ここ数日間、日本も核保有すべきだ、という政府高官のオフレコ発言が、表にでてきて、国際的、国内的に大きな問題・議論になっている。高市政権になれば、いずれ出てくるだろうとは思っていたが、意外に早かったという感じだ。高市支持派は、台湾有事発言と並んで、喜んでいるようだが、わざわざこうした波紋を起こしてどうするんだと思わざるをえないのが正直なところだ。
日本は唯一の被爆国なのに、という反論は、当然でてきているのだが、そうした観点ではなく、もう少し違う観点から考えてみたいと思うのである。
核保有論は、だいたい以下のような主張を含んでいるように思う。
1 世界は武力による脅し、実際の攻撃など、現実に起きており、日本が何時攻められてもおかしくはない。
2 しかし、そのように攻められない対策をとることが、もっとも有効であり、かつ必要である。
3 そのためには、核をもち、核による報復を可能な状態にしておくことがもっとも有効である。
以上のようなことだろう。
これは、決して核兵器を使って他国を攻めるというのではなく、攻められないような抑止力としての核であるということだろう。
考えなければならないのは、核をもっていれば、本当に攻められないのか、ということだ。たしかに、20世紀まではそうした現実はあった。核保有国が他国から攻められた事例は、おそらくひとつもなかったといえる。
しかし、21世紀になって、現実は変化しているのではないかと思うのである。
まず、911で、通常の戦争での攻撃ではないが、やはり、一種の攻撃である同時多発テロがアメリカで起きた。国家がアメリカを攻撃したわけではないが、国際テロ組織が計画的・意図的に攻撃したのだから、「核保有国は攻撃されない」という命題が、ここで崩れたといえる。
そして、ハマスやイランによるイスラエルへの攻撃が何度も起きている。イスラエルは核保有国である。現在のところ、ハマスやイランは、イスラエルに敗北しているが、攻撃したことは間違いない。
さらに、ウクライナによるロシアへの報復攻撃である。しかも、この場合、ロシアは、何度も繰り返し、核攻撃をするという脅しをかけている。それにもかかわらず、ウクライナは遠慮なくといってよいほどに、執拗なロシアへのドローンやミサイルによる攻撃を行っている。もちろん、今後ロシアが、報復として核をウクライナに投下する危険性はあるが、これまでの推移をみる限り、その可能性は高いとはいえないように思われる。可能性があれば、すでに実施しているのではないか。
このことから、でてくる一応の命題は
1 核保有国が軍事的に攻撃されないというのは、虚構である。実際に攻撃されている例が複数ある。
2 それにたいして、攻撃された側は、反撃しているが、核による反撃をした事例はひとつもない。つまり、核による報復的反撃には踏み出せないでいるのである。
もちろん、国際政治はこんな単純に定式化することは間違いだろうが、少なくとも、これまでの「核保有国は攻撃されない」という見解は、事実によって覆されているということ、そして、核保有国への通常兵器による攻撃よりは、それに対する核による報復は、はるかにハードルが高いことは、否定できないだろう。
「戦争は政治の延長である」という有名な言葉によるまでもなく、戦争を回避できる能力をもった政治・外交力が必要なのであって、核がその手段になるわけではないことを、政治家たちはもっと認識し、外交力をみがいてほしいものだ。