たしかに五十嵐は、当時の有力な理論であった「国民の教育権論」について、基本的には支持しながらも、批判的な見地を遠慮なく提起していた。また政府批判などもきびしいものがあった。こうした姿勢は、「環境適応型」とは違うのではないかという疑問も当然ある。
しかし、「国民の教育権」への批判的な見解についても、「国民の教育権論」の骨格そのものを批判、つまり、否定しているわけではなく、部分的な疑問を述べているに過ぎない。政府や権力への批判も、批判的陣営にいたわけだから、それは、むしろ陣営的に適応していたといったほうが、実態に近いだろう。
逆に、もし、環境適応型ではなく、真に主体的自律的人間であったなら、違うように振る舞ったのではないかと考えられることがいくつかある。 “五十嵐顕の人間類型的考察2” の続きを読む
カテゴリー: 五十嵐顕研究
五十嵐顕の人間類型的考察1
ここ数年間五十嵐顕の可能な限りたくさんの、つまり、全集に収録される文章のすべてを読んで、それまでの大学時代に受け、全集編集に参加するまで抱き続けてきた五十嵐顕像は、かなり根本的に変化することになった。それまでは、常識的に、戦闘的なマルクス主義教育学者だと思っていたが、そのこと自体は間違いないが、その前後にさまざまな変遷をしていること、そして、ずっと継続していた基本的人間型があることに気付いたのである。それは、端的に「環境適応型人間」と「宗教的人間・人格」である。その考えを共有する編集委員はなく、私の独自の規定であるが、私としては、かなりの確信をもってそう考えている。ただし、これは、非難とか批判ではなく、人間類型に属する人間であったとのリアルな認識である。
まず「環境適応型人間」について、そう考える理由をあげよう。 “五十嵐顕の人間類型的考察1” の続きを読む
五十嵐顕は知識人か2
つぎにアマチュアということでみてみよう。
五十嵐は、まさしく「アマチュア」であったということができる。それはもちろん悪い意味ではないが、専門家としては弱点であることも否定できない。
五十嵐は、最初の職が教育研修所の所員であり、そこで、アメリカの教育委員会の調査という課題を与えられていた。アメリカの教育委員会の多くは、財政権をもっており、したがって、教育委員会の研究をすれば必然的に教育財政の分野に踏み込むことになる。そして、研修所の主任であり、五十嵐を採用した宗像誠也が東大に移り、そして、五十嵐を呼んだわけである。このとき、五十嵐は、宗像の申し出を断ったという。教育研修所にこのままいたいというわけだ。結局、説得に応じて東大の助教授となるわけだが、私は五十嵐は本心で断りたかったのだと思う。五十嵐は、地位を求めることにはあまり関心がないような生活感覚を示していたが、東大のポストがさして魅力的でもなかったのではないだろうか。 “五十嵐顕は知識人か2” の続きを読む
五十嵐顕は知識人か1
エドワード・サイードの「知識人とは何か」を参考にして、矢内原忠雄と丸山真男を論じた文は、大変不充分なものなので、再度それぞれやがて論じておきたいが、今回は五十嵐を加える文となる。
再度簡単にサイードの知識人の要件をあげておくと、・アウトサイダー・アマチュア・現状の攪乱者となっている。
アウトサイダーとは、特定の人種、民族あるいは国家、共同体などにとらわれることなく、物事を普遍的な立場から捉えることができるという意味である。もちろん、そういうところに属していることは差し支えない、というより、属さないことが現代社会では不可能ともいえる。だから、その所属を超えることができるということだろう。 “五十嵐顕は知識人か1” の続きを読む
読書ノート『国体の本義』
五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む