多かった。みんなが荷物の整理をしているときに、その場にいることができても一向に片付けが進まない。服をたためなかったり袋が縛れなかったりするだけであれば、ただのスキル不足ということで指導ができるが、彼はそのレベルではなかった。しまっては出し、しまっては出し、挙句目についたトランプをいじりだす。その子の荷物の周りだけいつも異様に散らかっていた。一緒に片付けをしながら観察していると、一つ一つしまっていくのではなく、次から次へと、「あれもしまわなきゃこれもしまわなきゃ」となっているのがわかった。私は周りに散乱しているものを一度集めさせて、まずは着たシャツ、次にズボン、靴下、寝間着、遊び道具のように順番をその都度指示しながら片づけさせた。すると、丁寧に畳んだりまだ使うものを考えないで入れたりしたものの、荷物をまとめ上げることができた。家庭でも片付けの習慣があるのかどうかが気になるところだが、私は自分でやっていないと思う。彼は片付けのノウハウが身についていなかった。普通であれば教えなくても自然と身に付けていくのかもしれないが、特に苦手な子であれば一から段取りを教えてあげる必要がある。片付けは色々な場面で必要になるスキルだし、整頓された場所で生活するのと散らかった場所で生活するのとでは精神的な違いが出てくる。

去年とは違うタイプの問題を抱える子どもたちに出会えたことで新たに学ぶことが沢山あった。しかしこの点も考えるべきことがある。子どもたちは常に同じではない。違う学年や違う学校の子どもたちを指導するときには、また新たな問題を抱えた子どもや集団に出会うはずだ。過去から学ぶことはもちろんある。しかし過去と同じことは必ず通用するわけではない。常に新しい指導法を模索しながら進む貪欲さが必要だと感じたセカンドスクールだった。

子どもの貧困 インタビュー

先日、私は埼玉県の社会福祉課にインタビューに行った。本当は生活保護を受けている子ども達を支援する団体に直接インタビューに行きたかったのだが、その団体を設立させた埼玉県の社会福祉課にならインタビューすることを許可して頂いたので、埼玉の社会福祉課に行くことになったのだ。今回はインタビューに言って知ることができた、その団体の概要など大まかな部分の報告をしていきたい。ここでは、その団体のことをAとする。

Aとは埼玉県にある教育・就労・住宅の3つの分野から、生活保護を利用している人を支援する民間団体だ。中でも私は子どもの貧困というテーマで調べているため、今回は教育支援のことについてのインタビューを行った。

Aは生活保護受給家庭の子どもだけを対象に、高校進学を目標に主に中学生に勉強を教えている。なぜ高校進学が目標かというと、やはり、高校を卒業しないと就職ができないからだ。生活保護を受けている子どもは、受けていな子どもより高校進学率が低い。つまりこの自伝で「貧困の連鎖」が発生しているのだ。高校へ行けない、きちんと給料のもらえる仕事に就けない、生活保護を貰わざる負えない、と保護世帯で育った子どもは大人になって再び保護を受けているのだ。

AはH21に始まった。それまで保護世帯の高校進学率は86.9%であったが、H22 には97.5%と、たった1年で保護世帯でない子ども達とほぼ同じレベルまでもっていくことに成功した。「事業を始めた当初、子ども達が本当にきてくれるか不安だった。しかし実際ふたを開けてみると、みんな待っていた。勉強したがっていた。保護世帯の子どもは様々な要因により勉強苦手な子どもが多い。今まで『勉強が出来ない』と親や先生からレッテルと張られている。そもそも『勉強ができない』なのではなく『勉強が嫌い』なんだ、と思われている。しかし実はそうではないのだ。やっぱり本人は勉強したかったのだけど言いだせなかった、ただそれだけだったのだ。」

 

Aは埼玉県に24か所存在する。利用数は500人ほど。対象は主に中学生で、小学生は対象外である。対象の子どもは、生活保護受給者の子どものみなので、正確な位置は秘密だそうだ。子ども達にもそれはきつく言ってあり、子ども達は「塾に行く」といったように、Aのことは口にださないようにしている。場所は特別養護老人ホームを借りて行っている。「なぜ特別養護老人ホームなのかというと、ここではスタッフが働いている姿がみられる。ここに来る子どもたちの親は働いていない人もいる。そうすると、働いている姿がみられるため将来の働く姿を想像することができる。また、お年寄りの行事(例えばクリスマスパーティー、夏祭りなど)も一緒に参加したりして、年寄りの人とも関わることができる」

指導者は支援員という元教員の人であるが、人が足らないため、大学生のボランティアがいて、支援員よりも大学生ボランティアの方が多い。指導者が多いのは、子どもたちに学力の差があり、マンツーマン指導が必要とされているからである。

 

以上、大まかなAの情報である。今回インタビューにいって、貧困についてより関心をもつことができた。他にも聞いてきたことや本や書類も頂いたので、夏休みを利用して自分なりにしっかりまとめたい。

ネット上で調べるスクールカースト

今までは本を読んで調べることが多かったので今回はネットでスクールカーストについて調べた。まずは階層が上になるために最も重要な要素についての男女別のデータを見つけた。

http://journal.shingakunet.com/trend/3698/

このデータがどのようにして集められたものかはわからず信頼できるデータかがわからないが、どうやら男子と女子では違いがあるようである。

また、スクールカーストは日本特有の現象だと思っていたが、調べてみるとアメリカにもスクールカーストは存在するようである。さらに階層ごとに名前もついていた。

調べてみると、アメリカのスクールカーストにはそれぞれの立場に名前が存在し、役割が違っているようである。

最後にスクールカースト診断というものも見つけたので載せておく。これは25個の質問に答えると自分がどこの階層に位置しているのかがわかる。(http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/caste.cgi

スクールカースト診断はネット上にいくつも存在しているようで誰がどのように作ったのかは調べたがわからなかった。

今回はネットを使って簡単にだがスクールカーストについて調べてみたが、最近研究されはじめた現象であるはずなのにたくさんのページがあった。また本を読んでいるだけではわからないようなネット利用者の生の意見が書かれていた。それだけ今の学校に通っている人たちにとって身近な問題であるのだと改めて感じることができた。

ADHDは障害か

ADHDは障害なのだろうか。日本では注意欠陥多動性「障害」と訳され、障害者としてみなされている。不注意、多動性、衝動性の3つの観点から、周囲との関係において不適応がみられる場合診断が下されるこの障害を抱える人は、確かに他の人とは違う特質を持っている。集中力がない、人の話を遮る、物事をやり遂げられないなど、マイナス面を強調されることが多いこの障害について、私も以前は障害の一つとして認識していた。しかし、ある本を読んでからADHDは「障害」ではなく「才能」であると気付かされた。

その本は、『ADHDサクセスストーリー 明るく生きるヒント集』(トム・ハーマン 2006年)である。この本は、ADHDとはどのような症状があるのかから始まり、トム・ハーマンの自説が続き、ADHDの人達の体験談を参考に、欠点を補う方法について述べている。トムはとても斬新な自説を述べている。それは「ハンター」「ファーマー」理論である。動物の病気や障害は、現在ではほとんど役に立たないがこれまでの進化の過程で何かに役立っていた可能性があるというトムは、ADHDの遺伝子も過去を遡れば何かの役に立っていたのではないかと考えた。周囲の物事に次から次へと注意が移り、活発に動き回り、突然ものすごい集中力を見せるADHDの人達は、狩猟社会の名残なのではないか・・・?とトムはひらめいた。確かに狩りをして生計を立てていた時代は、いつどこで出てくるかわからない獲物、もしくは外敵をいち早く見つけるために、周囲をきょろきょろと見回し、物音ひとつ聞き逃さないように行動していたに違いない。またよりそういった能力が高い人ほど優秀な「ハンター」として生き残る可能性も、遺伝子を残す可能性も高かっただろう。しかし農耕社会の幕開けとともに、ハンターの人口は減っていく。それは、農耕社会の方が面積当たりに養うことのできる人口が圧倒的に多く、また牧畜により動物から感染する病気に強くなっていたため、ハンターたちは感染したら死んでしまうような病にもやられなかったからだ。また、人口が多いということは、それだけ戦争にも強いということだ。「ファーマー」はどんどん増えていき、現在の社会のほとんどの人が「ファーマー」となっている。つまり、現代社会は「ファーマー」にとっては生活しやすいが、「ハンター」にとっては生活しにくい社会になってしまったのだ。「ファーマー」の自分たちとは合わない、何か様子が違う、扱いにくい・・・「ファーマー」中心の社会なのだから当然異質さが目に付き、「ファーマー」を基準とすると「障害」とみなされる。ADHDはこのような経緯でできた障害なのではないだろうか。ADHDだからといって能力が劣るわけではなく、むしろ桁外れに優れている場合もよくあることらしい。例えば発明王といわれるエジソンも、ADHDだったのではないかと言われているのだ。彼も学校ではおかしな子として扱われ、様々なことに興味を持ち、沢山の失敗を経て多くの発明をしてきた。発明にこぎつけたものだけを見るとただ素晴らしいとしか言えないが、実験にすら移さなかったこともたくさんあったそうだ。それは興味が次々と移り変わり、「何が何でもやり遂げてやる!」という意欲が無かったからだろう。他にもケネディなどの偉人や、現代の企業家の多くがADHDもしくはその疑いのある人だとトムは言っている。

ADHDを「才能」と考えるとはいえ、現実的に考えて欠点がいくつかあることは間違いない。しかし私たちはその欠点を克服するための手助けを怠っているように思える。学校では先生から邪魔者扱いされ、友達からは距離を置かれ、家族も理解してくれず、挙句の果て「障害」だからあきらめなさいというのでは、あまりにもむごい仕打ちではないか。私は教師を目指すうえで、ADHDの児童、ADHDと思われる児童の「才能」を見出し、「欠点」を克服するための術を身に着けさせたいと強く思った。できないことをできるようにすることが教育であり、その先に人間の尊厳の確立がある。障害とみなしあきらめることは簡単なことだが、輝ける可能性を潰してしまうのはとてももったいない。ADHDの犠牲者にならないように、ADHDの犠牲者にさせないようにするうえで、「欠陥」や「障害」という言葉の負の力はとても大きな壁になる。自分の置かれている状況を病気のせいにして逃げたくなる気持ちを強くさせてしまう。障害者としてのフィルターを通してみてもらいたいと願うのか、現代の「ハンター」としてファーマー側からの挑戦に立ち向かおうと考えるのか。成功するかしないかはこの考えの差なのではないだろうか。一人でも多くの成功者を生み出し、幸せな人生にしてもらうために、ADHDの児童に対して教師ができることは沢山あると思う。一流の「ハンター」を育て上げる努力をしたいと思う。

発言を「受け取る側」

教師による発言の影響について調べたことから自分の考えを少しまとめてみた。

東京都調布市の女教師の暴言について調べながら考えてみた。その発言について「このくらいは許容範囲」や「教師としておかしい」などのようにいろいろと賛否両論があるが、一番考えなくてはいけないことは、その女教師によって暴言を浴びせられていた子供達のことである。
暴言とはどこまでが暴言なのか?について考えてみた。「バカ」と言われて嫌な思いをする人もいればそれくらいの言葉は気にならないという人もいるだろう。1番は「受け取る側」にあるのではないのかと思う。他人がそれを判断することはできない。本人がどう考えどう感じたのかということが問題になってくるのではないだろうか。それが「人間の尊厳」の部分なのではないだろうか。
その女教師の処分などについても議論が交わされているが、正直処分がどうなったとしても子供達が暴言をはかれ傷ついたことは消えない。その女教師の今後というよりは、その子供達のケアが最優先事項なのではないかと思う。

先日文教生にアンケートを実施した。「教師とはどんな存在か」「暴言をはかれたことはあるか」などの質問をしてみたところ、教師とは「親とは別に成長を促進してくれる人」といったような回答が多かったように思う。そして暴言の内容とはどれもその人についての否定的な言葉であった。まだ全ての回答を見ることはできていないが、自分を否定されること=自己肯定感を損なわれるようなこと、というのが特徴的であった。

まだいまいち核心には迫れない部分があるのでもう少し考えられる材料を増やしたい。
なにかきっかけとなるような文献などを探してみたいとおもう。

過激な発言が生まれる要因

なぜ過激な発言が生まれるのかを個人的に考えてみた。

人格的な面から考えると、演じることによって、普段の生活では弱い立場にいる者や、中くらいにいても、自分はもっと上にいるべき存在なんだなどと、どこかに自分を高い位置におこうという意思があるのではないかと考えた。そして、自分と同じような過激な発言をする人と仲間意識や連帯感を持つようになり、自分が強くなったように錯覚し、さらに過激な発言へとエスカレートしていってしまうのではないかとも考えた。また、一度過激な(強気な)発言をしてしまっているので、後戻りするわけにはいかないというプライドのようなものも持ち合わせているのではないかと思った。

このようなことから、過激な(強気な)発言をした「自分」に誇りを感じ、また、強い自分でありたいという気持ちが過激な発言を生むのではないかと考えた。

この何か月かで、ネット右翼とは何か、演じている側の尊厳とは何かと、一通り考えることができたので、今は課題が見つからず行き詰っている状態である。

フリースクールで行える役割

フリースクールでインタビューを行い、その内容について考えられたことについてまとめていきたい。
 私がインタビューを行ったフリースクールでは、何らかの理由により不登校となった子どもや障碍を持った子どもが通っている。そこで通っている子どもはフリースクールが開かれている時間に自由に生活をすることができるようになっている。私は、このように子どもが自由に学びや活動をすることのできる場を用意することが必要であると考えた。
 不登校のきっかけとしていじめや集団にうまく馴染むことができないことが挙げられる。学びたいという意志を持っているが、ある集団にいることによって学ぶことができない状態にあることは、その人の人間の尊厳を侵していると考える。また、勉強について行けず何らかの支援を受けられないこと、学校へ行き学ぶ以外の活動をしたいと考えても活動が抑えられてしまうこと、障碍を持っていることによって周囲の人から認められずに生活をしていることが考えられた。
 このように、学校の集団の中での生活に適応することができず、学ぶための機会や奪われている場合にフリースクールという場が必要だと考える。
 フリースクールが発行している本の中で、学力不安や行事嫌いといった、目に見えていることが根本的な問題ではない。「私も存在していいんだ」と思える環境が必要ということが挙げられている。ここにあるように問題として捉えられるものだけが不登校のきっかけとすることができない場合がある。私が存在していいという感覚、自己を肯定する気持ちを持ち直す準備の期間としてフリースクールに通うという選択をすることができると考えた。

虐待された子供たち 事例①

施設へのインタビュー交渉の傍ら本や文献を読み、様々な視点から「虐待」を考えてみようと思う。その第一弾として「虐待を受けた経験のある子どもはその後の成長段階においてどのような特徴が見られるのか。」ということについて調べてみた。今回から数回にわたり秋月奈央さんの著書、『虐待された子共達』に記載された実例をもとに私の考察も含めて投稿をすることにする。

Sちゃん

小学校2年生のSちゃんは両親と母方の祖母と4人暮らしをしていた。両親は共働きのため、普段は祖母が育児をしていたが、この祖母が主に虐待を働いていたという。Sちゃんの母親もこの祖母に叩かれて育っていた。そのため、母親もまたSちゃんを叩くことでしか育てられなかったという。祖母には虐待の意識はなく。あくまでも『しつけ』だったという。また、父親は普段は育児に無関心であるが、酒が入ると暴力的な性格になる人であり、Sちゃんが児童養護施設に引き取られた時にも施設に入り込み、「Sを返せ!」と暴れたという。このように家族全員から虐待を受けていたことが明らかになり、Sちゃんは児童養護施設に引き取られた。養護施設の職員は年齢の割に体が未発達だったSちゃんに驚き、『愛情剥奪性小人症』ではないかと疑った。これは、家族から虐待を受けたことで、特に親との愛情が希薄になったため、その心理的要因によって身体の発達が阻害されるという症状である。Sちゃんに限らず、虐待を受けた子どもは養育者から愛情を注がれなかった心理的影響が発育面にも影響を及ぼす例は少なくないと言われている。

体には火傷の跡や、殴られたような長い傷跡が至る所に、しかし目立たないような場所にあったという。酒乱の父親にやられたものだろうか。しかし、養護施設の職員がSちゃんの自宅を訪れた際、母親が出したお茶に対してとっさに頭をかばうというような過敏な反応を示したことから、私は母親か祖母から日常的に熱いお茶のようなものをかけられていたのではないかと疑った。

Sちゃんは児童養護施設に来た当初、なかなかしゃべらない子であったという。これは家族との言語的コミュニケーションが希薄であったため、また、暴力をふるう家族への恐怖心から自分の意見を言えなかったためだと推測できる。また、施設に引き取られてから学校で初めて発した言葉は「バカ。死ね。」だったという。Sちゃんが日常的に家族から浴びせられた言葉なのだろう。一人称や二人称を上手く使えないという点もSちゃんが家族や周囲の人達と良好なコミュニケーションを築けなかったという悲しい事実に裏付けられたことだろうか。

職員は児童養護施設での食事や遊びの際にもSちゃんのそれまでの生活を垣間見ることができた。Sちゃんは極めて食が細く、食べるのが早かったという。家族といた時には充分な食事を与えられなかったのだろう。私はそれだけでなく、Sちゃんはなるべく家族と同じ時間を共有したくなかったのではないかと憶測を立てた。また、遊びの面では友達と「夫婦喧嘩ごっこ」をしていたという。友達と腕を引っ張り合ったり、頭を叩く真似をしたり、「役立たず。」「お前なんか出ていけ。」とお互いを罵倒したりするのだという。とても小学校2年生の女の子がする遊びとは思えないが、この光景はSちゃんが実家で生活していた時の日常を再現したものだと考えられた。親子間で遊ぶ機会を得られなかったばかりか、夫婦喧嘩という子供にとって苦しいであろう出来事を遊びとして取り入れてしまうSちゃんに同情の念を覚えた。愛情を持って育てられなかった子どもは普通とはずれた感覚を持ってしまうものなのだろうか。

 

以上がSちゃんの大まかな特徴である。その後は少しずつ心を開き始めるようになったという。最初は硬直していた身体が養護施設での生活を通じて段々と柔らかくなっていったのだ。また、虐待の傷跡が痛むとしばしば職員に訴えてくるようになったという、その際に「これね、お母さんに棒で叩かれたの」と言ったそうだ。Sちゃんが初めて自分から虐待を受けたことを告白したのである。この時に職員はSちゃんが本当に痛かったのは身体ではなく、心なのだということに気付いたという。私はこの場面を想像して切なくも嬉しい気持ちになった。何故ならこのSちゃんの訴えはSちゃんが普通の愛情がどのようなものなのか気付き始めたサインだと思ったからである。自分の気持ちを、苦しい体験を正直に話せる相手を見つけることができたのだ。職員のことを信頼できる相手として認識した瞬間ということもできるだろう。暴力や暴言を使わなくてもコミュニケーションは成立するということをSちゃんは知ることができたのだ。

 

虐待を受けた子どもも適切な場所で丁寧な応対をすることで正しい愛情を理解することができるのだということがわかった。次回は性的虐待を受けたAちゃんについてまとめようと思う。

 

 

 

参考文献  秋月菜央『虐待された子共達』

社会福祉の認定調査士にインタビュー

社会福祉の認定調査士に認知症の方がについてインタビューを行った。

社会福祉の認定調査士とは、介護保険を使っている人の心身の状況を見に行く仕事である。認知の方の本人の状況と家族の介護の手間を調べる仕事である。認知症とは簡潔に言うと物忘れが激しくなることです。認知症によって周りの人が困ってしまうことがあるのも事実です。

認知症の方に多い症状は数をあげればきりがありません。

・忘れるから同じ事を何度も聞いたり何度もしつこく話をします。具体的に言うと「今日は何日?」「今日は何曜日?」と1分もたたないうちに聞く。

・自分が都合が悪くなると人のせいにする。例えば、お財布を蔵い忘れて見つからなかった時に、「誰かに盗まれた。」とか「泥棒が入った」などと人のせいにする。と被害的なことを言う。

・昔と現実が一緒になって、事実と違う話をする。例えば、「隣の人がさっき訪ねてきたよ。」と来ていないのに言ってしまう。

・失禁をしたときに、「誰かが[1]水をこぼした」などと取り繕う姿が見られる。

・些細な事で急に怒りだして感情が不安定になる。

・今までの人格と違う性格になっていく。

・夜起きてご飯を食べ始めるなどの昼夜逆転生活になってしまう。ひどくなると夜動き出してしまう。

・意味もない大声を出す。

・自分のうちにいるのに「家に帰る(実家)」と言い徘徊をする方が多いそうです。

・やたらに同じ物を集めてしまう収集癖が出てしまう。

これらの症状は意図的に言っている訳ではなく本人の中ではそれが普通のことだと思ってしまう。

症状を聞いて、認知症の方は被害者のように振る舞う傾向が強いと感じた。その傾向が強いのは周りの人に冷たくされたり邪見にされてしまっているからなのかと推定できる。もどかしい気持ちがそのような症状にあらわれてしまうと考えられる。

徘徊は認知症の症状でも有名な症状の1つだと思う。実家に帰るというのは本人がその環境にストレスを感じてしまうことからの行為である。

上記の症状を聞いて、比較的に自分の思い通りに行かないことから発症していると考えることが出来る。

認知症の方を支援する家族の方々の様子は、徘徊しないように鍵を徹底したり、失禁しても攻めたりせずに変えてあげたり同じ事を話してもイライラしたりしないようにしているので支援しているうちにストレスがたまっていくと思います。このような支援でストレスが溜まってしまうという家族を現場でもたくさん見受けられます。レスパイトケアといって家族の休息をとる事を目的に家族の負担を減らす為にショートステイやディサービスの利用によって家族が休息出来るというシステムもあります。

認知症の方々が尊厳を侵されていると考える時点で偏見だと思います。本人はもしかしたら尊厳を侵されていると感じているかもしれませんがそれを表現することが難しいので、周りの人が汲み取ってあげるしか知る方法はありません。

認知症の方の本人の意志で症状が出てしまうと考えると出来る限り本人の希望通りに生活させていくこと本人の尊厳を守ることだと思います。

この認知症の方々の尊厳に関連する話題はもう少し深く掘り下げていく必要があると感じました。

支援が大変でストレスが溜まってしまう方も多いです。レスパイトケアといって家族の休息をとる事を目的に家族の負担を減らす為にショートステイディサービスの利用によって家族が休息出来るというシステムもあります。

認知症の方の症状も本人の希望と考え、可能な限り普通の生活をおくってもらうのが尊厳を守ることにつながると思います。 介護している家族が必ずしも長く生きてほしいとは願っていないと思います。「この生活がいつまで続くのだろうか。」とか「こんな生活うんざりだ。」といったことを思う人もいます。

レスパイトケアやショートステイといった言葉をこのインタビューをするまで知らなかったので自分の知識不足を痛感させられました。今後もっと文献を読んだり調べたりして行きたいと思います。

以上がインタビューの簡潔な報告です。