読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。
 その後、建国神話から飛鳥、そして明治に到る歴史の概略が示されるが、常に天皇中心に描かれている。
 そして後半は、明治移行流入した西欧思想の合理主義、個人主義、自由主義、社会主義等々が、日本の国体にはあわない表面的な思想であると批判される。そして、五カ条の御誓文や教育勅語等々の理念が示され、明治天皇の和歌によって、日本精神が示される。

 私は、主に欧米の教育制度を研究対象にしてきたので、『国体の本義』の全文を読んだことがなかった。ただ、内容そのものはまったく目新しいものではなく、さまざまな文献に示されているから知っていることばかりだったが、こうしてまとめて読んでみると、一番不思議に感じたのは、この文章を書いたひとたちの精神状況は、どんなものだったのだろうかということだった。もちろん、『国体の本義』編纂のために集められたひとたちは、当時において知的レベルの高いひとたちだったはずであり、たとえば、吉田熊治などは、当時最も権威のある教育学者だった。現在でもある程度影響力のある和辻哲郎もはいっている。だから、書かれていることについての現実的妥当性については、間違いなく正確に判断できるひとたちであろう。しかし、ここに書かれていることは、間違いなく神話的創作であり、事実とはまったく異なることが、古代だけではなく、明治に到るまでいたるところに書かれている。
 万世一系の天皇がずっと日本を統治してきたという歴史が書かれているわけだが、古事記と日本書紀によって建国が書かれて、それは「事実」として扱われている。もちろん、筆者たちは、それを歴史的事実として認識していたのでないことは明らかであるから、なんらかの形で、「事実としての歴史」を学校で教えることについて、考えるところがあったはずである。
 国民を二つに分け、真実を教える上層と、真実など知る必要がないとする下層のものに応じた対応であると割り切ることはできたとしても、それならば、この『国体の本義』全体として流れる、天皇の前にはすべての者が平等で、「和」の精神で協調する存在であるという建前に反することになる。

 歴史的事実に反することも相当書かれている。天皇が万世一系ということが、血筋が継続しているというだけではなく、平和的に系統がつながって生きたことも含意していたわけだが、当時ですら、壬申の乱、保元・平治の乱、鎌倉後期の二つの系統の相剋と妥協、南北朝の対立など、天皇の内部的争いは何度も生じてきたことは、知られていたはずである。
 また、日本人は、主人に対して忠実であることが、歴史的に常に実現していたかのように書いているが、源平対立、鎌倉末期から室町前期、そして戦国時代は、裏切りや下克上は珍しくなかったことも周知の事実である。

 明治以前の歴史は、かなり史実に反することが書かれており、そして、それは筆者たちも認識していることだったろう。
 『国体の本義』が作成されたのは、天皇機関説事件のあと、国体明徴が宣言され、その実質化として、教育をとおして、国体の認識を徹底させることが目的だったから、当然、天皇絶対の価値観、西欧的価値観の排撃が大前提だったから、執筆者としてのメンバーに入ることを承知した時点で、神話的歴史が書かれ(当時の国定教科書はその立場で書かれていた)、自由主義、社会主義、合理主義などが、否定されることは明白であった。それを承知での参加だから、悩むことなどなかったのだろうか。
 紀平正美のような国体積極肯定論者は、矛盾を感じないのかも知れないが、吉田熊次や和辻哲郎が、疑問を感じなかったはずはない。
 次の課題として、心底時局に迎合していたわけではないが、『国体の本義』の編纂に参加していたひとたちの著書で、何か書かれているかを探してみることにしよう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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