「鬼平犯科帳」がっかりする話 引き込み女

 「引き込み女」は文庫の19巻なので、かなり晩年の作品になる。さすがに晩年の話は、矛盾したり、おかしな設定になっていることがけっこう目立つ。「引き込み女」は、前の話とのつながりが間違っていることから、話の展開も不自然なのである。だいたいの筋はこうだ。盗賊磯部の万吉をみかけたというので、その方面の探索をしている途中で、おまさが、むかしの仲間お元が、じっと川面をみつけているのをみかける。そして、跡をつけ、とある商家の引き込みにはいっていることをつきとめる。そこで、長谷川平蔵は、見張り所を設定して、その商家を見張っているのだが、なかなかお元は外出しない。足を洗ったのではないかなどといっているうちに、外出したので、彦十とおまさが跡をつける。外出の目的は、女主人の化粧品を買うことだったようだが、そのあと茶屋にはいってなかなかでてこないので、おまさがおもいきって茶屋の中にはいり、偶然であったかたちで話をする。相談したいことがあるというお元のために翌日も会うことになり、そこで、養子の主人(さんざん姑と妻にいびられている)が、お元を気に入り、駆け落ちしようとつよく迫っていることで、悩んでいたのである。結局、盗みの決行の日に、お元は逃亡してしまうが、一年後、江戸で死体となって発見されたという結末だ。

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「鬼平犯科帳」がっかりする話 雨乞い庄右衛門

 「鬼平犯科帳」は、どの話もよくできていると思うが、なかには、部分的に不充分さ、不自然さを感じるものもある。そういう話をいろいろと考えてみよう。別に順位をつけるものではない。
 前にも、同じ観点での紹介をしたので、そのときにあげたものはできるだけさけることにする。まずは「雨乞い庄右衛門」である。
 庄右衛門は盗賊の頭だが、かなり深刻な病気になって、人生を一度は諦めたようだが、温泉につかってみようと考え、故郷に近い山里離れた温泉で3年間療養をした。すると、健康を回復したので、江戸にでて、最後の盗みをして、団を解散しようと考えていた。
 ところが、その間に、若い手下たちが、離反しており、元気になって一人江戸にむかった庄右衛門と、手下の定七と市之助とが街道でばったりあい、迎えにきてくれたと喜んだ庄右衛門は、いっしょに江戸に向かうことになる。しかし、ふたりは庄右衛門を暗殺するためにでてきたので、夜、宿屋で襲う。しかし、偶然同じ宿に泊まっていた岸井左馬之助がそれを知り、助ける。そして、左馬之助が護衛のようなかたちで、いっしょに江戸に向かうが、途中で発作をぶり返し、そのまま庄右衛門は死んでしまう。しかし、その前に、彼を怪しんでいた左馬之助は、長谷川平蔵の友人であることをあかして、庄右衛門に最後の望みをかなえさせてやるともちかけ、仲間の情報をえる。そして、急ぎ平蔵に知らせて、全員逮捕するという結末だ。この結末には、さらに逸話がそえられており、お礼をしたいという平蔵に、なんでもよいという条件を認めさせ、平蔵愛用の名刀和泉守国貞を所望し、平蔵が恨めしげに名刀をわたす場面で終わる。

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「鬼平犯科帳」のベストは4

 前回までで4つのベストをあげたので、今回は最後の5つめだ。かなり迷ったのだが、「おかね新五郎」という作品を選ぶことにした。これは、盗賊団を相手にした物語ではなく、また、平蔵のあまり好ましからぬ過去が関係しているもので、なかなか考えさせるものがある。
 おかねは、昔ながしの売春をしていた女だが、平蔵と同じ高杉道場に通っていた原口新五郎と互いに愛しあっており、子どもができたが、おかねのほうが、新五郎の迷惑になると思って身をひいてしまい、子どもができたことを新五郎が知らぬままだった。
 あのとき、平蔵がおかねが行くのをみかけ、あとをつけていくと、おかねは弥助という人物をおいかけており、包丁で切りつける。とっさに平蔵も飛び出そうと思うが、実は平蔵をおってきた武士が切りつけたので、それで手間取ってしまい、浪人をきって、さすがのおかねも弥助に逆襲されかかっていたところを、平蔵が間一髪助ける。
 ここで、ふたつの過去の話が語られる。

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「鬼平犯科帳」のベスト 3

 私の推す「鬼平犯科帳」ベスト4は「鈍牛(のろうし)」だ。知能の足りない亀吉が、放火犯にされて処刑寸前になっているが、長谷川平蔵が、濡れ衣をはらし、真犯人をつかまえる物語である。これが、実際にあった話かはわからないが、平蔵の父親の信雄が、火付盗賊改めだったときに、放火犯が捕まって、かなり真犯人である可能性が高かったが、それでも信雄は慎重に捜査をすすめ、犯人であることが疑いない状態になって、判決をくだした事実があるという。父信雄が優れた人物であったことの証拠として、よく引き合いにだされる事実である。この「鈍牛」は、そうした実話を念頭において、平蔵に重ねたのかも知れない。
 平蔵が北陸に出張っている最中に、亀吉は、田中貞士郎という同心がつかまえた放火犯で、この田中同心は、まったく手柄をたてられずに、肩見が狭い思いをしていたので、大きな手柄だと平蔵も考え、「よかったな」と誉めている。中心的な同心と、そうでない同心という事実上の序列社会であることが、示されていることも興味深い。奉行クラスは、旗本が一応適材適所で選ばれていくが、こうした与力・同心は御家人で、しかも世襲であることが多い。したがって、能力差もかなりあったはずである。

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鬼平犯科帳のベスト 2

 「お熊と茂平」についても、以前に書いたので、簡単にすると、この話の面白さは、平蔵の勘違いが、その後事実に変化していくことにある。
 茂平が臨終の場で、お熊に「自分の死を畳屋庄吉に知らせることと、お金を孫娘にわたす」ことを依頼するが、お熊はお金が57両という大金だったので、平蔵に知らせる。平蔵は、茂平が盗賊の一味で引き込みとして寺にはいっていたという勘違いをして、畳屋に対する警戒体制をとる。実際には、茂平は盗賊ではなく、畳屋の親類だったのだが、畳屋は実際に盗賊で、茂平のかわりに、寺にひとを紹介するということで、引き込みをいれてしまう。ここで、平蔵の錯覚が、現実に転化するわけである。そして、先手をうって、畳屋を逮捕してしまう。庄吉は、葬儀をするために、茂平の遺体をとりにきて、寺の様子を知り、そこで初めて、ここに押し入ったらどうかと思ったわけだ。

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鬼平犯科帳のベストは

 昨年来、シャーロック・ホームズと鬼平犯科帳の比較をやっているが、これがなかなか面白い。もちろん自分勝手な感想だが。
 そして、よく考えるのが、それぞれのベスト作品はどれかということだ。これについては、ふたつの小説は、まったく異なる事情になっている。シャーロック・ホームズは、作者も読者も、1位と2位は一致しているというのが、定説である。1位は「まだらの紐」、2位は「赤毛同盟」である。私もこの評価に完全に同意している。「まだらの紐」は、昔はインドで成功した医者だったが、あることで刑務所にはいることになり、出獄後、すっかり人格が変わってしまい、イギリスに帰って来てから、連れ子の姉妹の財産をあてに生活することになっている。地方の名士なのだが、結婚間近になった姉を殺害し(結婚してしまうと、その彼女の遺産は完全に彼女のものになってしまう)、そして、妹が結婚することになったときにも、それを試みている。しかし、おかしいと考えた彼女がホームズに相談し、ホームズは、すぐに危険を察知して、当日にふたりの住む家に出向き、解決する。義父の企んだ方法は、インドの毒蛇を寝室に侵入させ、娘に噛みつくように仕向けるという方法だった。蛇を呼び返すための口笛に不信を抱いた姉が妹に相談する場面もあるのだが、その日の夜に、噛まれて死んでしまう。妹は、結婚が決まると、家の工事をするということで、姉の部屋(となりが義父が使用する部屋で、そこの金庫に蛇がいて、双方の部屋をつなぐ穴があいており、姉の部屋には、つかわない呼び鈴のための綱があり、ベッドが固定されている)に移されてしまい、口笛が聞こえたので、不安になったわけである。そうした事情から、毒蛇で姉妹を殺害することを見抜き、ホームズとワトソンは、姉の部屋で蛇がやってくるのを待ち、ステッキをふるって追い返すと、興奮した蛇が飼い主を噛み殺してしまう。

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「鬼平犯科帳」平蔵は盗みをしたことがあるか

 シャーロック・ホームズは、ときどき犯罪者と対抗するためだが、違法な行為をしている。とくに、悪質な脅迫魔として、何人も人々の運命を台無しにしたミルバートンの屋敷に忍び込んで、書類を処分したのは、不法侵入であり、また、文書を盗んだも同然だろう。さすがのワトソンも、この試みの前には、賛成できないことをシャーロック・ホームズに主張している。ホームズは、庭師に化けて屋敷に雇われ、ここの女性の雇い人と婚約までして、内部の情報を聞き出す。そして、絶対にミルバートンが寝ているときに、侵入するのである。しかし、このときミルバートンは約束があり、おきていて、ホームズたちが侵入した部屋にやってきて、ぶらぶら過ごしている。そして、そのうち約束の女性がやってきて、ミルバートンを銃で殺害してしまう。そして、彼女が去って、混乱している間に、書類を全部燃やしてしまい、逃れるのだが、ワトソンは捕まりそうになり、そのときワトソンは人相を見られてしまう。翌日警部がやってきて、人相を語るが、いかにワトソンに似ていても、ふたりが侵入犯と思われるはずもなというわけだ。
 では、平蔵はどうなのか。ホームズは創作の人物だが、長谷川平蔵は実在の人物であり、旗本の身分だから、盗みなど実際にはしなかっただろう。しかし、小説のなかでは、なかなか微妙に書かれている。

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「鬼平犯科帳」密偵たちの死4 伊三次

 死んだ密偵として、「鬼平犯科帳」をよく知る人なら、誰もが、何故伊三次がでてこないのか、と思ったに違いない。やはり、伊三次は最後にとりあげる密偵だ。伊三次は、小説でも、ドラマでも、人気のある人物で、伊三次を演じた三浦浩一は、役者人生の半分は、伊三次を演じていたといって、この役を自分の宝と思っていると語っていた。役をもらったときには、まだ原作を読んでおらず、友人から、伊三次は「五月闇」で死んでしまうと教えられ、プロデューサーに「五月闇」はドラマの最後にしてほしいと頼んだのだそうだ。しかし、6シリーズで演じてしまったので、その後は、でないつもりでいたところ、再度出演依頼があったが、断る三浦に、「まだ伊三次が生きていたときの話」というナレーションをいれることで、オーケーしたという。シャーロック・ホームズを殺してしまったコナン・ドイルに、抗議が殺到した、というほどではないだろうが、かなり似たような反応があったのかも知れない。

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「鬼平犯科帳」死んだ密偵3

 4人目は、馬蕗の利平治だ。
 利平治は、髙窓の久兵衛という頭の専属の嘗役(なめやく)盗賊だった。嘗役というのは、各地をあるいて盗みの対象になりそうな商家をみつけ、内部の情報を調査して、盗賊にその情報を売りつける盗賊の一種である。本当にそういうひとたちがいたかどうかはわからないが、「鬼平犯科帳」のなかには、たくさんの嘗役が登場し、ほとんどはフリーランスで、複数の盗賊に売っている。だが、この利平治は専属嘗役で、頭に気に入られ、また、頭に絶対的に忠誠だった。しかし、久兵衛が死んだあと、仲間割れがおき、一部が利平治がどこかに隠しているノートを奪う目的で、一緒に旅をしている。利平治は、実はノートを狙われていることがわかっているので、なんとか逃れたいと思っている。しかし、利平治を殺したらノートが手に入らないので、ずっと付きまとっているわけだ。そして、そのとき、丁度熱海に家族や密偵何人かと湯治にきていた平蔵と遭遇し、知り合いの彦十が仲をとりもって、平蔵が護衛をかってでることになる。利平治は、堅気になろうとしている久兵衛の息子に会うために江戸にいくつもりなのだが、息子も何人かの久兵衛の手下に狙われている。平蔵が結局彼らを成敗して、利平治に身分を明かして、放してやるのだが、やがて利平治は自ら出頭し、息子をとらえないという条件で、自分が自首し、ノートを平蔵に渡す。そして、平蔵の説得で、密偵になるのである。「熱海の宝物」という利平治登場の章だ。

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「鬼平犯科帳」密偵たちの死2

 今回は雨引の文五郎を取り上げよう。文五郎は隙間風の文五郎というあだ名をもっていて、際立って盗みの技術が高い盗賊だ。隙間風というのは、どこにでも入り込むということらしい。闘う能力も高いが、盗みではけっして殺しなどをしない、池波のいう「本格派」である。しかも、極めて義理堅いといえる。だが、そんなことは、盗賊だからというわけでもないだろうが、相手には伝わっていない。つまり、思い込み、誤解が入り組んで、事態が絡まった展開をしていく。
 
 
ある意味、長谷川平蔵はこの文五郎が気に入っているので、かなり事件が複雑に展開し、裏切られもするが、死んでしまった文五郎を惜しんでいる。2つの話で登場、最後は自害をする。最初は「雨引きの文五郎」という章である。

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