読書ノート『きけわだつみのこえの戦後史』保阪正康

 五十嵐顕著作集のなかで、戦争責任に関する視点は、重要な部分をしめており、しかも、五十嵐のこの点での見解は、時期によって、かなりの変動があるように思われる。そして、晩年は、もっぱら『きけわだつみのこえ』のなかにある木村久夫に、かなり異様なほどのこだわりをみせていた。これをどう読むか、なぜ、あれほどのこだわりをみせたのかは、今後検討しなければならないが、一緒に著作集編集の仕事をしている同僚から、上記の本を紹介されたので、早速読んでみた。最初『文芸春秋』で発表し、何度か書き継がれ、出版後、大きな話題を呼んだという。そして、現在は文庫になっているが、私が読んだのはキンドル版である。

 本の内容は、わだつみ会が戦後の長い歴史のなかで、どのように変質してきたか、そして、現在かなり憂慮すべき状態にあることを告発するような内容になっている。正直、私自身は、かなり若いころに、部分的に『きけわだつみのこえ』を読んだだけで、熱心な読者になったことがない。多くの人が読むのが、学生時代だろうが、私が学生のころは、ベトナム戦争が極めて激しく闘われ、連日北爆の様子が放映されていたために、戦争問題はベトナム問題であり、平和のための活動は、ベトナム反戦という意識だったから、日本であっても、過去の戦争よりは、今の問題に集中していたからだった。岩波が、『きけわだつみのこえ』の新版をだしたとき、以前のバージョンは省略が多く、それを訂正して、完全版にしたというような触れ込みだったので、読もうかとも思ったが、それでもあまり読む気がおきなかった。今回、この保阪氏の本をよむと、実は、この岩波の新版は、かなりデタラメな編集がなされており、裁判にもなったと書かれている。もっとも、裁判の進行中に、岩波が訂正を進めて、原告の要求が満たされたので和解にいたったのだそうだが、最初の版もその新版もキンドルで読めるようなので、近々読もうとは思っている。
 
 『きけわだつみのこえ』は、戦後の出版のなかでも、非常に大きな影響を社会に与えたものだが、当時の情況や出版の目的からして仕方ないとしても、常々私が思っているのは、集められた戦没学生の遺稿のなかから、反戦的な内容だけが選ばれているという点が、少々疑問であり、やはり、国のために死ぬことを名誉として受け入れているような内容の文も多数あるというから、そうした遺稿も掲載すべきであると感じている。私は、戦争の悲惨さ、というか、ファシズムの恐ろしさは、本気で天皇のために死ぬ決意をしてしまうような人間性を、教育のなかで育ててしまうことにこそあると思うからである。集まった遺稿のなかでは、そうした「軍国主義的」なもののほうが多かったというのだから、量的なことはさておき、そうした文章のほうにこそ、分析が必要だと思うのである。
 出版は、戦後民主改革の反動期にかかっていた時代だったので、反戦的な内容のものを中心にしたのは、ある意味自然なことだったろう。当初だれも予想しなかったほど、増刷するとすぐに売り切れという情況だったそうだ。そして、その編集をになったひとたちを中心に、「わだつみ会」が組織され、それが紆余曲折をへて、現在かなり問題多い情況になってきたという、その経過を当事者たちへの取材をおこないながら、まとめたのが本書である。
 この組織は、むずかしい要素をもっていたことは、間違いない。まず、最初のきっかけは、東大の学徒出陣して戦死した者の遺稿を集めた『はるかなる山河に』であり、東大だけではなく、全国に拡大しようということで、大学を問わず学徒兵を対象にしたという経緯があった。当然、その編集にかかわったひとたちは、大学関係者が多く、編集者は大学教授が中心で、学生たちが作業を担った。届けられた遺稿を原稿用紙に書き写し、それを謄写版による印刷をして、編集者たちの検討のために配布する。そういうかなり大変な作業を、有志の学生たちがやっていたそうだ。それが、わだつみ会のメンバーにも当然影響を与え、知的エリート中心の運営になっていった。そして、そこに活動家の学生がたくさんはいって、政治活動も担うようになった。それが運営をむずかしくした結果、その後、中心人物が代わり、第三次から第四次になるときに、ある種クーデタのようなやり方で、運営陣の入れ換えが起こったという。そのことがかなり詳細に語られている。
 
 そうしたことの詳細は、ぜひ本書を読んでほしいが、私がその過程で気になったことは、五十嵐が完全に非難の対象になっていることである。
 保阪氏は、クーデタを起こしたひとたちのやり方を非難しており、それが書かれているとおりであるとすれば、まったく民主主義に反するやり方だが、クーデタを起こしたひとたちの「論理」は、これまで「被害者」として描かれていたが、結局、学徒兵とはいえ「加害者」でもあることを忘れるな、という主張を掲げていたという。五十嵐が、そのクーデタにかかわっていたなどということではまったくないのだが、(五十嵐は、機関誌に寄稿していただけで、運営とはまったく無縁だったといえる。)加害者性を押し出したのが、五十嵐という位置付けになっているのだ。保阪氏は、次のように書いている。
 
 「一連 の 五十嵐 の 文章 を 読ん で いく と、 結局、 五十嵐 の 言い たかっ た こと は、「 木村 久 夫 の 遺書 における『 全日本 国民 の 遠い 責任』」 に 凝縮 さ れ て いる よう に 思える。 わだつみ 会 に 入会 し た のも、 これ を わだつみ 会 の 機関誌 に 掲載 し たかっ た からとさえ 言える。 この 稿 で 五十嵐 は、「 木村 の 遺稿 の なか に 吐露 さ れ て いる 心情 や 戦争 の 総括 は 誤っ て いる」 という こと と、「 戦争 責任 について 木村 は 論じ て い ない が、 私 には わかる」 という 二つ の こと を、 繰り返し 語っ て いる。 要するに 五十嵐 は、 木村 は 反省 が 足ら ず、 BC 級 戦犯 として 裁か れ て 当然 だ と 言い たい の だ。 生者 による 安易 な 死者 の 断罪 で あり、 木村 の 遺族 に 耐え られる もの では ない。」
 
 私は、この間五十嵐の文章を、どんどんファイル化する作業をしており、木村久夫関係の文章はすでにすべてじっくり読んだが、木村の加害者性を強調するというように読める文章は、記憶にない。「自分は死刑に値するようなことをしたことはない」という木村の文章を、五十嵐は何度も引用しており、その点について異論をはさんでいるわけではない。五十嵐が問題にしているのは、にもかかわらず、なぜ死刑にならねばならないのか、という自身の問いにたいして、木村が、「全日本国民の遠い責任」を負わざるをえないのだという形で納得しようとしていることを、どう考えるのか、それで納得できるのか、と問題にしている。五十嵐のいいたいことも、たしかに非常に分かりにくいのだが、少なくとも、木村は死刑になるような加害責任がある、などと主張しているのでないことは確かだ。保阪氏に質問をしてみようと思っている。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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