ジャニーズ再発防止特別チームの報告から考える

 29日に特別チームの記者会見があり、個人的にはかなり驚いた。この特別チームは、ジャニーズ事務所がメンバーを選んで、再発防止策等の検討を依託したものだ。メンバーに林元検事総長がはいっていたことに、まず驚いた。この人は、ミスター検察といわれた気骨のひとで、安倍政権で、圧迫されていた人だ。そういう人を選んだことに、事務所もかなりまじめに取り組もうとしているのかと思ったのだが、予想をこえて、厳しい見解が示された。長期間の性加害があったこと、そして、現在の主張のジュリー氏が、認識していたことを認定し、さらに辞任を勧告したわけである。事務所が依託したチームが、これほど依託元に厳しい評定をしたというのは、かなり珍しいように思う。
 安倍元首相が、林氏の検事総長就任を阻止すべく、黒川氏の定年延長を画策したことが、なるほど、安倍氏にとっては、いやな存在だったのだろうと、改めて納得したものだ。

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大谷の怪我は誰の責任

 大谷が肘の靱帯損傷で今期の投手としての出場が不可能になった。打者としては活躍しているので、よかったという雰囲気だが、本当に打者として出場しつづけることがよいのか、疑問も提起されている。
 大谷の身体が、あまりの酷使故の疲労が蓄積していて、危険な状態にあるのではないかとは、7月以来いわれてきた。とくに、投手として出場しているときに、途中降板することがたびたびあり、休ませるべきであるという声が強かったのは事実である。しかし、どういう契約になっているのかわからないが、報道をみる限り、大谷自身の強い希望で、試合に出続けていたようだ。そして、大谷に検査を勧めたのだが、マネージャーと大谷本人が拒否したのだ、といういいわけが経営サイドから公表され、顰蹙をかっている。ただ、経営側としては、自分で試合にでたいといい、検査を拒否したのだから、大谷の自己責任である、というのは、ごく当たり前のことではないかという感覚なのかも知れない。しかし、経営側は、選手が最高の状態でプレイできるように配慮するのが、役目のはずだから、そういう言い逃れは、やはり見苦しいし、自分たちの首を絞める行為でもある。そして、反感をかうことだけは確かだ。

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読書ノート『きけわだつみのこえの戦後史』保阪正康

 五十嵐顕著作集のなかで、戦争責任に関する視点は、重要な部分をしめており、しかも、五十嵐のこの点での見解は、時期によって、かなりの変動があるように思われる。そして、晩年は、もっぱら『きけわだつみのこえ』のなかにある木村久夫に、かなり異様なほどのこだわりをみせていた。これをどう読むか、なぜ、あれほどのこだわりをみせたのかは、今後検討しなければならないが、一緒に著作集編集の仕事をしている同僚から、上記の本を紹介されたので、早速読んでみた。最初『文芸春秋』で発表し、何度か書き継がれ、出版後、大きな話題を呼んだという。そして、現在は文庫になっているが、私が読んだのはキンドル版である。

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アシュケナージのこと

 今年はこれまでまったくCDを購入しなかったのだが、アシュケナージの室内楽総集編がでることを知って、今年最初のCDの買い物として、アシュケナージのボックスを注文した。ソロと室内楽だ。以前協奏曲がでていて、これは購入していて、けっこう聴いていたのだが、まだ注文の品がこないので、いくつか協奏曲を聴いてみた。ラフマニノフの4曲とパガニーニ狂詩曲がはいっている2枚を聴いた。バックはハイティンクとコンセルト・ヘボーだが、これまで聴いていた他の演奏とはちょっと違う感じがした。ゆったりと穏やかで、余裕がある感じというところか。
 アシュケナージとハイティンクは、他にも共演していて、ベートーヴェンの協奏曲の全曲映像版もはいっている。アシュケナージがかなり若いころのものだが、すでに大家の風格がある。

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思い出深い演奏会 マイナスイメージで2

 前にも書いたことがあるのだが、やはり非常に記憶に残っている演奏会だ。都響の定期演奏会で、指揮が常任の渡辺暁生、バイオリンのソロが石川静でブラームスの協奏曲をやった。このときの印象が強烈なので、ほかのメインプロに何をやったか、まったく覚えていない。
 出たしはごく普通に、安心して聴ける感じで進行していた。ところが、石川のソロが入ってきたところから、まったく違う音楽をやっているのかと思うほど、雰囲気が変ってしまった。渡辺は普通かあるいはちょっと速めのテンポをとっていたのだが、石川は、かなり遅めのテンポをずっと維持している。チャイコフスキーのコンチェルトは、ソロが入ってくるとき、思いっきり遅く演奏し、序奏的な部分がおわると、テンポを通常に戻すような演奏が多いが、ブラームスは、そういうやり方をあまりしない。むしろ、前に書いたヌヴーなどは、勢いよく入ってきて、そのままエネルギーを保持するような弾き方をする。しかし、石川は、とにかく遅めのテンポではいってきて、主題を奏する部分になっても、そのままの、かなりの遅めのままだ。ところが、ソロバイオリンがなく、オーケストラだけの部分になると、また渡辺テンポにもどって、そんな遅く、まだるっこしいのは嫌だ、というような雰囲気で、さっと済まして、再びソロが入ると、遅いテンポにもどる。石川が弾いている部分は、ゆっくり目というよりは、かなり遅いので、普通の演奏よりは、かなり長い時間をかけて、第一楽章が終わり、その最後の音が消えた瞬間に、一切にため息が漏れたのである。どうなるのことか、みな音楽を聴くより、ふたりの意地の張り合いがどうなるのか、破綻しないのか、はらはらしていたという雰囲気が、そのため息ではっきりと感じられた。

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木原問題と文春の思惑のずれ?

 最近の動きをみると、『週刊文春』が当初目論んだことと、展開が変ってきて、文春としても今後の展開をどうするか、迷っているのではないかと思われるのである。当初の目論見とは、当然木原氏のスキャンダルの追求であり、それは、おそらく、自民党内の反岸田勢力と結びついていたと考えられる。当時の捜査状況を正確に把握していた杉田氏と二階、菅氏が、岸田政権への打撃をあたえるために、捜査資料を文春に提供し、文春が裏付け取材をへて、報道に踏み切った。そして、それはかなりの効果をあげ、おそらく木原氏は文春の攻撃に耐えられず、辞任の意思をかなり強くしたところまで追い詰められた。
 しかし、事態は文春が想定した部分以外に波及し、文春は、岸田政権より協力が敵対勢力をうみ出してしまったのが現状なのではないだろうか。端的にいってそれは警察である。

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マイナンバー・カード再論 老人はみなデジタル音痴なわけではない

 文春オンラインで、紙の健康保険証をマイナンバー・カードに一体化して、紙を廃止するのは、老人ファシズムであり、また、リベラルのラッダイト運動であるという批判を展開している。紙の保険証問題については、前にも書いたが、こういう議論がでているので、反論せざるをえない。 “マイナンバー・カード再論 老人はみなデジタル音痴なわけではない” の続きを読む

処理水海洋放出 最終的には「人間」に対する信頼だ

 ついに、政府は、福島原発における処理水の海洋放出に踏み切った。もちろん、大きな論議を呼んでおり、とくに福島の漁業関係者の反対は強い。政府や東電がいくら、トリチウムはそれほど危険ではない、そして、規準の40分の1まで希釈している、だから、安全だ、国際規準のうえで問題ないといっても、原発は安全だという安全神話を振りまいてきたひとたちの後継者がいっているのだから、最終的な信頼がないわけである。だから、結局、水掛け論になって、落ち着きどころがない。「結局金だろう」といって、非難をあびた大臣がかつていたが、そんな大臣のいうことを信頼するはずもない。
 結局は、相手を信頼できるという問題に帰着するのではないだろうか。
 
 私自身は、これだけ大量の処理水がたまり、たしかに、規準という観点からみれば、危険とはいえないまでに(ほんとうにそのように処理されているならば)処理されているならば、いつかは放出せざるをえないことは、認めざるをえないし、それは結局海洋放出になるだろう。国際機関もそれを許容しているわけだ。

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文春と警察の全面対決

 一週間間があいた(前号はお盆のための二週間分合併号だった)『週刊文春』の最新号を早速読んだ。前回は、木原氏のデリヘル問題だったので、この事件の軸である警察官による犯罪の、警察機構あげての隠蔽という側面から、軌道修正を図ったのか、と訝しく思った点もあったのだが、やはり、真っ向から警察と対決するという記事構成をしてきた。あくまでも、一週刊誌の記事だから、絶対に正しいと受けとっているわけではないが、ただ、私自身、文春記者の取材をうけたことがある経験から、『週刊文春』の取材の徹底度については、充分に認めているので、いいかげんなことを書いているとは思わない。私がうけた取材というのは、私のかつての職場(定年退職間近だったのだが)で、ある事件をおこした教授がおり、すぐに、我が家に記者が取材にやってきたのだ。職場が、この件について取材に応じないように、という指示がでていたので、特段話しはしなかったのだが、とにかく、すぐに自宅までやってくるその取材の徹底度に感心したことは確かだ。「すごいですね、なぜ、ここがわかってのですか?」と聞いたら、「われわれもプロですから」と答えていたものだ。そして、職場から、話さないようにという指示が出ているのだ、と説明したら、了解してくれた。だから、無理な取材をして、取材源が応じていないのに、無理矢理こじつけで書いているとは、思えないのである。そして、文春の記事と、警察の発表していることとを比較検討すれば、警察の発表の「真実味のないこと」は歴然としている。

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熱中症で体育の授業後死亡

 北海道で、小2の女子が体育の授業のあと、教室に帰る途中で倒れ、死亡したという。「熱中症疑い “小2女児” が死亡 体育の授業後に倒れる… 北海道伊達市 最高気温33.5℃ 統計開始以来で一番の暑さ」
 近年、文科省の指導なのか、授業日数を確保するために、かなり無理な日程が組まれることが多い。北海道などは冬の休みを多くするために、8月から授業を開始するのは、以前からだったが、東京などでも、そういう学校が多くなっている。ところが、夏の暑さは、以前とは比較にならないくらい酷くなっており、この事故が起きたときにも統計開始以来の暑さだったという。近年は、教室にはエアコンが設置されていることが多くなっているから、(北海道の学校はどうなのかわからないが)教室での通常の授業は、特別問題ないとしても、体育の授業は、まったくの炎暑のなかで行われることになる。体育館は直接の日差しがないだけましかも知れないが、熱いことにかわりはないだろう。

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