五十嵐顕の人間類型的考察4

五十嵐は、レーニンの膨大な文章群から、教育に関係する文章を抜粋して、「レーニン教育論」を著作として刊行したが、その構成について、村山士郎氏が強く批判していることがある。それは五十嵐が、レーニンの否定的な側面は無視しているということである。レーニンは間違いなく、優れた政治指導者であり、理論家であったが、実際の政治活動のなかで、批判されるべきいくつかの選択をしている。革命後、選挙を実施したが、自党が敗北したために、議会を解散したり、教育においては、党が教育を指導し、また校長に権限を集中させるなどの政策をとったといわれる。そうしたレーニンの主張は、五十嵐「レーニン教育論」には含まれてこない。議会の解散は、教育の領域ではないにしても、おそらく、そうしたレーニンの行動は、五十嵐のレーニン像には入ってこなかったのだろうと思われる。五十嵐には、おそらく、レーニン、マルクス、社会主義についての、つよい世界観、倫理があって、それにそうレーニンの叙述を探し、構成したのだと思う。 “五十嵐顕の人間類型的考察4” の続きを読む

五十嵐顕の人間類型的考察3

 宗教的人格・人間という点について。
 人間は多様な性格や人格をもっているから、人間類型というパターンに当てはめてその人の評価を固定的にするとしたら、おそらく誤解することのほうが多いだろう。しかし、ある人の行動が、なにかいつも共通の性質をもっているとしたら、そこに「人間性」、類型化できる人格を想定することは、その行動を理解することに役立つのではないだろうか。 “五十嵐顕の人間類型的考察3” の続きを読む

五十嵐顕の人間類型的考察2

 たしかに五十嵐は、当時の有力な理論であった「国民の教育権論」について、基本的には支持しながらも、批判的な見地を遠慮なく提起していた。また政府批判などもきびしいものがあった。こうした姿勢は、「環境適応型」とは違うのではないかという疑問も当然ある。
 しかし、「国民の教育権」への批判的な見解についても、「国民の教育権論」の骨格そのものを批判、つまり、否定しているわけではなく、部分的な疑問を述べているに過ぎない。政府や権力への批判も、批判的陣営にいたわけだから、それは、むしろ陣営的に適応していたといったほうが、実態に近いだろう。
 逆に、もし、環境適応型ではなく、真に主体的自律的人間であったなら、違うように振る舞ったのではないかと考えられることがいくつかある。 “五十嵐顕の人間類型的考察2” の続きを読む

五十嵐顕の人間類型的考察1

 ここ数年間五十嵐顕の可能な限りたくさんの、つまり、全集に収録される文章のすべてを読んで、それまでの大学時代に受け、全集編集に参加するまで抱き続けてきた五十嵐顕像は、かなり根本的に変化することになった。それまでは、常識的に、戦闘的なマルクス主義教育学者だと思っていたが、そのこと自体は間違いないが、その前後にさまざまな変遷をしていること、そして、ずっと継続していた基本的人間型があることに気付いたのである。それは、端的に「環境適応型人間」と「宗教的人間・人格」である。その考えを共有する編集委員はなく、私の独自の規定であるが、私としては、かなりの確信をもってそう考えている。ただし、これは、非難とか批判ではなく、人間類型に属する人間であったとのリアルな認識である。
 まず「環境適応型人間」について、そう考える理由をあげよう。 “五十嵐顕の人間類型的考察1” の続きを読む

五十嵐顕は知識人か2

 つぎにアマチュアということでみてみよう。
 五十嵐は、まさしく「アマチュア」であったということができる。それはもちろん悪い意味ではないが、専門家としては弱点であることも否定できない。
 五十嵐は、最初の職が教育研修所の所員であり、そこで、アメリカの教育委員会の調査という課題を与えられていた。アメリカの教育委員会の多くは、財政権をもっており、したがって、教育委員会の研究をすれば必然的に教育財政の分野に踏み込むことになる。そして、研修所の主任であり、五十嵐を採用した宗像誠也が東大に移り、そして、五十嵐を呼んだわけである。このとき、五十嵐は、宗像の申し出を断ったという。教育研修所にこのままいたいというわけだ。結局、説得に応じて東大の助教授となるわけだが、私は五十嵐は本心で断りたかったのだと思う。五十嵐は、地位を求めることにはあまり関心がないような生活感覚を示していたが、東大のポストがさして魅力的でもなかったのではないだろうか。 “五十嵐顕は知識人か2” の続きを読む

五十嵐顕は知識人か1

 エドワード・サイードの「知識人とは何か」を参考にして、矢内原忠雄と丸山真男を論じた文は、大変不充分なものなので、再度それぞれやがて論じておきたいが、今回は五十嵐を加える文となる。
 再度簡単にサイードの知識人の要件をあげておくと、・アウトサイダー・アマチュア・現状の攪乱者となっている。
 アウトサイダーとは、特定の人種、民族あるいは国家、共同体などにとらわれることなく、物事を普遍的な立場から捉えることができるという意味である。もちろん、そういうところに属していることは差し支えない、というより、属さないことが現代社会では不可能ともいえる。だから、その所属を超えることができるということだろう。 “五十嵐顕は知識人か1” の続きを読む

読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

五十嵐顕考察32 藤野先生(魯迅)

 五十嵐は、教育学の中核に「教育実践」という概念を常においていた。最初の論文集『民主教育論』でも、教育実践が、教育研究に先行し、また中核を占めることを強調している。しかし、他の概念もそうだが、五十嵐の教育学概念のなかで、「教育実践」がいかなる内実をもっているのかは、明確でない。少なくとも、常識的に考えられる教育実践よりは、広い概念であると考えられる。常識的に考えられる教育実践は、(私の考えに過ぎないが)教師が教室で行う授業実践が中核となるといえる。しかし、五十嵐は、そうした教師の具体的な教室における実践を、ほとんど対象としていない。教育財政学が専門だから、当たり前ともいえるが、具体的に教室で授業を見ることは、何度もあったはずであるし、また、自身が教授として、大学で授業をしていたのだから、そういうなかで、実践分析をすることがあってもよかったのではないかと思うのだが、私が見る限り、そういう教育実践分析の文章は、ほとんどみられない。

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五十嵐顕考察31 民族の独立という問題

 五十嵐は、教育行政のいわゆる反動化、逆コースといわれる時期をすぎると、民族の独立問題を重視するようになる。それは、日本がアメリカの統治から独立したにもかかわらず、平等とはいいがたい安全保障条約を結び、日本各地に米軍の基地が残り、真の独立が達成されていないという認識から、対米従属からの独立という政治課題を重視したからであろう。そして、それに留まらず、戦後、植民地状況から独立を果したアジア・アフリカの独立、そして、民族自立を議論の柱のひとつとするようになる。そして、その中心が、中国と北朝鮮であった。五十嵐を含む教育関係者が、中国を訪れ、各地の教育関係者や子どもたちを交流をかさねたのは、1961年である。そして、五十嵐は、教育財政の専門家という立場から、社会主義国家における教育の機会均等や教育費の問題を論じている。

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五十嵐顕考察30 「教育財政学」はなぜ書かれなかったのか2

 五十嵐が、なぜ、教科書無償制度について、なんらふれることがなかったのかについて、前回簡単な想像を書いたが、実際のところは、よくわからない。当時の『教育』や『教育評論』などを読み返す必要があるが、今はそれが難しいので、「理由」は、おそらく、日教組に遠慮したということにしておこう。
 今回考えてみたいのは、教科書無償制度について議論の対象としなかったことが、教育財政論や行政論、そして、国民の教育権論として、どのような結果をもたらしたか、ということである。結論は、かなりはっきりしている。それは、当時の戦後改革を継承しようとしていた人が、共有していた「教育の自由」を、非常にぎりぎりのところで考えるきっかけを放棄してしまい、その後の「教育の自由論」が脆弱なままに推移したということである。

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