今、ネット上で、クラシック音楽界ではめずらしい「騒動」が起きている。最初に知ったのは、Windows Edge を開くと出てくる記事のなかでだった。そのときブログで書こうと思ったのだが、書かなかった。数日後、あちこちで議論が沸騰していることを知った。全部をフォローしているわけではないし、また、議論の全体像を知りたいとも思っていないので、これまで読んだなかで知ったいくつかの論点について考えてみたい。論点は
・来日する北欧の名門オーケストラであるヘルシンキ・フィルの独奏者となっている角野隼斗氏が客寄せパンダのようになっている。
・角野氏に関しては、オッカケの集団が異様に多く、通常のルートではチケットが入手できないことがほとんどで、彼の「音楽」「演奏」を聴きたいのではないのではないか。
・ヘルシンキ・フィル来日の宣伝文に、指揮者の名前が入っていないのはおかしい。
・角野氏は、もっとオーソドックスなクラシックの演奏家としての活動をやるべきではないか。 “ピアニスト角野隼斗氏をめぐる議論について” の続きを読む
カテゴリー: 音楽
モーツァルトP協23番聴き比べ
まだ大学に勤めていた頃、同僚と音楽の話をしていたところ、(彼は学生時代大学オケでバイオリンを弾いていた)モーツァルトのピアノ協奏曲23番の話になり、彼は一番好きな曲でバレンボイムの演奏が気に入っていると話していた。私も23番は、モーツァルトのピアノ協奏曲のなかで、最高傑作だと思っていたのだが、私が普段聴いているのはポリーニとベームの共演のCDとDVDであり、バレンボイムはもっていなかったので、あまり深く掘りさげた話にはならなかった。 “モーツァルトP協23番聴き比べ” の続きを読む
都響定期演奏会、ベルディ・ワーグナー序曲バレエ集
昨日(1月23日)、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてきた。指揮者は、4月から首席客演指揮者になるというダニエーレ・ルスティオーニという人で、私はもちろん初めて聴いた指揮者で、名前も初めて知った。曲目は、このようなプロオーケストラでは、滅多にないようなものだった。前半はベルディの序曲(運命の力・シチリア島の夕べの祈り)とバレー音楽(マクベスとオテロ)、そして後半はすべて序曲・前奏曲(リエンツィ、タンホイザー、ローエングリン、ニュルンベルクのマイスタージンガー)だった。こういう曲目は、通常名曲コンサートのようなところで演奏されると思うから、率直に驚いた。 “都響定期演奏会、ベルディ・ワーグナー序曲バレエ集” の続きを読む
素晴らしかったウィーンフィル・ニューイヤーコンサート
今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは、カナダ出身のセガンが指揮をした。少々事情があり、リアルタイムでは後半のみテレビで、全曲は2日に録画で視聴した。
一言でいえば、とてもよかった。近年のなかでは、ウェルザー・メストとともに出色のできだったといえる。しかも、ウェルザー・メストは、ウィンナワルツをすばらしく聴かせるという指揮だが、セガンはさらにエンターテイナー的に楽しませる。「青きドナウ」が終わったあとは、スタンディング・オベーションとなり、このコンサートでは、私は初めてみた。そしてそのあと、ラデツキー行進曲では、セガンは客席を歩き回り、ほとんど拍手の指揮をして、聴衆を喜ばせていた。この間オーケストラの指揮はほったらかしという感じだったのだが、オーケストラとしては、それこそ自分たちがやりたいようにやれるとご機嫌で演奏していたようだ。 “素晴らしかったウィーンフィル・ニューイヤーコンサート” の続きを読む
都響定期演奏会12.18 小泉和弘の指揮に感動
昨日東京都交響楽団の定期演奏会にいってきた。曲目は、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲とショスタコービッチの交響曲第10番であった。バイオリンの独奏は、三浦文彰、指揮は小泉和弘だった。私は現在の日本のソリスト状況について、あまり知識をもっていないので、三浦氏のことは初めて知った。ウェブで調べると、若手のホープのようだ。こんなことを書くと、事情通の人には呆れられるかも知れないが。
さすがに小泉氏は名前はよく知っていたが、生の演奏は初めて聴いたと思う。私が演奏会にちょくちょく通っていたのは1970年代までなので、1973年にカラヤンコンクールに優勝した小泉氏のことは、聴いたとしてもあまり印象に残っていないということかも知れない。そして、都響の終身名誉指揮者であることも初めて知った。2025年度から都響の定期会員になって、今回が初めての登場だったからでもあるが。 “都響定期演奏会12.18 小泉和弘の指揮に感動” の続きを読む
ブラームスとオペラ
ブラームスはなぜオペラを書かなかったのか、という点について 論じている文章があった 。 その文章によると、フランス革命と 産業革命 によってブルジョア階級が 勢いを増し、彼らが貴族的な教養を得たいと考えて、ブラームスのような作曲家を歓迎した というのである 。そうして ブルジョワジーの財力によって、ウィーンに楽友協会ホール を建設した 。しかし、ブラームスが貴族などではなく 新興のブルジョワジー 市民のために作曲をした というのであれば、当然オペラの方が 効果的であったはずだ 。というのは、オペラこそたくさんの観衆を抱えており、その管理は 貴族であったとしても、聴衆たちは市民やブルジョアジーだったのである。そういう点で考えても、ブラームスが新しい聴衆のために作曲をするというのであれば、交響曲や室内楽 などのような古典的な音楽ではなく、オペラこそ 聴衆の要求に適うものであったはずだ。 “ブラームスとオペラ” の続きを読む
九州交響楽団の「運命」を聴く
九州交響楽団が苦境になっているという記事をみた。地方のプロオーケストラの半数近くが赤字に苦しんでいるという。たしかにオーケストラの採算があうということは、かなり奇跡に近いのだ。 “九州交響楽団の「運命」を聴く” の続きを読む
オペラ上演のトラブル・事故
アメリカニューヨークのメトロポリタン・オペラ劇場で、観客がステージに突然あがって、抗議をしたという記事がある。どんな抗議をしていたのか、詳細はどうも不明だが、そういうこと自体がとんでもないことである。オペラというのは、とにかく、実に多くの分野の人びとが関係し、数時間の舞台の上演を行うのだから、いろいろと事故が起きることはよく言われている。つまり、ミスによるものだ。 “オペラ上演のトラブル・事故” の続きを読む
最近のショパンコンクール優勝者は伸び悩み?
クラシック・ジャーニーという方の「雑感: ショパン国際ピアノコンクール2025」(https://ameblo.jp/classic-journey/entry-12943037519.html)という文章が面白かったので、ショパンコンクールに関して、私も雑感を書いてみることにした。
シャーニー氏は、ショパン・コンクール優勝者で数万円払ってリサイタルを聴きたいひとは、ポリーニ、アルゲリッチ、そしてぎりぎりツィンマーマンなのだそうだ。そして、ポゴレリッチ事件以後の優勝者は、ほとんど評価に値しないように評価しているようだ。 “最近のショパンコンクール優勝者は伸び悩み?” の続きを読む
丸山真男のオペラ論2
丸山は、ヨーロッパの指揮者は、歌劇場のポストを歴任して、認められることでだんだん上級クラスの歌劇場に進み、一流の指揮者として認知されると指摘している。そして、その代表としてカラヤン、ベーム、フルトヴェングラーをあげているが、フルトヴェングラーはこうした経歴をたどった指揮者ではないし、また、オペラ指揮者とはいえない。ごく若い頃に歌劇場の指揮者であったが、30代にしてベルリンフィルの常任指揮者に選ばれたあとは、例外的な時期(つまりナチスとの関係でベルリンの歌劇場の指揮者を務めたことはあるが)を除いて、歌劇場の指揮者になることはなかった。フルトヴェングラーのオペラは、音楽祭やレコーディング、演奏会形式での上演にほぼ限られている。フルトヴェングラーは偉大な指揮者だから、オペラの録音も優れた演奏だということになっているが、私は、フルトヴェングラーのオペラ録音は、それほど優れたものではないと感じている。生粋のオペラ指揮者であったカラヤンと比べるとその差ははっきりしている。 “丸山真男のオペラ論2” の続きを読む