初心者向けのオペラ?

 youtubeを見ていたら、たまたま「初心者のための5つのオペラ」という番組があったのでみてみた。早口の英語だったので、詳細は聞き取れなかったのだが、もちろん曲目とその主要な魅力の説明はわかった。その選択は、非常に納得がいくものだったが、「初心者」とは何かというのが気になったので、それを考えてみたいと思った。
 まず紹介されていたオペラは、順に
1 ラ・ボエーム(プッチーニ)「私の名はミミ」の場面が流れた。
2 カルメン(ビゼー)「ハバネラ)
3 魔笛(モーツァルト)「夜の女王のアリア」
4 椿姫(ヴェルディ)「乾杯の歌」
5 セビリアの理髪師(ロッシーニ)「なんでも屋の歌」
というものだった。作曲家一人につき一曲という配慮かも知れないが、あえていえば、5番目にモーツァルトの「フィガロの結婚」をいれてもいいとは思うが、だいたい妥当な選曲だろう。 “初心者向けのオペラ?” の続きを読む

オザワキネン音楽祭の継続は

 サイトウキネン音楽祭には、以前何度か聴きにいった時期がある。ロ短調ミサ、ファウストの拷罰、オペラ夕鶴、ベートーヴェンの5番などだった。ロ短調ミサとファウストの拷罰は、リハーサルと本番両方を聴いたので、とても印象に残っている。ファウストの拷罰では、出だしのビオラの音の美しさにびっくりしたものだ。
 ところが、小沢征爾が亡くなったことで、俄かに音楽祭自体が危機に瀕しているようだ。現在では、オザワキネン音楽祭ということになっているようだが、サイトウキネンを小沢が担ったような指揮者、指導者がいないということが、最大かつ唯一の理由といえるだろう。サイトウキネン音楽祭は、世界的な音楽祭ではあるが、他の世界的な代表的な音楽祭と比較すると、いかにも特殊な、ぜい弱な音楽祭であるといわざるをえない。 “オザワキネン音楽祭の継続は” の続きを読む

ショルティ・シカゴのマーラー5番

 ちょっと風邪気味で寝ていたのだが、youtubeを見ていると、偶然ショルティ指揮のシカゴ交響楽団によるマーラー5番の映像が出てきたので、全部聴いてしまった。寝ながらのイヤホンなので、音はまったくよくなかったが、いろいろと興味深いものだった。
 半月ほど前に、私が所属する市民オケでもこの曲を演奏したのだが、練習の合間に話題になったのは、第3楽章でソロのホルンが目立つにような位置取りをして演奏するのが多いが、いつからそうなったのだろうか、ということだった。私がライブのこの曲を4、5回聴いていたのだが、80年代以前で、ずいぶん前のことで、ホルンを立たせたり、前にだしたりはまったくしなかった。私が知っているかぎりでは、ラトルがベルリン・フィルの音楽監督になった最初の演奏会で、マーラーの5番を演奏したのだが、そのとき3楽章でホルンの首席を協奏曲のソロの位置、つまり指揮者の横に立たせて演奏させていたのが、最初であった。その映像をみてびっくりした記憶がある。その後、前に立たせることはあまりないとしても、特別な位置にたって演奏するのは、なんども映像でみた。私たちの演奏会では、座って演奏したが、それでも、時間をとって、木管のフルートの位置あたりまで出てきて、特別感をだしていた。 “ショルティ・シカゴのマーラー5番” の続きを読む

アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに

 予約注文していたアバド式の「フィガロの結婚」のブルレイ・ディスクが今日届いた。これはずっと発売を待っていた映像だった。HMVの書き込みでも、要望として書いたことがあった。おそらく、私と同じように発売を渇望していたひとがたくさんいたに違いない。LDで発売されたのをずっと見ていたのだが、DVDやBDではまったく発売されないできた。1991年のライブ映像だから、すでに30年以上たっている。不思議なことに、ドイツ・グラモフォンからコンプリートまででており、また映像ソフトも多数でているのに、なぜかモーツァルトのオペラ映像は、これまでまったく出ていなかった。ドン・ジョバンニは2種類の映像があるし、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛も映像がある。テレビでの放映はされているのだから、発売をアバドが許可しなかったとも思えないのである。 “アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに” の続きを読む

東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く

 今日、東京交響楽団によるバッハ「マタイ受難曲」を、ミューザ川崎コンサート・ホールで聞いてきた。2時開始で終了が5時半という、オペラなら普通だが、合唱曲とはいえ、定期演奏会としては、異例の長時間の演奏会だった。ミューザ川崎は、初めていったのだが、以外と便利なので、これからもたまにいくかも知れない。このホールは、響きのよいことで有名で、日本で最もよいという演奏家の声もある。席がよかったせいもあるが、とても心地よい響きだった。
 ジョナサン・ノット指揮、カタリナ・コンラディ、アンナ・リヒター、ヴェルナー・ギューラ、ミヒャエル・ナジという外国人歌手に、桜田亮、萩原淳、加藤宏隆の日本人歌手、合唱は東京交響楽団専属の合唱団と東京少年少女合唱隊が参加していた。 “東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く” の続きを読む

ドホナーニが亡くなった

 今月6日に、指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニが亡くなった。ブムロシュテットについで、現役最長老指揮者だった。冥福を祈りたい。
 ただ、私は、ドホナーニをほとんど聴いてこなかった。もっているCDは、ブラームスの1番と2番、そして、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」のロイヤル・オペラのライブDVDだけだった。ブラームスは単品で購入したので、聴いたと思うのだが、あまり印象に残っていない。サロメは悪くないけれども、なんといっても、サロメにはカラヤンの圧倒的名演があるので、どうしても辛くなってしまう。というわけで、優れた指揮者であることは充分に認識していたが、普段聴く対象ではなかった。 “ドホナーニが亡くなった” の続きを読む

東京都交響楽団での「現代音楽」感想

 昨日、東京都交響楽団の定期演奏会Aにいってきた。プログラムはすべて、いわゆる現代音楽に属するもので、好きな人にとってはたまらない演目だが、すきではない者にとっては、二度と聴きたくないようなものだった。残念ながら私は後者のほうだ。曲目は
 トリスタン・ミュライユの「ゴンドワナ」
 夏田昌和の「オーケストラのための<重力波>
 黛敏郎の「涅槃交響曲」
 私はすべて初めて聴く曲だった。何故、感想がはじめからわかっている演奏会に行ったかというと、2025年度の定期会員になったからである。前回は、アルバン・ベルクとブラームスだったし、今後もいろいろあるのだが、定期会員だから、仕方なくというほどでもないが、たまにはいい経験かもしれないと思っていたことも間違いない。 “東京都交響楽団での「現代音楽」感想” の続きを読む

カラヤンのニューイヤー・コンサート

 久しぶりにカラヤン指揮のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートのDVDをみた。実は、これまで最初から最期まで一時に見たことはなかったので、全部見たことによる思わぬ発見がいくつかあった。そして、部分的に違和感も感じたが、やはりカラヤンはウィンナワルツでも超一流であり、さすがオーストリア人である。 “カラヤンのニューイヤー・コンサート” の続きを読む

2025ニューイヤー・コンサート がっかりした

 毎年1月1日にウィーンフィルのニューイヤー・コンサートをテレビでみて、翌日録画をステレオで聴きなおし、感想をブログに書くという習慣が続いていたが、今年はなかなかそういう気分にならなかった。あまりにコンサートの出来にがっかりしたからである。昨年のティーレマンにもがっかりしたが、今年はそれ以上だった。いかに注目に値する演奏会にするからといっても、このようにウィンナワルツを指揮するのにふさわしくないような「スター指揮者」を起用するのをやめたらいいのではないかとまで思った。(もちろん、ムーティは大指揮者であり、私は大方の録音をもっているから、ムーティの偉大さは充分に認識しているが。)

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松戸市民コンサート2024

 私が所属する松戸シティフィルと年末の市民コンサートのために毎年新しく結成される合唱団との合同演奏会「松戸市民コンサート」が昨日行われた。曲目は、ブラームスの「大学祝典序曲」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、そして、メインがモーツァルトのレクイエムだった。松戸の市民オケの魅力は、この年一回の合唱曲の演奏にある。多くの市民オケには、こうした演奏会はないと思う。ただ、毎年だいたい宗教曲かベートーヴェンの第九なので、ほんとうはオペラがやりたいのだが、オペラの上演は演奏会形式であっても、とにかくソリストの数が多いので、なかなかとりあげるのが、財政上難しいようだ。それから、合唱団としても、宗教曲は、歌詞はそれほど複雑ではなく、だいたい決まった文言の繰り返しが多い。そして、曲が違っても、歌詞はそれほど大きくことなることはない。しかし、オペラはなんといっても、その筋にあった言葉で作曲されているわけだから、宗教曲のほとんどがラテン語であるのにたいして、言語もドイツ語、フランス語、イタリア語と多彩だ。そういう意味で、オペラの演奏は難しいのだが、なんとか、このオーケストラ在団中に一度はやりたいものだ。なんといっても、西洋クラシック音楽の最大の魅力はオペラにあるわけだから。

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