福島県の小学校で、校長が飲酒で再三教育委員会から注意を受けていたが、是正されず懲戒処分をうけたという記事があった。「「アルコールのにおいがする」小学校の校長が校長室で“飲酒” 市教委が計9回指導・福島」https://news.yahoo.co.jp/articles/724853b992721c505db7330b6e8202f96cdd335e
また別の記事では、「校長が児童を突然怒鳴る、学校内の飲酒で発覚 市教委の報告漏れも」https://news.yahoo.co.jp/articles/4554274c6bc3eeb291b1d9566dcbcd0f873d1b65
正確にはわからないが、同一の校長だと思われる。
最初は前者の記事を読んでいたのだが、後者の記事を読むと、校長が女性で、暴言をはいていたことが書かれている。このようなことが起きても、別にあまり驚かなくなっている自分が、少々怖い気もするが、現在の日本の校長の存在形態からみれば、別の形ではあれ、問題をもった校長や教頭が少なくないことは、充分に推測できる。 “小学校校長が校内飲酒で処分” の続きを読む
カテゴリー: 教育
理系博士課程院生への支援の外国人廃除は疑問
外国人への規制を強める雰囲気の一環として出てきたかどうかは不明だが、国が特定の自然科学系の大学院博士課程の院生に対して行っている補助金を、外国人の留学生にはださないという方針がだされ、外国人留学生が当然のように抗議をしている。この問題はとても難しく、簡単には解答がだせないのだが、いくつかの点で考えてみたい。
まず、外国人留学生の大学教育の授業料について、三つのパターンがある。
第一は、当該国民と外国人を平等に扱うタイプ、第二は、外国人留学生を優遇するタイプ、そして第三は、外国人に余分の負担を課すタイプである。 “理系博士課程院生への支援の外国人廃除は疑問” の続きを読む
五十嵐顕は知識人か2
つぎにアマチュアということでみてみよう。
五十嵐は、まさしく「アマチュア」であったということができる。それはもちろん悪い意味ではないが、専門家としては弱点であることも否定できない。
五十嵐は、最初の職が教育研修所の所員であり、そこで、アメリカの教育委員会の調査という課題を与えられていた。アメリカの教育委員会の多くは、財政権をもっており、したがって、教育委員会の研究をすれば必然的に教育財政の分野に踏み込むことになる。そして、研修所の主任であり、五十嵐を採用した宗像誠也が東大に移り、そして、五十嵐を呼んだわけである。このとき、五十嵐は、宗像の申し出を断ったという。教育研修所にこのままいたいというわけだ。結局、説得に応じて東大の助教授となるわけだが、私は五十嵐は本心で断りたかったのだと思う。五十嵐は、地位を求めることにはあまり関心がないような生活感覚を示していたが、東大のポストがさして魅力的でもなかったのではないだろうか。 “五十嵐顕は知識人か2” の続きを読む
五十嵐顕は知識人か1
エドワード・サイードの「知識人とは何か」を参考にして、矢内原忠雄と丸山真男を論じた文は、大変不充分なものなので、再度それぞれやがて論じておきたいが、今回は五十嵐を加える文となる。
再度簡単にサイードの知識人の要件をあげておくと、・アウトサイダー・アマチュア・現状の攪乱者となっている。
アウトサイダーとは、特定の人種、民族あるいは国家、共同体などにとらわれることなく、物事を普遍的な立場から捉えることができるという意味である。もちろん、そういうところに属していることは差し支えない、というより、属さないことが現代社会では不可能ともいえる。だから、その所属を超えることができるということだろう。 “五十嵐顕は知識人か1” の続きを読む
国立大学予算での文科省と財務省
いまや年中行事になった観がある、予算をめぐる文科省と財務省の争いだ。これはずっと以前から続いていることであるが、現在の焦点は、国立大学予算に関してである。以下の記事があった。
「文科相、国立大の運営費交付金「増額が必要」 財務省に反論」(朝日新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab93b70e5110c7de898f31bc7cf0845455dfbbf2
私は私立大学に勤めていたし、また現在は定年になって現場を離れているので、自身の切実観はないのだが、やはり、日本の科学技術、教育の発展は気になるし、絶対に軽んじてはいけない領域である。 “国立大学予算での文科省と財務省” の続きを読む
「教師に残業はない」のか
福岡の県立高校の教師が、過度の残業でホテルのロビーで突然倒れ、首の後の血管が破裂して、以後意識が戻らないままずっと寝たきり状態になっているという。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2290434?display=1
校長は当時、「頑張ったんだけどね。残念でしたね」という言葉をかけられただけだったという。学校現場が最悪のブラック職場のひとつであることは、広く認識されている。そして、それは、教育行政による勤務形態の押しつけのために起っていることである。したがって、勤務形態と給与の関係を変更しないと、こうした被害は今後もなくなることはない。 “「教師に残業はない」のか” の続きを読む
女子大の存続は
女子大の存続問題がいろいろと論議されているし、また、実際に女子大の教職員は真剣な検討をしているだろう。2025年から約5年間は、18歳人口が多少増えるのだそうだ。それは、団塊ジュニアの子どもたちが18歳を迎えるからだという。私は、団塊の世代そのものなので、こうした受験人口の変化による学校の淘汰を何度も経験してきた。 “女子大の存続は” の続きを読む
東京の高校からノーベル賞ができないわけ
ノーベル賞を久しぶりに日本人が受賞したが、面白い記事があった。なぜ、東京の進学校から受賞者がほとんど出ていないのかという記事である。「「大学は圧倒的に東大・京大だが…」ノーベル賞受賞者28人のほとんどが“地方の公立高校”出身である理由 なぜ東京の高校から“圧倒的才能”が輩出されないのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4058cd8381b239d2bf03f010f63df24ff0726549#:~:text=%E3%80%8C%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%80%8D%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE,%E8%80%85%E3%81%AF%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA&text=%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E5%AE%9F%E3%81%AF,1987%E5%B9%B4%EF%BC%89%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA%E3%80%82
けっこう長い記事だが、簡単に要点をまとめると、東京の公立名門校や私立の難関校などは、効率的な学習をしているからで、ゆったりとした教育が行われている地方の学校が受賞者を輩出しているというのである。 “東京の高校からノーベル賞ができないわけ” の続きを読む
高校の授業料無償化を考える(4)
しばらく間があいてしまったが、今回はこのテーマによる最終回である。
私立学校と公立学校の関係が、これまでの、そして多くの国でそうであるように、公立学校は国家の設置する学校で、万人用の教育を行い、私立は公立学校とは異なる教育を行うための、特別の学校であって、公立は国家によって費用が賄われ、私立は利用者が負担するというシステムである。現在の日本に限らず私立学校に公費補助がなされる国も少なくないが、しかし、まったく平等というのはオランダに限られる。
では、どういう関係が好ましいのか。 “高校の授業料無償化を考える(4)” の続きを読む
高校授業料無償化を考える(3)
私立学校と公立学校は、本質的に違うものなのだろうか。法的には明確に区別されているけれども、教育の実態はどうなのだろうか、と考えると、私には、本質的な差はないとしか思えない。私立学校の教育は確かに多様である。しかし、公立学校も同質などとはとうていいえない。通学区によって通う学校が規定されている公立の小中学校でも、その差はかなり大きいのである。通学区を指定して、通学する学校を選択できないようにしている理屈は、教育の水準を一定に保つことによって、どの学校に通っても同じ教育が受けられる、というのがあるが、そのようなことを信じているひとはいないだろう。 “高校授業料無償化を考える(3)” の続きを読む