今回の旅行で、最後に、バブル最盛期に建築されたというリゾート地に宿泊した。冬はスキーを楽しむことができるが、今は真夏で、しかも平日だったので、実に閑散としていた。バブルを感じさせる広大な建物で、部屋のつくりも贅沢にできていて、かなり広い。もし、なかの機能がそのまま運営されていたら、けっこう長く滞在しても飽きないかも知れない。
しかし、中の店はほとんどしまっており、レストランもたくさんあるのだが、開いているのはひとつだけで、夕食も朝食も同じところで、しかも、あまり客がいない状態だった。冬は、それなりにたくさんの客がいるのだそうだが、少ないとこれほど機能停止状態になるのかとびっくりするほどだ。聞くところによると、ソニーが最初たてたそうだが、バブルがはじけて潰れ、ロッテが買い取って、現在運営されているという。私はスキーはまったくしないので、正確なところはわからないが、スキーができるといっても、この敷地内に大きなスキー場があるわけではなく、比較的こじんまりとしたスキー場だ。近辺のところにでかけていくということは可能なのだろうが。
こういう施設を利用すると、いつも感じるのだが、箱物と運用とはまったく別だが、両方がマッチして、良好に活用される施設というのは、ほんとうに少ないのではないかということだ。もちろん、多数の客がきて、いつも賑わっている有名施設は別だが、それは数えるほどしかないように思われる。とくに、日本の場合、80年代からバブル期にかけて、たくさんの箱物が建設されたが、つくったはいいが、運用がまずくて、あまり活用されていない施設が、たくさんあるような気がする。
私がはいっている市民オーケストラがつかっているホールも、実にすばらしい音楽ホールなのだが、ホールにふさわしい音楽会が開かれるのは、年に5回程度だ。音楽ホールだから、響きがよく、当然クラシックの音楽が演奏されるのにふさわしいように作られている。だが、クラシックのプロが使うのは、その程度なのだ。私のオケが3回あり、市民吹奏楽もその程度使う。あとは、ほとんどマイクとスピーカーを使用する団体であり、音楽ホールなのに、まったく関係ない政治団体や宗教団体の集会に使われることもある。もともと、多目的に使うように設計された文化会館のようなものならば、それでいいと思うが、かなりの費用をかけて、響きのよいホールをつくっても、その目的での使用が年数回というのでは、実にもったいないではないか。
使い方で対立が生じて、いまは、経営も不透明になっているらしいのが、札幌球場だ。あの球場は、建物自体の設計思想と運用がかなりずれていたし、使用者の意思が尊重されなかったとされる。サッカー場と野球場の両方の機能をもっているが、主に使われ、球場の経営を成り立たせていた野球場としては、人工芝で固く、怪我が多いので、なんとかしてほしいと球団はずっと要求していたが無視され、サッカーは、野球ほどの使用頻度がなかったにもかかわらず、自然芝をつかっていたという不合理があった。そして、日本ハムにはかなり法外な使用料をとり、結局、球団には逃げられてしまった。
私が使用するホールの問題は、私は明確に認識している。(つもりになっている)ホールにしても、スポーツ施設にしても、プロが満足して使えるようなものは、設備が充実していなければならない。音楽ホールの場合、響きが決定的だ。響きをよくするためには、建築の材料や反響のための装置、等々に工夫をこらし、費用をかけなければならない。そうすると、使用料金が高くなる。すると主にはプロの団体が使うようになる。しかし、プロが使いやすくするためには、かなり先まで予約が可能になっている必要がある。人気のある団体やソリストであれば、ずいぶん先までスケジュールがきまっているからだ。ところが、そうすると、地域住民の団体は使いにくくなる。アマチュアは、それほど先の日程をくむことはないので、予約先はあまり長くとらないでほしいと要求するのだ。大都会でプロの団体で使用がほぼうまるようなホールであれば、プロ専用のような貸方ができるが、残念ながら、私のオケが使っているホールは大都市ではないから、プロが頻繁に使うようにはなりにくい。市民団体の「もっと短く」という要求を無視できないことになる。しかし、使用料を安くすることはできないから、市民合唱団が気軽に演奏会を開けるわけではない。そうして中途半端なものになってしまうのである。本当にりっぱなホールなのに、稼働率が低い。そういうホールが、たくさんあるような気がする。
要は、設備と運用のバランスがとれ、どのような対象に、どのように使ってもらうのか、ということが明確で、それにふさわしい設備と運用のしかたが設定されないと、十分に使われることがなく、無駄になってしまう。バブル期は、お金があったから、使用状況など無視して、とにかく、大きくりっぱなものを作りたがったに違いない。施設ごとに事情は違うから、やはり、あるものについては、ふさわしい運用形態を見つけていくことが大事にちがいない。