「鬼平犯科帳」のベスト 3

 私の推す「鬼平犯科帳」ベスト4は「鈍牛(のろうし)」だ。知能の足りない亀吉が、放火犯にされて処刑寸前になっているが、長谷川平蔵が、濡れ衣をはらし、真犯人をつかまえる物語である。これが、実際にあった話かはわからないが、平蔵の父親の信雄が、火付盗賊改めだったときに、放火犯が捕まって、かなり真犯人である可能性が高かったが、それでも信雄は慎重に捜査をすすめ、犯人であることが疑いない状態になって、判決をくだした事実があるという。父信雄が優れた人物であったことの証拠として、よく引き合いにだされる事実である。この「鈍牛」は、そうした実話を念頭において、平蔵に重ねたのかも知れない。
 平蔵が北陸に出張っている最中に、亀吉は、田中貞士郎という同心がつかまえた放火犯で、この田中同心は、まったく手柄をたてられずに、肩見が狭い思いをしていたので、大きな手柄だと平蔵も考え、「よかったな」と誉めている。中心的な同心と、そうでない同心という事実上の序列社会であることが、示されていることも興味深い。奉行クラスは、旗本が一応適材適所で選ばれていくが、こうした与力・同心は御家人で、しかも世襲であることが多い。したがって、能力差もかなりあったはずである。

 しかし、平蔵帰宅の夜、筆頭同心の酒井が、「街のひとたちは、亀吉が放火犯のはずがない、と話している」という噂(粂八が聞き込んできて、酒井に知らせた)を、平蔵に知らせる。翌日、平蔵は、放火犯としてさらし者になっている亀吉を見に行くが、亀吉とさらに見物人の様子をみて、噂が本当ではないかと思い、次々と手を打っていく。
 まず、町奉行に処刑を延ばしてもらうことを要請し、また、亀吉と牢で会えるように取り計らってもらう。そして、亀吉が奉公していた柏屋を訪問して、関係者の話を確認する。柏屋のひとたちは、口々に亀吉の無罪を訴える。しかし、亀吉は、拷問にあっていて、自分がやったと自白をしていた。これが、平蔵にとっては、やりにくいことだった。そして、実際に亀吉を捉え、尋問したという田中貞士郎の密偵の源助を呼び出し、厳しく問いただすと、亀吉が犯人かどうかは自信がないと白状する。ここに至って、平蔵は、亀吉が真犯人ではないことを、ほぼ確信し、翌日亀吉に会いにいく。その場の尋問は、誘導尋問のような印象をうけるが、亀吉が放火をしたとすると、主人の柏屋も罰せられると告げると、自分はやっていないといいだす。そして、真犯人をみたと表情で示すが、それが誰であるかは、口を閉ざす。そこで、平蔵は、さらにさらし者の期間を延ばしてもらい、平蔵と酒井がずっと亀吉の側で見張ることにする。そして、とうとう数日後、様子のおかしな見物人がいたので、捉えると、自分が火をつけたことを認めたという結末である。
 真犯人の安兵衛は、亀吉のことを以前から知っていた。亀吉の母親が、知恵遅れの子どもを生んだために離縁され、その後女郎をしながら、亀吉を育てるが、病気で死んでしまう。安兵衛はその客だったことで、亀吉を知っていたのである。母親は死ぬ前に、亀吉の姉が奉公している柏屋への行き順を書いた紙をもたせて、人に聞きながらここに行け、といって死んでいく。そして、亀吉は、柏屋で実直に働き、誰からも好かれていたわけである。亀吉には、火事のときのアリバイがなかったが、柏屋の女将の病気祈願でお参りをしていたのだと平蔵に語っているが、他のひとにはいわなかったらしい。お参りの帰途、安兵衛が放火しているところに、偶然かちあってしまい、「誰にもいうな」という安兵衛の言葉を守ったわけである。
 平蔵や酒井が、亀吉無罪を感じさせたのは、さらし者になっているのをみているひとたちの、同情心にみちた様子と、放火のときに盗んだというお金が出てこなかったことだったが、亀吉の悪いことなどしそうにない表情もあったのではなかろうか。
 
 この話の結末もなかなか興味深いものがある。無罪の者を捉えて、一端は火あぶりの刑が確定し、すんでのところで処刑されていたという事態にたいして、平蔵の責任を問う声もあったが、若年寄からの叱責ですむ。しかし、密偵の源助は遠島、田中同心は役職を解かれ、江戸追放となった。つまり、無実の者をあやまって逮捕し、あやまった判決を導き出したということで、捜査した者が、かなりの罰をうけたというのだ。おそらく、滅多にないことだと思うが、表面化してしまうと、こうした処分もなされたようだ。
 拷問が行われていた時代だから、拷問の苦しさから、やっていないことをやったと自白してしまうこともあったと思われ、そういう意味では無実の罪で処刑された人もいるだろうが、そのほとんどは、それが誤審であったことなど証明されることなど、ほとんどなかったろうから、こうした処分はごくめずらしいことだったろう。
 しかし、こうした処分が行われていたのだとすると、どんなに誤審・誤捜査があったとしても、刑事や検察が罰せられることがない現在よりは、江戸時代のほうが、責任をとらされる仕組みだったともいえる。もっとも、現在は、無実の罪で服役させられていたことがわかれば、国家が賠償する仕組みがあるので、刑事が罰せられるよりは、被害者にとっては好ましいかも知れない。
 
 もうひとつ、この話の魅力は、明らかに知能程度が低く、知的障害児である亀吉にたいして、人々の多くが温かい目でみており、能率は悪いが一生懸命働く亀吉を、みんなが好いているということだ。障害者に対する目が温かいことが、平蔵だけではなく、柏屋で働く人や、近所の人もそうなのである。江戸時代では、おそらく、こうした風潮は、めずらしくなかったのではないかと思われる。重度の障害者を生きていられるようにする医学は発達していなかったから、重度の人は、ごく小さいころになくなってしまい、生きる力はもっているひとが成長することができたという事情もあるかも知れないが、ふさわしい仕事をあたえて受け入れているという、社会のあり方があったのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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