久しぶりにカラヤン指揮のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートのDVDをみた。実は、これまで最初から最期まで一時に見たことはなかったので、全部見たことによる思わぬ発見がいくつかあった。そして、部分的に違和感も感じたが、やはりカラヤンはウィンナワルツでも超一流であり、さすがオーストリア人である。
いままで部分的には何度もみてきたのだが、ああそうだったのか、と気付いたのが、倍管だったことだ。最近の映像では、チャイコフスキーなどでも、倍管での演奏をみることは稀だ。ニューイヤー・コンサートでは、当然2管編成だ。ウィンナ・ワルツの演奏で倍管にするなど、たぶんカラヤンだけなのではないだろうか。それほど時期的に離れていないクライバーだって2管だった。ところが、この倍管の効果はかなりあって、オーケストラの音がふくよかで膨らみがあり、温かみさえ感じさせるもので、しかも、非常に音がきれいに響いていた。カラヤンが作曲者の指定以上にオーケストラのメンバーを増やして演奏するのは、大きな音がほしいからではなく、弱音を美しく響かせるためだ、とどこかで読んだことがあるが、たしかにその言葉とおり弱音がほんとうにきれいに鳴っている。
倍管はいかにもカラヤンらしいというところだが、もうひとつオーケストラの編成で驚いたのは、トップのフルート奏者が、一部と二部で交代していたことだった。アマチャアのオーケストラなら、前半と後半で団員が交代することは普通だが、プロでは、私はみたことがなかった。これまで、この映像をみていて、まったく気付かなかったのが不思議なくらい、めずらしいことではないだろうか。バーンスタインがウィーンフィルとともに、ベルリンでマーラーの9番を演奏した映像があるが、これは、楽章ごとに客が違っていて、2回行われた演奏会を映像化するのに際して、楽章ごとに演奏のよかった方を採用したためなのだろうが、いかにも不自然な感じがある。楽団員の交代は気付いていないが、カラヤンのこの演奏では、聴衆はあきらかに同一だから、異なる日の演奏ということはありえない。
有名オケで、前半と後半でメンバーが入れ代わりがあったのは、クライバーがアムステルダムのコンセルトヘボーに客演したときに、多くの団員がぜひ出演したいということで、何人かが前半(ベートーヴェン4番)と後半(7番)で入れ代わっている。このことは、当時雑誌でも紹介されていたし、映像で確認できる。カラヤンのニューイヤー・コンサートがその後ないことはわかっていたろうから、メンバーの出演希望の調整があったということも考えられるのだが、当時カラヤンはウィーン・フィルの演奏会には頻繁にでていたから、そんなことあるかなあ?という疑問も拭えない。あるいは、前半の奏者が、体調悪化で急遽交代したのだろうか。
次に挿入バレエのことだ。この映像でみる限り、バレエは当日の演奏にあわせて、別会場で踊っている。1980年代の演奏だが、この当時は、ほぼ確実にリアルタイムでのバレエだったと思うのである。確実にリアルタイムで演奏にあわせて踊っていたことがわかるのは、楽友協会のロビーや階段などで踊っていたダンサーたちが、曲の終盤で演奏会場のホールになだれこんでいって、ホールの客席の間のスペースにひろがる、という光景が何度かあったことでわかる。このカラヤンの回では、ダンスの会場は異なるが、演奏場面とダンス場面が交互に切り替わるようになっていた。そして、皇帝円舞曲では、演奏場面から、大きな建物の外からの映像になり、雪が降っている。そして、建物のなかがうつし出され、バレエが始まる。また青きドナウでは、何度か演奏会場の演奏とバレエが切り替わるようになっていた。当然演奏は、ずっと一貫して続いていた。だから、後に別撮りになったのとは、まったく違うように映像処理がながれていたのだ。
では、何故、別撮りになったのだろうか、ということが気になる。クライバーがバレエを挿入することを拒否したというニュースがあったと記憶している。30年も前のことなので、詳細は覚えていないが、クライバー登場の1回目はバレエがあったように覚えているのだが、2回目はなかった。ということは、一回目のバレエのいれ方が気に入らなかったので、2度目は拒否したということになる。そして、その頃は、リアルタイムのダンスだったと思うので、そのことへの不満だったのだろう。というのは、バレエが踊られていることはわかっても、指揮者としては、それを確認できないわけだ。完璧主義者のクライバーとしては、それに我慢ならなかったのかも知れない。
そうしてバレエ挿入が中断したわけだが、その後いつ事前撮りになったのかは、私にはわからないので、何故かということも知りようがない。誰か知っている人がいたら、あるいはどこかに書いてあることを知っていたら、教えてもらえるとありがたいと思います。