三上和夫氏が亡くなった

 三上和夫氏といっても、知る人ぞ知るということもいえるが、教育学の世界では、著名であるし、また実力ある研究者だった。現在、私は、大学時代の教授(ただしゼミ生ではない)であった五十嵐顕全集の編集の手伝いをしているのであるが、五十嵐先生がなくなったとき、強く著作集の刊行を三上氏が主張したが、反対もあり、それは実現しなかった。その経緯については、三上氏から直接何度も聞かされており、したがって、今五十嵐顕全集が準備されていることについて、三上氏は非常に喜び、可能な協力を惜しまなかった。その協力によって入手できた五十嵐論文も少なくない。しかし、この完成をまたずして亡くなられたことは、本当に残念だ。

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トランプの教育省閉鎖政策

 トランプ大統領が、教育省廃止にむけた大統領令に署名したということが、大きな話題になっている。あまり知られていないことだが、アメリカでは、1979年に連邦政府の教育省が設置されるまで、日本の文部科学省にあたる省庁は存在しなかった。しかし、州政府の中には、文部科学省にあたる部局が存在している。つまり、アメリカでは、憲法によって、教育は州の権限であることが、銘記されているのである。だから、連邦政府には、文部行政をおこなう必要がなかったといえる。これは、アメリカのような広大な面積をもつ国では、教育に対する要求も多様であるだろうし、学校教育は地域が主体となって運営することが適切である、という考えに基づいていたのであろう。

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「指導死」の記事

 ヤフー・ニュースに「指導死」に関する記事が掲載されていた。
 「【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方」と題する記事があった。【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方(読売テレビ) – Yahoo!ニュース
 カンニングと喫煙をして、厳しい指導があったあと、自死した例であった。共に高校生である。この記事は、「指導」について考えるものだが、私は、カンニングについて考えてみたい。私は大学の教師だったが、やはり、カンニング対策をしたし、実際にカンニングを見つけたことが数回あった。35年間の教師生活での数回だから、圧倒的に少ないといえるだろう。ほかの先生たちは、もっと多くの経験をして、かつ、厳しい対応をとっていたように思う。大学生が対象だから、多少受験を控えた高校生とは異なるだろうが、しかし、基本的考えかたは同じではないかと思うのである。

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途上国からの脱出4 悠仁親王の進学問題

 今日は終戦(敗戦)の日とされている。正式に戦争が終ったのは9月の降伏文書の調印であるが、一般的には8月15日に戦争が終了したとされている。これは、天皇がポツダム宣言の受諾をラジオ放送したことによって、戦争が終ったのだという、一種の天皇制の意味づけを行っていることだと解釈できる。だが、戦前は決して許容されなかった天皇への批判も、戦後は可能になった。現在でもタブー視されている面はあるが、戦前に比較すれば、健全な状態になっているといえるだろう。しかし、しばらくは国民にも支持されてきた天皇制度も、近年不祥事もあり、国民の信頼はかなり低下しているように思われる。そしてそれが加速するような事態が起きつつある。

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途上国からの脱出3

 入学試験があるのは当然だという思い込みともうひとつ思い込みは、学校の単線型体系が民主主義的であり、複線型体系は非民主主義的であるというものだった。これは、いまでもそのように考えている民主主義者が多い。特に日本では1960年代に高校の多様化路線が打ち出されて、職業高校を多くつくり、早めに就職させる、大学などに進学するのは無駄だという特に財界の意志が、教育に反映したものだ。しかし、明かに、成績のよい者が普通科に進学し、成績の悪い者が職業科に進むという、大体においてそうした傾向があったことと、その後社会が高度化して、大学卒業生が就職の基礎資格のようになると、大学進学に有利な普通高校をほとんどの中学生が求めるようになって、現在では圧倒的に普通科の高校が多くなっている。こうした中で、普通高校と職業高校を格差をもって構成すること、そして、それ以外の高専など、学校体系を複線型にすることが、民主主義的でないと考える人が多いわけである。 “途上国からの脱出3” の続きを読む

途上国からの脱出2

 前回、教育の分野では、とにかく入試を廃止と提起した。
 いや入試こそ、能力主義が実施されていて、入試をやめたら、青年は勉強しなくなるし、競争もおこなわれず、能力が評価されなくなるのではないか、という疑問が生じるかも知れない。
 しかし、入試こそ、若者を勉強嫌いにするものであり、かつ能力を正当に評価しているものでもないのである。入試競争を梃子にして、子どもたちを勉強に駆り立ててきたのが、日本の教育の特徴であるが、現在は大学ですら、とくに選ばなければ必ず入れる大学全入の時代になっている。だから、一部の超難関大学以外は、それほど勉強しなくても入学できる時代である。だから、私が大学に勤めていたときにも、高校時代とにかく勉強に明け暮れた、などという学生はほとんどいなかった。むしろ高校生活を謳歌していた者が多い。だから、大学にはいっても勉強しない学生はいるが、逆に、大学にはいって、好きな勉強分野を見つけると、一生懸命勉強し、その面白さに気付く者も少なくないのである。 “途上国からの脱出2” の続きを読む

教員の処遇改善50年ぶり?

 ヤフーニュースに共同通信配信の記事「教員処遇改善、50年ふり増額へ 月給上乗せ10%以上案」という記事が掲載されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ef3cf91cea5e893d9af2878be9e9eb439b69f7
 公立学校の教員に対しては、残業手当を支給しないかわりに、基本給4%の特別手当を支給し、その代わり、残業をさせる業務を限定するという形になっている。その4%を10%以上にあげるという案が検討されているということだ。
 私自身は、残業手当という方式も、また、この教職特別手当の方式にも賛成ではなく、別の方式を構想しているが、とりあえず、現行制度を前提に考えれば、あげることは反対ではない。近年の教職に対するあまりに不人気な状況が、文科省すら危機感をいだかせているということだろう。 “教員の処遇改善50年ぶり?” の続きを読む

読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

小学校卒業文集廃止の動きについて


 確かに、これまでは卒業文集なるものを作成するのが普通だった。少なくとも小学校においては。中学校や高校ではなかったと思うし、大学では当然ない。しかし、小学校でも卒業文集を廃止する動きがひろがっているのだそうだ。
「小学校で広がる 「卒業文集」廃止の動き 背景に先生の業務過多も保護者たちの反応は?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d199210f44f58bc44436695de04f3a856d05ffc5

 結論からいえば、廃止はごく自然なことだと思う。 “小学校卒業文集廃止の動きについて” の続きを読む

PTAからの卒業記念

 PTAから卒業生に記念品を贈る慣習は、いまでも残っているようだ。大分前(10年以上前)に、大きな議論になったことがあった。それと同じ議論が繰り返されているのだが、その結論に関しては、多少の力点の変化が起きているようだ。 “PTAからの卒業記念” の続きを読む