鬼平犯科帳 木村忠吾はいつ結婚したのか

 今日は少々息抜き気味に、久しぶりに鬼平犯科帳ネタ。
 題名の通り、「木村忠吾はいつ結婚したのか」を解こうということだ。「シャーロック・ホームズ」には、国際的なクラブがあるそうで、入会するためには、極めて難しい試験をパスしなければならないということだ。つまり、ホームズに関する、細かい内容を知っている、つまり、全シリーズの内容を詳細に知っていることを示せないと、入会できないというもので、日本人は数えるほどしか会員がいないとか。逆にいえば、ホームズには、それだけの作品としての魅力と、それから膨大な量の物語があるということだ。
 日本の小説で、そこまでするだけの人気を誇る物があるだろうか。たくさんのひとが原文で読んでいるだけではなく、ドラマになっていて、内容が知悉されていることが必要だ。だから現代小説でなければならないが、私には、第一候補は「鬼平犯科帳」だと思われるのだが、難点は、鬼平犯科帳の内容には、いくつか矛盾があることだ。前にも書いたことだが、平蔵の部屋に忍び込んで煙管を盗んだ船頭の友五郎(かつての盗賊浜崎の友蔵)は、「流星」(8巻)で盗賊の手伝いを無理やりやらされて、島流しの刑になる。(もっとも予告だけだが)それが、「火付け船頭」(16巻)では、もともと働いていた「加賀屋」で普通に船頭をしており、常吉の逮捕に協力している。つまり、作者は、友五郎が島流しになるはずだったことを、忘れてしまったのかと、少々疑わざるをえないのである。このように、物語のなかに、辻褄が合わない点があれば、「試験」をつくるうえで難点になる。そういう例をいくつか「分析」してみようというわけであり、今回は、題名のことを扱う。

 
 木村忠吾は、鬼平犯科帳の準主人公ともいうべき、もっとも人気のある同心キャクラターである。登場の最初から、無能な同心として描かれ、岡場所狂いである。しかし、憎まれない正確で、いざというときには、がむしゃらに働くのも、平蔵には気にいられている。
 そして、第3巻で、平蔵は忠吾一人をつれて、京都にでかける。休息を与えられる意味で、火付盗賊改を解任されたので、父親の墓参りを兼ねて、京都旅行をするわけだ。(平蔵の父は、京都町奉行所の奉行だった。)しかし、そこで生命を落とす寸前の危機を経験するのだが、忠吾は、京都町奉行所の与力、浦部彦太郎に気にいられ、娘の妙と婚約する。
 このとき、作者は、平蔵が48歳であると書いている。つまり、かなり晩年なわけである。平蔵は歴史上の実在の人物でり、死亡した日時もわかっており、51歳(50歳説もある。生年が2説あるということだ。)で死んでいる。在職中の死だった。(もっとも危篤状態になって、辞職しているが。)
 つまり、長く見ても、京都旅行から、平蔵死亡までは、3年しか経過していない。
 ところが、以下の文章を見ると、忠吾は、平蔵生存中に結婚していないことになる。
 忠吾と妙の婚約が整ったが、「ところが、その後の妙は病床につくようになり、数年の闘病の後になくなってしまったのである。」(「影法師」16巻)そして、その後忠吾はかなりのショックを受け、しばらくの間、心の痛手から抜けることができないでいた。
 その後、忠吾は、長編「雲流剣」で一緒に活動した吉田藤七同心に気にいられ、実は既にいい仲になっていた娘のおたかをもらってくれと頼まれ、喜んで承諾する。(雲流剣は、15巻全体を使っている。)そして「影法師」は、結婚式を控えているにもかかわらず、岡場所にいってしまうという話になっているが、とにかくこの16巻で忠吾は結婚に至っている。
 その後、鬼平犯科帳は24巻で、作者逝去によって中断されるわけだが、中断されるまでに、明らかに忠吾結婚後の話がいくつも出てくる。「麻布一本松」(21巻)では、毎日おたかの顔を見なければいけないのが、つまらないと愚痴をこぼして、浪人市口又十郎とトラブルを起こし、その後とんでもないことになるのだが、新婚直後の話ではなさそうだから、この時点で、平蔵は50代半ばでなければならない。
 つまり、作者は、平蔵の京都旅行とその後の展開を、途中で誤解してしまったとしか考えられない。というのは、京都旅行は、24巻中の3巻目の話として出てくる。このときには、その後ものすごい人気が出て、生涯書き続けることになろうとは思っていなかったのだろう。そうでなければ、早3巻目にして、晩年の物語を書くはずがない。
 4巻目からの話は、時期が明確に書いていないことが多いのだが、平蔵が火付盗賊改になりたてに戻っていることは明らかだ。4巻の「血闘」で、おまさが自分の意志で平蔵を訪れ、密偵になる。そして「敵」で、五郎蔵が、手下に裏切られ、殺されそうになるところを平蔵に助けられて、少し前に捕まった以前の仲間である宗平と一緒に密偵になる。これで、彦十、粂八、おまさ、宗平、五郎蔵という5名が揃い、伊三次は、あるとき突然現れる。こうして、時間を巻き戻して、話を続けたが、やはり、忠吾は結婚させなければならないと考えた。しかし、3巻で婚約したのに、15巻までほったらかしにしていたのだから、いまさら妙と結婚させるわけにもいかず、妙は死んだことにしてしまったのだろう。要するに、妙のことは、作者は忘れていたのだ。そして、同じ同心の吉田の娘を結婚させることにしたのだが、このとき、妙のことの断りをいれざるをえなかったが、妙と忠吾が知り合うきっかけになった京旅行は、平蔵の最晩年であることも、うっかり忘れていたのではないか。つまり、ずっと若い時期に、京旅行に行った気になっていた。なにしろ、3巻目の話なのだから。だから「数年の闘病」などと書いたのだろう。
 これだけ長く連載が続けば、もちろんこうしたミスは避けられないに違いない。しかも、話を書きかけている途中でなくなったから、まとめて出版するときに、矛盾を訂正することもできなかった。だが、こうした矛盾が生じるほど長く続き、支持された作品を書き続けたことは、驚くべくことだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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