卒業生第3弾は、現在幼稚園の副園長さんとして大活躍の鈴木静さんです。第2弾の西井さん(仮名)と同期で、この年度から、卒業論文をファイル化して、全員が持ち合うという方法をとるようになりました。鈴木さんは、在学中から外国にいって、将来の幼稚園教育に携わる準備を熱心にやっていました。当日は坂戸のあずま幼稚園に、私の妻と一緒に訪れて、幼稚園を案内してもらったあと、インタビューに応じていただきました。
文教大学入学の事情 幼稚園を継ぐためなのに?
お 文教大学に入った目的とか経過などはどうでしょう。
鈴 実は文教大学しか、オープンキャンパスに行ってないんです。幼稚園の先生になるという目的で大学選びをしていたんですよね。家庭科専修、人間科学部でもいいよねって終わったんですけど、当時は幼稚園の免許がとれなくて、園長の母に相談したら「幼稚園の先生の免許はとるな」ときっぱり言われたんです。「えっ!でも、幼稚園の先生になりたい」と言ったら、「教員免許の一種さえもっていれば、園長になれるから、もっと別のものを何か、他の先生がもっていないものを身につけていらっしゃい」というので、人間科学部の人間教育コースの名前に惹かれたのと、生涯学習とか幅広く勉強できる、社会の免許がとれるというので、公募推薦で入りました。
お それまでは幼稚園免許とらなければと思っていた。
鈴 はい、それで東京家政とか考えていたんですけど、とる必要ないと言われて、もっといろいろ勉強できるということなら、文教大学がいいということで決めました。
お 幼稚園を継ぐというつもりなのに、何故文教に来たのかなと前から思っていたんだけど、そういう事情だったんですね。今は教育学部心理教育で、免許とれるんだけど。
鈴 あったら、わたしが自分で選んでエントリーしていたんだと思いますけど、「幼稚園の免許よりも、小学校の免許をとったほうがいいんじゃないか」と、逆に言われたかも知れない。
大学時代にアートベースの教育と英語に目覚める
お 大学時代は、どんな勉強をしていたんですか。
鈴 東大の佐藤学先生の本ばかり読んでいました。教師の矯正についての内容が、新しい形のものが多かったので。それから、園長が、アートをベースにしたイタリアの教授法であるレッジョ・エミリアの教授法を講演できいて、自分がやりたかった保育がそこにあったと、彼女自身が爆発させたところだったので、私も勉強しました。東大の秋田喜代美の研究会に園長が加入したんで、私も出させてもらったり、オクスフォードの先生と講演に行かせていただいたりとか。それをやるなかで、園長に言われた、他の先生がもっていない何かということで、幼稚園での英語教育についてやろうと思って卒業研究に取りくみました。
お そのころは、この幼稚園で英語をやっていた?
鈴 やってました。だけど、ただ踊って歌っていただけで、「やってますアピール」だったので、私も園長も納得していなかったんです。2年生で文教大学のモナシュ大学の英語研修にいって、ホームステイをして、英語の面白さを知ったんです。最初「英語なんて、しゃべれなくていいじゃない、日本人なんだし」と思っていたんですが、向こうに行ったときに、そこでしゃべったとたんに、ホストブラザーと仲良くなって、すると彼の彼女とも仲よくなって、どんどん友達が増えていくんです。ひとつの言葉を話せると、これだけ友人ができるんだ、とそれを同じことを子どもたちにもさせたいと。大学4年生のときに、この幼稚園に就職しろと言われて、ブリティッシュカウンセルの協力で、イギリスの幼稚園との交流校を見つけたんです。
お 卒論でそのようなことを書いてましたね。
鈴 卒論はほんとうにベースのところでした。教材研究のところからやっていたし、ロンドンの幼稚園に行って、保育をみて、その概略をまとめた感じでした。でも、あれがあったから、今の実践につながっていると思います。ハロウィンまだやっているし、英語使ったウォークラリアとか、今はそれが英語劇に変わって、年中年長が、超大作をやるんです。今年は年長がシンデレラ、年中が「長靴をはいた猫」を英語でやるんですけど。
お 台本は?
鈴 英語の先生にお願いして書いていただいて。
お 子ども用に?
鈴 はい。ナレーションも子どもたちが全部やるので、家にもちかえって、夏休みや冬休みに練習してきて、劇の構成を子どもたちと話し合って、2月に発表します。
鈴 こういう活動もイギリスと報告しあってきました。
お 実際に行ったり来たりは?
鈴 先生同士はあります。子どもは卒園児を2年前につれていって、日本の小学校というプレゼンさせたんです。
幼稚園の英語教育の改革
お 英語は幼稚園でやっていたけど、園長とその後継者がこれじゃだめだ、という教育が何故行われていたんですか。
鈴 私たちが、個人契約で教師を頼むのは、法的に難しかったので、委託の会社に派遣を依頼していたのです。でもそういう先生って、ほぼ観光でやってきて、1年やって、お金を稼ぐという意識なので、積み重ねの保育とか、教育とか考えて教えないんですよ。マニュアルありきですから。子どもとの関わりとか見ると、子どもが何話してもふんとかで終わってしまうし、課外をみても、お菓子食べていて、子どもに話しかけもしないし、こんなんでいいだろうかって。
お それでどう変えようと思った?
鈴 話せる英語に変えたい。一番気に入らなかったのが、what is it ?って聞くと、 apple って答えて、それで終わってしまうんですよ。でも日本語もそうですけど、正しい日本語ってあるじゃないですか。It’s an apple という形で教えてもらいたい。そういうこだわりで、4年ほど前、シェーンさんという人がみつかって、オーダーメイドの英語でお願いしています。マネージャーさんにも何度もきてもらって、教育プログラムを考えていただいて、今の先生は長く続けています。
お 一人?
す 今は一人です。去年は、正課一人の課外一人でした。ことしは両方をやっています。
お 園児は全員やるの、それとも選択?
す 正課に関しては全員で、年少が6月から、それ以外は4月から、週1で20分から40分。年長は、月1回です。
お 卒業後の状況は
す 卒業式の日に卒業証書もらったんですけど、学士じゃなくて、修士ほしいなって思って。(笑)でも幼稚園いかなきゃと思って、いろいろ勉強しながら、ずっと幼稚園にいる形です。
お イギリスには何度もいっているよね。
す かなりですね。年間4、5回で、今年は4回くらい。卒業3年後に理事長の祖父が亡くなりまして、幼稚園も施設がかわってきて、交際交流もベースができてきたので、その翌年に相続が落ち着いたときに、私が向こうに行って、向こうの先生がこっちに来て、何年も続けています。また、幼稚園が、エコロジーカフェという環境保護団体に所属していて、研究活動をしているんですが、その一環として、イギリスと交流の活動を東大の小柴ホールで発表させていただきました。幼稚園って、行事行事で一年がすごく速いんですよ。そういうなかで、何してきたんだろうと、あまり記憶がないんですね。忙しくて。震災のときだったか、すべてがストップしたときに、これでいいんだろうとと思うようになって、もう一度振り返って、精査して記録に残す、分析する作業の時間がほしいと思っていました。それでイギリスのイースターグリア大学に挑戦したんです。とてつもなく英語が苦手なのに。ある程度のスコアのぎりぎりとって、院ではなく学部であればということで、オファーをいただいて、行くばかりのときに、うちの職員がやめてしまって、私が行ってしまったら、園長ひとりで幼稚園は回せないということで、諦めるしかなかったんです。
お それで留学をやめたのか!知らなかった。