「砂の器」は清張の最高傑作か?

 松本清張の最高傑作ともされる「砂の器」を読み返した。何十年も前に読んで、細かいところはすっかり忘れていたから、初めて読んだも同然である。確かに、物語の壮大さ、筋構成の巧みさなど、さすがだと思うし、また、とにかく読んでいて飽きない、どんどん先に進んでいく感覚はすばらしい。
 有名な映画をDVDなどを借りて見たいと思っていたところ、NHKで放映されたらしいのだが、テレビをほとんどみないために、逃してしまった。ぜひ近日中に見たいと思っている。当然、公開された当時みたのだが、映画と小説とでは、かなり違う部分がある。映画では強調されている、ハンセン病の父親と子どもが全国を遍歴すること、そして、差別問題は、小説ではほとんど扱われていない。親子が島根県にたどり着いたときに、親切な警官(三木)が父を施設にいれ、子どもを引き取ったが、やがて行方不明になったと簡略に書いているだけである。だから、小説を読み返したときに、ずいぶん意外に思った。だから、原作は、比較的オーソドックスな犯罪・推理小説といえる。 “「砂の器」は清張の最高傑作か?” の続きを読む

読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」4

 では、具体的にどのようにマズロー理論を日越の経済発展にあてはめているのかをみよう。
 日本は次のようになっている。
1 占領の時代 1945~1952 
 前半は、戦災からの復興 生理的欲求の時代
 後半は、企業が社内食堂設置など不安が払拭される措置 安全の欲求の時代
2 55年体制と高度成長 1953~1973
 農村から都市への移動の時代 愛と所属の欲求時代
 高度成長後 承認の欲求が生じる
3 安定成長期1973~1980年代前半
 承認欲求が満たされつつも、円高不況で承認欲求がおぼつかなくなる。
4 バブル経済とその崩壊1985以後
 自己実現の欲求はおろか、承認の欲求まで失ってしまった。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」4” の続きを読む

読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」3

 また脱線してしまうが、集団主義は非常に難しい実態である。日本は集団主義の国だという。とくに学校教育では集団を重視して、班活動を行ったり、集団登校などを組織したりする。しかし、私は常々日本はそんなに集団主義の強い国だろうかという疑問をもっている。というのは、スポーツで日本が強い種目をみてみると、柔道、水泳、レスリングなどだ。これはいずれも個人競技である。サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボールなど、かつて強かった競技もあるが、現在は、やはり、柔道やレスリングなどに比較して弱い。これらは集団スポーツである。つまり、結果が現われやすいスポーツでは、日本人は集団競技は弱く、強い競技はたいてい個人競技だ。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」3” の続きを読む

読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」2

 本論文は、「経済的変化の背景に横たわる心理学的問題の分析」を試みる論文である。それをベトナムと日本の比較的考察において行うとしている。ここに既にふたつの興味深い論点がある。
 経済の発展にいかなる心理的影響力があるのかということ、それが現実的に異なる経済システムや文化様式をもった国に、どのような異なった形で現われるのか。
 そして、ベトナムと日本を比較対象として考察するという点である。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」2” の続きを読む

読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」幸田達郎

 経済の発展とは何かという基本問題は、定説があるのかどうか、経済学が専門ではない私には厳密にはわからないが、生産力や生産性、それを支える経済的・政治的システムなどが総合的に判断されるのだろう。では、発展する理由は何なのだろうか。長い時代同じような生産が行われ、生産力がほとんど変わらない社会も歴史的には存在した。遠い昔は別として、封建時代から何故資本主義生産が発展してくるのか、また、資本主義経済においても、いろいろな段階がわけられるほどに、発展は可視的である。そういう展開は何故生じるのか、まだ明確な説は存在しないのだろう。
 まったく別の視点で、マルクスの「資本論」は、資本が自然法則のように、いわば人間の問題を捨象して、展開していく過程を描いて見せた。自然史的過程としての資本の法則である。しかし、マルクスとしても、それが現実の社会のなかで、その通りに展開していくわけではなく、さまざまな要因、歴史的な社会状況、自然、人間的要素(文化・教育など)が絡み合って、実際の経済現象が生じるのだから、やはり、資本主義が本来内的な発展要素があるとしても、それを現実に動かしていくのは人間である。では、人間のどのような側面なのか。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」幸田達郎” の続きを読む

読書ノート「北の詩人」松本清張

 松本清張の「北の詩人」は、実在の人物林仁植という人物をモデルにした小説だが、史実とどの程度違い、合致しているかは、まだまだわからない面があるのだそうだ。それは資料的に現在でも絶対的に不足しているからということらしい。
 小説では主人公の名前は林和、ソウルに生れたプロレタリア詩人ということになっている。日本の植民地時代に日本の特高に捕まり、協力を条件として釈放される。ただ、日本の場合と違って、転向声明などをだすのではなく、あくまで非転向という体裁をとるが、実際には協力者、つまりスパイとなるという設定である。この点は、実際に日本と朝鮮における特高警察の対応に違いがあったのかどうかはわからないが、小説のなかで、戦後、つまり朝鮮にとっては解放後、アメリカ軍に協力させられるなかで、かなり複雑なことを要求されるので、日本のほうが楽だったという感想を述べるくだりがあって、考えさせられた。 “読書ノート「北の詩人」松本清張” の続きを読む

読書ノート「迷走地図」松本清張 幸せな人がいない政治の世界

 「迷走地図」とは、実に内容によくマッチした題名だ。上下2巻を要する長編小説だが、とにかく、誰が主人公で、どのような筋が展開しているのか、ほとんどわからない。下になってやっと、ひとつの線みたいなものが形成されるのだが、それも絶対的な中心を形成しているわけではない。簡単にいえば、国会議員の、とくに秘書たちの裏表が描かれ、そこに国会議員たちのあからさまな売名行為と、それを支える汚い裏が描かれていく。
 まず桂総裁と禅譲が約束されている寺西というふたりの大物政治家が存在していることになっているが、実際にこの二人はほとんど登場しない。そのまわりを囲む秘書たちが活動しているのである。寺西の私設秘書として外浦という人物がいて、東大法学部卒、商社にはいるが、寺西に請われて秘書に貸し出されている。そして、東大全共闘として活動したが、そのために法学部を退学処分となり、そのためにまともの就職から締め出され、現在は政治家のゴーストライターとなっている土井という人物。最終的にはこの二人が、この物語の重要人物になっているが、単純にふたりをめぐって展開するのは、下になってからである。 “読書ノート「迷走地図」松本清張 幸せな人がいない政治の世界” の続きを読む

読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

チャイコフスキー・コンクール2023

 チャイコフスキー・コンクールが開催されている。開幕に際しては、各紙が報じた。とくに、今回はロシアのウクライナ侵略開始後のことなので、そのことが話題の中心であった。西側からの応募者は激減し、参加国もへったとされる。ロシア以外では、積極的に参加したのは中国くらいのようだ。しかし、そういうなかで、日本人の参加は、7人とどの新聞も報じている。
 チャイコフスキー・コンクールは、ショパン・コンクール、エリザベート・コンクールとならんで、世界の3大コンクールと呼ばれているが、戦前からある他のふたつと違って、戦後になって、ソ連の国策によって設置されたコンクールであり、国威発揚的色彩が強い。もっとも、芸術的歴史の長い、そして、優れた音楽家を多数輩出してきた国らしく、とくに偏った順位づけをしているという感じもなく、チャイコフスキー・コンクール出身の優れた音楽家はたくさんいる。日本人の優勝者や上位入賞者もおり、そういう意味では、日本人にとっても、親しまれているコンクールであった。

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読書ノート『水を守りに森に 地下水の持続可能性を求めて』山田健(筑摩書房)

 近年読んだなかで、最も引き込まれた本だ。大抵の本は、途中で休止するのだが、この本はまったく休みなく読了した。筆者は、長くサントリー社内でコピーライターの仕事についていたためだろう、文章のテンポがよく、しかも、ときどきジョークをうまくはさむので、飽きることがない。そして、内容も非常に重要で、しかも、これまでの誤解をいくつも解いてくれる。そして、持続可能性の取り組み、SDGsと呼ばれて、流行になっているが、実は非常に複雑で、簡単ではないのだ、ということを、あらためて認識させてくれる。
 
 サントリーは、アルコール飲料と清涼飲料を主力とする企業だから、よい水は生命線である。よい水は豊富な地下水によってえられる。水は自然の資源だが、水資源がよい状態で確保できるかは、ひとの努力による。開発が進み、自然が破壊されていくと、水資源も枯渇してしまうのである。そこで、サントリーは企業をあげて、水資源の保全に取り組んでいる。その中心となっているのが、本書の筆者で山田健氏である。

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