太田ゼミインタビュー(ゆうま・つるちゃん)1

今回は、小学校の教師をめざしているゆうま君と中学社会の教師をめざしているつるちゃんです。

こわがりとしっかりものだった小さいころ

お 小さい頃は、どんな子どもでしたか。
ゆ 自分は、割と怖がりだった。
お 怖い話を聞くと脅えてしまうとか?
ゆ それもそうだし、センタイものとかあるじゃないですか。
お センタイものって何?
ゆ 仮面ライダーとか、サンドレンジャーとか、敵が倒されるのが、あまり好きじゃなかった。(笑)
お それはアニメの世界でもそうだったということ。
ゆ そうですね。
お 実写ものではなくても。
ゆ 実写はきつかったです。怖がりでした。
お お化け屋敷は。
ゆ お化け屋敷はだめでしたね。今ちょっとましになりましたけど。

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お 肝試しなんてやるじゃない、暗い所にいって、何かとってくるというような。
ゆ だめですね。
お やったことはあるの。
ゆ あります。やらなきゃいけないときもあったので。
お そういうときはどうなるの?
ゆ ほんとに、しゃべらないです。
お どうしようかと、こういう感じ?(固まった風)
ゆ はい。
お 男の子としては珍しいよね。女の子ではたくさんいるけど。
ゆ たぶん。
お 怖い話しをするだけでもだめ?
ゆ そうですね。後々記憶に残ってしまうではないですか。そういう話は。
つ 私は、幼稚園のころだと、たぶん、妹と入園したこともあるのですが、妹が、手がかかる子だったので、その分、お姉ちゃんとして扱われたんですよ。保育所の先生とか、まわりの大人たちからも、みんなみたいに名前じゃなくて、お姉ちゃんと呼ばれていたので、しっかりしなければ、とずっと思っていて、友達と一緒にいても、しっかりして、リーダータイプでいようと、昔のほうがむしろ背伸びしてがんばっている感じだったです。
お いつごろからそれをしなくなったの。
つ 中学くらいまでは続いていて、我慢しているストレスがたまって、一時期悩んでいたんですけど。
お でも、お姉ちゃんとして、学校で振る舞わなければいけないというもあったの?保育園幼稚園はあったとしても。
つ 小学校は、ちょっと妹が騒いだりすると、呼びに来るとか、学校でも、そういう役割だったし。そういう面があるから、担任の先生が、学級委員やってくれとか、生徒会やってくれとか、任されてしまって。断れない性格なんで。
お そういうこと先生が決めるの?
つ はい、そういう感じだったんで、毎日気張っていました。高校はいってからは、今みたいに。
お 高校からは解放されたと。
つ はい。

悩み多き中高の部活

お 小学校や中学校はどういう子どもだったんですか。
ゆ 小学校は、バスケットボールを、ずっと週4で一生懸命やっていました。スポーツ少年団にはいっていたんです。
お バスケはいつまでやっていたの。
ゆ 高校3年と、大学のちょっと2年生になるくらいまでは、社会人のほうでやっていました。
お バスケ人生ですか。

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ゆ そんな感じですね。
お 日本はバスケ弱いよね。
ゆ まず身長が明らかに足りないのと、身体つきですかね。体格が違いますね。
お バレーは強いので、よく対比されるよね。ただ、バスケとバレーとでは、やる人のパーソナリティが大分違うという話もあるけど。
ゆ そうですね。バレーはネットを通して、相手と触れないので、そこは差がありますね。タフじゃないといけないです。
お やはり、意図的にバーンとぶつかったりするわけ。
ゆ ありますね。

つ 女子高って、変に女子でグループで悪口言うというのがなくて、みんなさっぱりしている感じだったから、そういう環境がすごくのびのびとしていて、よかったのかなって。
お 中高は部活は何をしていたの

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つ 中学は吹奏楽でした。高校は、最初希望はしたんですけど、ピアノ習っていたけど、楽譜読めないんで、辛い面もあったんです。
お ピアノやっていて、楽譜読めないって、めずらしいよね。バイオリンは、スズキメソッドでやるとそういう人が多いけど。
つ 集団のヤマハで習っていると、両手で弾く、つまり、一人が全部を弾くというのはあまりなくて、グループで一曲仕上げることが多いので、片手で済むんですよ。そうすると、楽譜読まなくても、先生がこう弾くんだよというのをみると、弾けちゃってたんです。中学では、それが辛かったんで、高校では、弓道部に入ったんです。友達がいたので。でも、音楽の先生が、私、声が低いから合唱にはいりなさいと、強く勧誘してもらって、弓道やめて、合唱に入ったんです。結局今も。その合唱も、関東大会めざしているような頑張っている部活だったので、毎日、勉強か合唱かというような生活をしていました。
お 楽譜読めないと、合唱はもっとこまらない?(笑)
つ 困ったんですよね。(笑)先輩とか、先生とかに、録音してもらって、それを聴いてやっていました。
お 古いイタリアオペラの歌手みたいだね。
ゆ そうなんですか。
お 今は音大の卒業生だけど、昔は声がいいと、口伝えで覚えて、舞台にたつようなスターがけっこういたといわれている。そんな感じだったの?
つ はい。大学でアカペラサークルはいっているけど、読めないんで、みんなに、助けを借りながら、やっています。
お 読めるというレベルが違うのかな。
つ 音はいいんですけど、リズムがだめなんです。3連符なんかが全然。
お 楽譜みると、ぱっとメロディーが浮かんでくるというのを、楽譜が読めるという意味で、そこまで達していないという意味で「読めない」というのではないの?すごい人は、楽譜見ただけで、頭に正確に音楽が。
ゆ 他の人よりは全然読めるってことですよね。
つ 音だけ読める、それと簡単なリズム。でも、アカペラって、簡単なリズムじゃないじゃないですか。それで読めない部類にはいっています。
お オケなんかやっていると、今マーラーやっているんだけど、ベートーヴェンとかブラームスとかだと、休みのとき、何かのカラミで入ることができるんだけど、マーラーって、全然そういうのがなくて、他の部分とこっちでやっていることが、全く違う。他がフォルテでやっているのに、こっちはピアノだとか、逆とか、リズムもメロディーもまったく違うし。そういう難しさと似たところがあるよね。アカペラって。
つ はい。
お 自分が自分の部分が相当分かっていて、尚且つ、他の人のも分かっていないといけない。でも引きずられてしまうとか。
つ そうですね。引きずられてしまいます。

教師をめざして文教へ

お 文教大学に入ったのは。これまでインタビューしたゼミの人は、「最後の」という感じだったけど。(笑)
ゆ 自分もどっちからいうと、そんな感じですね。
お 第一志望はどこだったの?
ゆ 東京学芸大でした。あるいは埼玉大学か。でもセンター試験で失敗してしまったので、私立かなっという感じだったんですけど、文教の教育は高いと聞いて、人科ならと。教員になれると書いてあったので。
お 教員は目指していた?
ゆ はい、そうですね。
お 教員を目指していたのは何故?
ゆ 教えることが好きだったのと、子どもが好きだったのと。
お 高校までで、いろいろと教えていたの?
ゆ そうですね。中学までは、けっこうできるほうだったので、同級生教えたりとか、近所の子どもを教えたり。
お 近所の子どもを教えるんだ。
ゆ 勉強もありましたけど、運動なども。バスケとか。
お そういうなかで、教えるのが向いているんじゃないかと思ったわけだ。
つ 私は、通いで行きたかったので、第一は宇大で、私立は文教って感じでした。文教は高校の先輩がたくさんいて。
お 宇大は何学部を受けたの?
つ 教育学部の社会で。教師になりたかった理由は、小学校一年のときから、学校の先生から仲良くしてもらったりとか、学校の先生自体が好きだったんです。誰先生というのではなく。
お 先生という存在が。
つ 勉強教えるって、かっこいいなとか。一緒に遊んでくれたりとか。そういうことが好きで、中学になったら、悩みが多かったりで、お世話になって、こういう風になれたらいいなって。でも、高校には入ったら、いい先生ばかりではなくて、なかには、適当な先生もいて、そういう先生への怒りじゃないけど。
ゆ いるいる。
お いいかげんというのは?
ゆ 高校の先生って、もともと教員になりたいと思っていた人は少なくて、「本当に教員にはなりたくなかったんだよ」って言われたんですよ。
お 高校の先生じゃなくて、何になりたかったの?
ゆ 数学の先生は研究者になりたかったみたいな。
お 数学者というのは、そうそうなれるものじゃないからね。
ゆ そうですね。
つ ことなかれ主義の先生が多くて、クラスに揉め事があるし、悩んでいる子がいるのに、それを放置したりという先生もけっこういて、信じられないなって。
お 大学の先生はどうですか。似たようなもの?
ゆ (笑)
お 大学の先生になりたくなかったという人は、あまりいないよね。たぶん。
ゆ 小中高とはちがいますね。
お ただ、やっていることは、自分が本当にやりたいこととかどうかと言えば、違うという意識の人は多いよね。特に理系なんかだと。理系だと授業したくないという人はけっこういるから。
ゆ それは。
お 研究したいからということだね。
つ いなくはないですね。たまに授業どころじゃないんだろうなって。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。