北朝鮮情勢を考える ボートピープルへの備えは必要ではないか

 金正恩危篤、あるいは死亡の憶測が、さまざまなメディアで流れている。もちろん、正式発表がなされるまで、正確なことは、当事者の近くにいる者以外にはわからないわけだが、できるだけ公開されている情報を元に、何がおきていて、何が今必要かを考えてみたい。
 金正恩は、政治的には死亡していると思われる。4月15日と25日の極めて重要な行事に出席していないこと、これだけ死亡説が流布し、しかも、アメリカの有力メディアが報道しているにもかかわらず、北朝鮮がなんらコメントしていないこと、中国から2度に渡って医師団が北朝鮮に入ったと、かなり確度の高い情報として流れていること、米中韓の政府がいずれもこの点について沈黙を守っていることなどが、その根拠である。 “北朝鮮情勢を考える ボートピープルへの備えは必要ではないか” の続きを読む

発熱後4日待機ルールはなかった? 追求しない新聞は?

 Business Journalのホームページによると、新型コロナウィルス感染症対策専門家会議医院の釜萢敏氏が、4月22日の記者会見で、「受診の目安のとされてきた「発熱後4日間自宅待機ルール」に関し、「普段あまり受診されていない方でも体調が悪い状態が4日も続くようなら受診してくださいという趣旨だった」などと発言をして波紋が広がっている。」と報道されている。: https://biz-journal.jp/2020/04/post_153919.html
 ネット上では怒りの声があがっているようだ。私もびっくりしたが、不思議なことに、24日の段階で、朝日、毎日、読売、産経各紙のウェブ版には、このことは全く報道されていない。釜萢氏は、テレビなどにもでて、解説をしていた人だが、まさかこんな嘘をつくとは思いもよらなかった。今後もテレビにでるのだろうか。(25付けの毎日新聞に、釜萢氏へのインタビューが掲載されているが、この点については全く触れていない。質問もしていないのか。) “発熱後4日待機ルールはなかった? 追求しない新聞は?” の続きを読む

新型コロナウィルス専門家会議方針の矛盾

 大阪の病院で新型コロナウィルスに感染している看護師に夜勤をさせていたということが、大きな問題になっている。知事はあってはならないことだと非難しているし、保健所の検査も入ったようだが、好ましいことではないし、避ける必要があったのだろうが、この病院を非難することには疑問を感じる。ではどうすればよかったのかということだ。夜勤は必要であり、人を手配しようとしたがいなかった。だから、感染した患者が入っている病棟で仕事をさせたということだが、既に感染している人なのだから、仕方ないと考えたのだろう。
 おそらく、こうした事例は他にもあるし、今後どんどん起こってくるのではないかと考えられることだ。そして、そうした事態は、政府の方針によって引き起こされた面が強いことを考えなければならないし、方針が根本的に転換しない限り、今後もどんどん起きてくると予想されるのである。病院だっていいことだと思ってやっていたわけではないだろう。 “新型コロナウィルス専門家会議方針の矛盾” の続きを読む

NHKスペシャル 新型コロナウィルス瀬戸際の攻防をみて

 遅まきながら、録画していた上記番組を見た。政府の対策組織のなかのクラスター班の活動を追ったドキュメントである。確かに、クラスター班のひとたちが超人的な努力をして、なんとか事態を打開しようと奮闘していることは伝わってくる。
 しかし、もっとも基本的なところで、クラスター班の「論理」は破綻しているとしか思えなかったのである。それはどういうことか。
 ここに登場するひとたちは、中心的な押谷教授、西浦教授であるが、この班の共通の課題意識が、「経済活動を維持しながら、感染を止める」と語られている。クラスターという、それまでは耳慣れない言葉が普及したのは、このひとたちの努力によるのだが、ある場で複数の感染者が発生して、そのうちの感染者が他の人に更に感染していくという連鎖が生じた場をクラスターと呼んでいる。なぜクラスターと呼び、集団感染と呼ばないかは、専門家会議の尾見氏が、youtubeで説明していたが、インフルエンザなどだと、感染した人はほぼ全員が他の人に感染させるが、新型コロナウィルスは感染者のうち5人に1人程度しか、他に感染させないから、その感染させている人を追跡していけば、感染のルートが把握でき、拡大を防ぐことができるということらしい。ただ、その説明を聞いたとき、私はまったく納得ができなかった。そのyoutubeは山中教授との対談だったのだが、当然山中氏は、そのことについて理由を問いただしたが、尾見氏は、わからないと答えていた。わからないのに、そんなことが断言できなるのだろうかと不思議に思うが、とにかく、クラスター班はそういう前提で作業を進めていた。 “NHKスペシャル 新型コロナウィルス瀬戸際の攻防をみて” の続きを読む

学校再開はできるのか

 非常事態宣言の期限が近づいてきて、延長問題が今後検討されるだろう。しかし、学校の再開については、賛否両論を引き起こすような事態となっている。
 まず、富山で休校中の、臨時登校日に感染したのではないかと考えられるクラスターが発生した。他方、このままでは夏休みをなくして授業をする必要があるという意見がでている。公立小中学校は、今でもエアコンのない学校が多いから、夏休みに授業することは、まず無理だろう。コロナが終息していたとしても、熱中症で危険になる。思い切って9月新学年という構想もあり、私は、それを支持しているが、現実にはその方向にいくことはないだろう。とすると、このまま無作為にいくと、3月のはじめからずっとまともな授業を行っていないまま、ずるずると休校措置が継続していくことになる。 “学校再開はできるのか” の続きを読む

パチンコ店問題を考える

 このところパチンコ店に関する話題が多い。私が住んでいる隣の県が、まだ緊急事態宣言が発せられていない時期には、他県から多数の客が、パチンコ店に押し寄せていた。実際に車で側を通って確認している。その後、全国に緊急事態宣言が拡大してからは、パチンコ店も自粛対象となったために、おそらく多くの店は自粛するようになったが、いくつかの店が、営業しているし、更に都内でこれまで自粛していた店のなかで、再開するところも出てきたという。
 元々パチンコ店は、自粛の対象になるかどうかで、都と国とがかなりのさや当てがあった。3密を防ぐという方針が正しいとしたら、パチンコ店は明らかに相当するのだから、自粛要請するのが自然なのに、どういうわけか国は一時含めなかった。業界のロビー活動や、自民党議員のなかに、パチンコ業界と関係の深い人がいるのではないかとか、いろいろと噂があった。その後調整が進んで、自粛要請の対象となったが、宣言対象外の県に大量の客が流れる→対象になっても店をあけるところがある→東京でも再開する店が出てきた。こんな感じで今に至っている。 “パチンコ店問題を考える” の続きを読む

オリンピックは延期ではなく中止に

 IOCが、延期された五輪の追加費用を、日本側が大部分を負担するということで、安倍首相も合意したと公表し、日本側は、森委員長や菅官房長官、橋本五輪担当相などが、そうした事実はないと懸命に否定し、IOCがホームページからその旨を削除したという。日本側の慌てぶりが目に見えるようだ。しかし、肝心の安倍首相の「否定」は、今のところ目にしない。
 コロナウィルス問題で、明らかに今年の開催が不可能であるのに、なかなか延期の決定をしなかったのは、先に言い出すと、追加費用の負担を押しつけられるから、とにかく、相手に先に言わせようとしているのだ、などと噂されていた。そういうとは、当然あるだろう。
 しかし、私は、何らかの約束を安倍首相がしているのではないかと、疑っている。それは、おそらく2年延期が合理的であるのに、安倍首相がかなり強行に1年延期を主張して、それが通ったと報道されているからだ。 “オリンピックは延期ではなく中止に” の続きを読む

学校教育から何を削るか4 形式的な儀式

 教育にとって「形式」とは何だろうか。
 学校現場に「挨拶競争」という指導方法がある。子どもたちに挨拶を習慣化させるための一種の戦略的手法である。今ではTOSSと言われる団体が、技法として広めた。
 教師が「明日から挨拶競争を始めましょう。誰かと会ったとき、どちらが先に挨拶をするかという競争です。先生も参加します。最初に言った方が勝ちです。」
 翌日から早速始め、終わりの会で、結果を出し合う。子どもたちは、口々に述べあう。「先生は、今日はずっと負けっぱなしでした。みんなすごいですね。先生たちも感心していました。でも明日からは負けません。」
 こうやってしばらく続けると、習慣化するというのである。 “学校教育から何を削るか4 形式的な儀式” の続きを読む

9月新学年に変えよう

 今日(4月18日)、youtubeで佐藤優氏のラジオ番組を聞いていたら、この機会に9月新学年に変えたらどうか、という話をしていた。大賛成だ。このブログでも、9月新学年にすべきという考えを表明したことがあるが、実現はなかなか難しいとは思っていた。数年前か、東大が音頭を取って、9月新学期に変更するという動きを見せたことがある。しかし、ほとんどの大学は追随せず、高校以下の学校はまったく無関心だったから、ほとんど大きな話題になることもなく挫折した。やはり、一部の学校だけで実施しても、他と開始時期がずれてしまえば、受け入れられないのだ。 
 しかし、今は、ほぼ全校種で休校になっており、しかも、この休校がいつまで続くかわからない。連休明けには始めたいと考えている人が多いが、危険だという意見も多い。そこで、佐藤氏は、いっそのこと、ずっと休みにして、9月新学期、つまり、4月新学期という授業はほとんどやっていないのだから、それを半年そのまま一斉にずらせば、9月新学年が実現できるというわけである。これまでの困難は一挙に回避できる。
 では、何故9月新学年がいいのか。理由はいくつもある。 “9月新学年に変えよう” の続きを読む

学校教育から何を削るか 慣習的な作法や授業方法


Ⅰ 慣習的な作法や授業方法

 ものごとは効率的に行うことが大切である。1時間かかることを、30分でできるようになれば、それはとてもよいことであると考えるし、30分でできることを1時間もかかってやるのは、大いに改善の余地があると考える。学校教育の「慣習」のなかには、非常に多くの「余計に時間をとる」ものが多い。授業時間は決まっているから、そうした慣習的時間の無駄があれば、それだけ授業の実質的内容は減少する。もちろん、理解できていないのにどんどん進むのは、むしろ効率に反する。もちろん、教師によって、授業のやり方は異なるから、一慨にこれは無駄ということはできない。あくまでも、以下のべることは私の私見であるか、教師の判断で減らせる内容ばかりである。こうした考えもあるのかと参考にしてもらえればと思う。
 私が無駄と感じている最たるものは、教師が質問し、子どもが挙手し、さされた子どもが立ち上がって答える。最近は、「いいですか」と当の子どもがみんなに問いかけ、「いいです」との答えがあると、座るという一連の行為がある。
 このやり方は、時間の無駄であるだけではなく、いくつかの教育上の問題を含んでいる。 “学校教育から何を削るか 慣習的な作法や授業方法” の続きを読む