遅まきながら、録画していた上記番組を見た。政府の対策組織のなかのクラスター班の活動を追ったドキュメントである。確かに、クラスター班のひとたちが超人的な努力をして、なんとか事態を打開しようと奮闘していることは伝わってくる。
しかし、もっとも基本的なところで、クラスター班の「論理」は破綻しているとしか思えなかったのである。それはどういうことか。
ここに登場するひとたちは、中心的な押谷教授、西浦教授であるが、この班の共通の課題意識が、「経済活動を維持しながら、感染を止める」と語られている。クラスターという、それまでは耳慣れない言葉が普及したのは、このひとたちの努力によるのだが、ある場で複数の感染者が発生して、そのうちの感染者が他の人に更に感染していくという連鎖が生じた場をクラスターと呼んでいる。なぜクラスターと呼び、集団感染と呼ばないかは、専門家会議の尾見氏が、youtubeで説明していたが、インフルエンザなどだと、感染した人はほぼ全員が他の人に感染させるが、新型コロナウィルスは感染者のうち5人に1人程度しか、他に感染させないから、その感染させている人を追跡していけば、感染のルートが把握でき、拡大を防ぐことができるということらしい。ただ、その説明を聞いたとき、私はまったく納得ができなかった。そのyoutubeは山中教授との対談だったのだが、当然山中氏は、そのことについて理由を問いただしたが、尾見氏は、わからないと答えていた。わからないのに、そんなことが断言できなるのだろうかと不思議に思うが、とにかく、クラスター班はそういう前提で作業を進めていた。
そして、番組をみていると、クラスターが発生するのは、人が集まって話をする場であるということを突き止め、(そんなこと、最初から充分にわかることではないか。)そこから3密という概念が出てきた。3密を回避しましょうという提言がそこから出てきたわけだ。しかし、そのうち感染拡大が起きて、どうやったらいいかと考え、人との接触を少なくすればよいという圭論にいたり、人との接触を8割減らすという提言になるわけだ。それが現在の政府や自治体の基本方針になっている。
しかし、この8割減という行動制限は、もともとクラスター班がとっていた基本原則と、相いれないものになっていることは、多くの人が気づくだろう。つまり、経済活動を維持しながら、感染拡大を防ぐという基本路線では、8割人との接触を減少させたら、経済活動がなりたたないはずである。スポーツの試合、コンサート、演劇等々の大勢が鑑賞するもの、飲食店、娯楽的な店などの活動を自粛させているわけだが、これは明らかに経済活動を低下させることになっている。それでも、人との接触が8割減っているかといえば、繁華街の人手のデータをだしても仕方ない。出勤しているひとたちのラッシュなどは、相変わらずなのだから、実は、繁華街の人手が8割減ったとしても、都市全体としては、あまり減っていないのだ。もし、これを本当に8割減らそうと思ったら、ほとんどの企業活動を止めさせる必要がでてくるだろう。しかし、それは、最初の前提そのものを完全に崩してしまうことになる。つまり、少なくともクラスター班の提言をいくら実行しても、目指していることは実現しないことは、自明のことなのだ。
番組では、NHKの人が、PCR検査の実施について聞いているが、押谷氏の回答は、いかにも煮え切らないものだ。氏の担当範囲ではないから、うかつにいえないのかも知れないし、本当に氏が不要論なのかはわからないが、専門家会議、あるいはそれにのった政府の施策は、当初から間違っていたのである。経済活動を維持しながら、感染をくい止めるためには、PCR検査を最大限行って、感染者を隔離することが実現できるはずなのである。そして、それはいまだに方向転換されていない。当初は、法令によって、感染者は全員入院などという規定があったから、仕方ない側面もあったが、その間違いは早い時期から指摘されていたのであり、早期に法令改正して、検査を最大限行う体勢をとっていれば、今のような医療崩壊を起こさずに済んでいたに違いない。NHKは、もっとそこに切り込む番組を制作してほしいものだ。