つぎにアマチュアということでみてみよう。
五十嵐は、まさしく「アマチュア」であったということができる。それはもちろん悪い意味ではないが、専門家としては弱点であることも否定できない。
五十嵐は、最初の職が教育研修所の所員であり、そこで、アメリカの教育委員会の調査という課題を与えられていた。アメリカの教育委員会の多くは、財政権をもっており、したがって、教育委員会の研究をすれば必然的に教育財政の分野に踏み込むことになる。そして、研修所の主任であり、五十嵐を採用した宗像誠也が東大に移り、そして、五十嵐を呼んだわけである。このとき、五十嵐は、宗像の申し出を断ったという。教育研修所にこのままいたいというわけだ。結局、説得に応じて東大の助教授となるわけだが、私は五十嵐は本心で断りたかったのだと思う。五十嵐は、地位を求めることにはあまり関心がないような生活感覚を示していたが、東大のポストがさして魅力的でもなかったのではないだろうか。 “五十嵐顕は知識人か2” の続きを読む