読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

チャイコフスキー・コンクール2023

 チャイコフスキー・コンクールが開催されている。開幕に際しては、各紙が報じた。とくに、今回はロシアのウクライナ侵略開始後のことなので、そのことが話題の中心であった。西側からの応募者は激減し、参加国もへったとされる。ロシア以外では、積極的に参加したのは中国くらいのようだ。しかし、そういうなかで、日本人の参加は、7人とどの新聞も報じている。
 チャイコフスキー・コンクールは、ショパン・コンクール、エリザベート・コンクールとならんで、世界の3大コンクールと呼ばれているが、戦前からある他のふたつと違って、戦後になって、ソ連の国策によって設置されたコンクールであり、国威発揚的色彩が強い。もっとも、芸術的歴史の長い、そして、優れた音楽家を多数輩出してきた国らしく、とくに偏った順位づけをしているという感じもなく、チャイコフスキー・コンクール出身の優れた音楽家はたくさんいる。日本人の優勝者や上位入賞者もおり、そういう意味では、日本人にとっても、親しまれているコンクールであった。

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読書ノート『水を守りに森に 地下水の持続可能性を求めて』山田健(筑摩書房)

 近年読んだなかで、最も引き込まれた本だ。大抵の本は、途中で休止するのだが、この本はまったく休みなく読了した。筆者は、長くサントリー社内でコピーライターの仕事についていたためだろう、文章のテンポがよく、しかも、ときどきジョークをうまくはさむので、飽きることがない。そして、内容も非常に重要で、しかも、これまでの誤解をいくつも解いてくれる。そして、持続可能性の取り組み、SDGsと呼ばれて、流行になっているが、実は非常に複雑で、簡単ではないのだ、ということを、あらためて認識させてくれる。
 
 サントリーは、アルコール飲料と清涼飲料を主力とする企業だから、よい水は生命線である。よい水は豊富な地下水によってえられる。水は自然の資源だが、水資源がよい状態で確保できるかは、ひとの努力による。開発が進み、自然が破壊されていくと、水資源も枯渇してしまうのである。そこで、サントリーは企業をあげて、水資源の保全に取り組んでいる。その中心となっているのが、本書の筆者で山田健氏である。

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ノート『天災から日本史を読みなおす-先人に学ぶ防災』磯田道史(中公新書)

 イタリアの歴史哲学者クローチェの有名な言葉に「あらゆる歴史は現代史である」というのがある。本書は、歴史書でありながら、現代史、あるいは未来史ですらあると感じさせる書物である。著者である磯田氏自身が、将来起きるかも知れない自然災害に、どう対処したらよいのか、それを今から準備するために必要なことを、歴史から学ぶという視点を貫いている。しかも、歴史的文書を丁寧に調査し、吟味しながら、当時の災害の起こり方、人々の対処のよかったこと、まずかったことを整理している。そして、ある災害には、こうしたことが必要だという教訓を、説得的に引き出している。最近、これほど役に立った感じを受けた本はなかった。

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読書ノート『江戸雑記帳』村上元三 史実と創作

 歴史小説には、歴史の中心舞台を素材するものと、表舞台には出てこない市井のできごとを中心にするものとがある。司馬遼太郎の小説は、前者の典型で、有名な歴史的事実を扱うので、重要な筋として、自由な創作をすることはできない。しかし、後者は、むしろ創作部分が主体となる。もちろん、一方のみの作品を書き続ける作家は、おそらくほとんどなく、両方を扱っているひとがほとんどだろう。
 史実と創作をどのようにバランスさせるかについては、森鴎外の「歴史其儘と歴史離れ」で扱われて以来、様々な作家が自分の場合を扱っているが、村上元三氏のこの本は、創作への読者の意外な反応も書かれていて、興味深く読めた。

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読書ノート『平蔵の首』逢坂剛

 題名でわかるように、長谷川平蔵を主人公にした小説である。県立図書館で、何か面白そうな本はないかと探しているときに、大活字本シリーズがあり、この本を見つけた。大きな活字で印刷されているので、私には非常に読みやすくて、一気に上下2冊を読んでしまった。巻末に佐々木譲氏との対談か掲載されており、それによると、長谷川平蔵を主人公にする小説を依頼され、引き受けるにはかなりの決意が必要で、しかも、書き始めてからも、苦労が多かった。池波正太郎の『鬼平犯科帳』が絶対的人気を誇っており、そこで長谷川平蔵のイメージが形成されている。しかも、人気ドラマシリーズもある。その池波版長谷川平蔵とは違うように書かねばならないということで、苦労があったということだ。
 長谷川平蔵は実在の人物であり、記録をそれなりにある。そうした歴史的事実をまげることは許されない。実は池波氏は、いくつか細かい点で、歴史的事実をまげて書いている。それを事実に戻すことで、池波版とは違う平蔵を描くことはできる。

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読書ノート『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(沼野恭子訳)新潮社

 昨年、この本を手にとって読み始めたとしても、直ぐにやめてしまったに違いない。尤も、今だからこそ、この本の存在を知り、読みたいと思ったのであり、昨年なら手にとることもなかった。実際に、昨年はこの本はおろか、著者すらまったく知らなかった。
 『ウクライナ日記』の作者であり、現在でもキエフで作家活動をしているクルコフの、最初に有名になった小説がこの『ペンギンの憂鬱』である。
 
 舞台は1990年代のソ連崩壊後のウクライナ首都キエフである。
 主人公は売れない小説家のヴィクトルで、動物園からもらったペンギンと一緒に住んでいる。同居者がペンギンというのが、とにかくユニークだ。そして、ヴィクトルと関係をもつ人間が、少しずつ入れ代わったいくのだが、彼らは何か背景があることを感じさせる。
 まず、「首都報知」の編集長から、死亡記事を専門に書くように依頼される。しかも、すべて予定原稿であり、資料を渡されて、死後掲載する原稿を執筆するという、不可思議な仕事である。新聞社というか、おそらく編集長の都合で、時折中断はあるが、最後までこの仕事を続けている。

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読書ノート『ウクライナ日記』(アンドレイ・クルコフ)集英社

 アンドレイ・クルコフは、レニングラード(現サンクト・プテルブルク)で生まれ、幼少のころにウクライナのキエフに移住して、ずっとキエフに住んでいるウクライナの作家である。そして、この『ウクライナ日記』は2013年から2014年にかけて起きたマイダン革命から、ロシアによるクリミア併合に至る時期の日記である。ジャーナリストや研究者による記録や研究書ではなく、あくまでも作家がみたり、考えたりしたことが綴られている。だから、裏で起きていることは、ほとんど語られていない。メディアで報道されていたような事実も、クルコフが伝聞で聞いたこととして書かれている。社会が非常に緊迫して、暴力沙汰があちこちで起きている時期でも、劇場にいって芝居をみたり、あるいは旅行に出たりしている。そして、そのときの家族生活が詳しく描写されていたりする。
 しかし、だからこそ、市民が遭遇した緊迫した政治の変化が、実感をもって迫ってくるのである。

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安倍晋三の外交成果? 岩田明子「安倍晋三秘録 シンゾーには負けた」

 国葬をめぐって、安倍晋三の功績がさかんに議論された。国葬賛成派は、氏を偉大な総理で、大きな成果をあげたと評価し、反対派は、なんら見るべき実績がなかったと評価している。そういうなかで、現在安倍心酔のジャーナリストである岩田明子氏の連載が『文藝春秋』で続いており、第二回が掲載された。「安倍晋三秘録 シンゾーには負けた」である。
 全編安倍外交のスタイルの説明と、その結果として功績が書かれているのだが、私には、それをもってしても、実績があがっていたとは到底思えないのである。判断は各人に委ねるとして、紹介しつつ検討していこう。
 
 まずウクライナ侵攻への認識だ。「冷徹で強かな米国という印象を改めて抱いた」というのだが、その理由が以下のように説明されている。
 当初は米国はウクライナに冷淡で、ゼレンスキーに退避を勧めたが、拒絶され、国際世論がウクライナ支援に急変したのをみて、対応を変えたのが実態だろうと岩田は書いている。

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読書ノート『21世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムに、政治家はネコになる』成田悠輔 SBクリエイティブ

 最近話題の成田悠輔氏のベストセラーになっている本らしい。羽鳥モーニングショーで、コメンテーターとして出ている成田氏が直接解説する形で、紹介されていた。番組は最後まで見なかったが、すぐに本を電子版で購入し、ざっと読んでみた。アマゾンでのレビュー数が700以上もあった。そんな本は滅多にないので、それだけでも驚きだ。
 本の内容は、とにかく、現在の選挙と民主主義の否定的な状況を、打開するための具体的な方策を、まったく自由な感性で提案しているものである。現時点で考えれば、本当にそういうことが可能か、また可能だとして好ましいのか、それは実はディストピアではないのか、という感想は当然おきるが、私がここで、教育制度の改革案について提起する場合でも、実現性はあまり考慮しないままに、とにかく考えられるあり方を書いている立場からすると、そういう自由な発想には共感する。実際に、当たり前になっている機械だけではなく、制度にしても、最初に考えた人がそれを公表したときには、ほとんどは、空想的なことだと思われていたに違いない。そう考えれば、ここで提起されている突飛と思われるアイデアも、やがて実現し、当たり前のことになるのかも知れない。

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