今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは、カナダ出身のセガンが指揮をした。少々事情があり、リアルタイムでは後半のみテレビで、全曲は2日に録画で視聴した。
一言でいえば、とてもよかった。近年のなかでは、ウェルザー・メストとともに出色のできだったといえる。しかも、ウェルザー・メストは、ウィンナワルツをすばらしく聴かせるという指揮だが、セガンはさらにエンターテイナー的に楽しませる。「青きドナウ」が終わったあとは、スタンディング・オベーションとなり、このコンサートでは、私は初めてみた。そしてそのあと、ラデツキー行進曲では、セガンは客席を歩き回り、ほとんど拍手の指揮をして、聴衆を喜ばせていた。この間オーケストラの指揮はほったらかしという感じだったのだが、オーケストラとしては、それこそ自分たちがやりたいようにやれるとご機嫌で演奏していたようだ。 “素晴らしかったウィーンフィル・ニューイヤーコンサート” の続きを読む
カテゴリー: 音楽
都響定期演奏会12.18 小泉和弘の指揮に感動
昨日東京都交響楽団の定期演奏会にいってきた。曲目は、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲とショスタコービッチの交響曲第10番であった。バイオリンの独奏は、三浦文彰、指揮は小泉和弘だった。私は現在の日本のソリスト状況について、あまり知識をもっていないので、三浦氏のことは初めて知った。ウェブで調べると、若手のホープのようだ。こんなことを書くと、事情通の人には呆れられるかも知れないが。
さすがに小泉氏は名前はよく知っていたが、生の演奏は初めて聴いたと思う。私が演奏会にちょくちょく通っていたのは1970年代までなので、1973年にカラヤンコンクールに優勝した小泉氏のことは、聴いたとしてもあまり印象に残っていないということかも知れない。そして、都響の終身名誉指揮者であることも初めて知った。2025年度から都響の定期会員になって、今回が初めての登場だったからでもあるが。 “都響定期演奏会12.18 小泉和弘の指揮に感動” の続きを読む
ブラームスとオペラ
ブラームスはなぜオペラを書かなかったのか、という点について 論じている文章があった 。 その文章によると、フランス革命と 産業革命 によってブルジョア階級が 勢いを増し、彼らが貴族的な教養を得たいと考えて、ブラームスのような作曲家を歓迎した というのである 。そうして ブルジョワジーの財力によって、ウィーンに楽友協会ホール を建設した 。しかし、ブラームスが貴族などではなく 新興のブルジョワジー 市民のために作曲をした というのであれば、当然オペラの方が 効果的であったはずだ 。というのは、オペラこそたくさんの観衆を抱えており、その管理は 貴族であったとしても、聴衆たちは市民やブルジョアジーだったのである。そういう点で考えても、ブラームスが新しい聴衆のために作曲をするというのであれば、交響曲や室内楽 などのような古典的な音楽ではなく、オペラこそ 聴衆の要求に適うものであったはずだ。 “ブラームスとオペラ” の続きを読む
九州交響楽団の「運命」を聴く
九州交響楽団が苦境になっているという記事をみた。地方のプロオーケストラの半数近くが赤字に苦しんでいるという。たしかにオーケストラの採算があうということは、かなり奇跡に近いのだ。 “九州交響楽団の「運命」を聴く” の続きを読む
オペラ上演のトラブル・事故
アメリカニューヨークのメトロポリタン・オペラ劇場で、観客がステージに突然あがって、抗議をしたという記事がある。どんな抗議をしていたのか、詳細はどうも不明だが、そういうこと自体がとんでもないことである。オペラというのは、とにかく、実に多くの分野の人びとが関係し、数時間の舞台の上演を行うのだから、いろいろと事故が起きることはよく言われている。つまり、ミスによるものだ。 “オペラ上演のトラブル・事故” の続きを読む
最近のショパンコンクール優勝者は伸び悩み?
クラシック・ジャーニーという方の「雑感: ショパン国際ピアノコンクール2025」(https://ameblo.jp/classic-journey/entry-12943037519.html)という文章が面白かったので、ショパンコンクールに関して、私も雑感を書いてみることにした。
シャーニー氏は、ショパン・コンクール優勝者で数万円払ってリサイタルを聴きたいひとは、ポリーニ、アルゲリッチ、そしてぎりぎりツィンマーマンなのだそうだ。そして、ポゴレリッチ事件以後の優勝者は、ほとんど評価に値しないように評価しているようだ。 “最近のショパンコンクール優勝者は伸び悩み?” の続きを読む
丸山真男のオペラ論2
丸山は、ヨーロッパの指揮者は、歌劇場のポストを歴任して、認められることでだんだん上級クラスの歌劇場に進み、一流の指揮者として認知されると指摘している。そして、その代表としてカラヤン、ベーム、フルトヴェングラーをあげているが、フルトヴェングラーはこうした経歴をたどった指揮者ではないし、また、オペラ指揮者とはいえない。ごく若い頃に歌劇場の指揮者であったが、30代にしてベルリンフィルの常任指揮者に選ばれたあとは、例外的な時期(つまりナチスとの関係でベルリンの歌劇場の指揮者を務めたことはあるが)を除いて、歌劇場の指揮者になることはなかった。フルトヴェングラーのオペラは、音楽祭やレコーディング、演奏会形式での上演にほぼ限られている。フルトヴェングラーは偉大な指揮者だから、オペラの録音も優れた演奏だということになっているが、私は、フルトヴェングラーのオペラ録音は、それほど優れたものではないと感じている。生粋のオペラ指揮者であったカラヤンと比べるとその差ははっきりしている。 “丸山真男のオペラ論2” の続きを読む
丸山真男のオペラ論1
丸山真男に「金龍館からバイロイトまでーーオペラとわたくし」という文章がある。もちろん、丸山のアカデミックな論文ではなく、丸山のオペラ歴を語ったエッセイである。これがとても面白いし、賛成できるところもあるし、また、違うなというところもあるが、丸山真男は有名なクラシック音楽、とくにドイツ音楽、そしてオペラ好きだったから、その類の文章はいろいろあるのだが、これがとくに私には興味深かった。
1985年の文章だが、まだまだこの時期は、日本のオペラ普及はそれほどではなかったのかも知れないが、それでも、次第にオペラ好きは増えていたと思うし、有力なオペラ公演は客もたくさん入っていたはずである。 “丸山真男のオペラ論1” の続きを読む
マタイ受難曲の古楽奏法と現代オケの演奏
東京交響楽団のマタイ受難曲を聴いて、このブログに感想を書いたのだが、その後いくつかのマタイのCDを聴いた。そして、磯山雅氏の厖大なマタイの分析書も読んでみた。マタイ受難曲が、まだ好きになったわけではないが、これまであまり気付かなかった魅力を感じるようにはなった。しかし、最近の主流ということになっている古楽奏法については、私はあまり好きになれない状態である。磯山氏の著書には、当時発売されていた(廃盤のものを含まれているが)マタイの全曲CDについて、率直な評価が書かれている。その評価に、私はあまり納得できないというか、やはり感覚が違うのだと思ってしまう。 “マタイ受難曲の古楽奏法と現代オケの演奏” の続きを読む
ドホナーニを聴く2
ドホナーニのボックスを購入して、モーツァルトを聴いたところで、感想を書いたのだが、その後は時間がなくてあまり聴けなかった。やっと、シューマン全曲と、幻想交響曲、そしてマーラーの5番を聴き、いまブルックナーの4番を聴いている。
シューマン、幻想、マーラー5番はいずれも、どちらかというとがっかりした。とくに幻想とマーラーは、ドホナーニという指揮者には向いていないのか、あるいは、クリーブランドとの組み合わせが悪いのか。何が不満かといえば、あまりに真面目な演奏に過ぎる感じがするのだ。 “ドホナーニを聴く2” の続きを読む