教員の処遇改善50年ぶり?

 ヤフーニュースに共同通信配信の記事「教員処遇改善、50年ふり増額へ 月給上乗せ10%以上案」という記事が掲載されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ef3cf91cea5e893d9af2878be9e9eb439b69f7
 公立学校の教員に対しては、残業手当を支給しないかわりに、基本給4%の特別手当を支給し、その代わり、残業をさせる業務を限定するという形になっている。その4%を10%以上にあげるという案が検討されているということだ。
 私自身は、残業手当という方式も、また、この教職特別手当の方式にも賛成ではなく、別の方式を構想しているが、とりあえず、現行制度を前提に考えれば、あげることは反対ではない。近年の教職に対するあまりに不人気な状況が、文科省すら危機感をいだかせているということだろう。 “教員の処遇改善50年ぶり?” の続きを読む

読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

小学校卒業文集廃止の動きについて


 確かに、これまでは卒業文集なるものを作成するのが普通だった。少なくとも小学校においては。中学校や高校ではなかったと思うし、大学では当然ない。しかし、小学校でも卒業文集を廃止する動きがひろがっているのだそうだ。
「小学校で広がる 「卒業文集」廃止の動き 背景に先生の業務過多も保護者たちの反応は?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d199210f44f58bc44436695de04f3a856d05ffc5

 結論からいえば、廃止はごく自然なことだと思う。 “小学校卒業文集廃止の動きについて” の続きを読む

PTAからの卒業記念

 PTAから卒業生に記念品を贈る慣習は、いまでも残っているようだ。大分前(10年以上前)に、大きな議論になったことがあった。それと同じ議論が繰り返されているのだが、その結論に関しては、多少の力点の変化が起きているようだ。 “PTAからの卒業記念” の続きを読む

中学生にも麻薬汚染が

 9月に大麻所持で中学生が逮捕されて話題になったが、大麻に汚染されている中学生が多数いると、テレビに対して証言した中学生が現われて、更に問題になっている。
「大麻に手を染める生徒は「沢山いる」隣の子に「見て見て」 中学生が激白、薬物がまん延する沖縄の現状」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e17fe066f14515515152079ca764db8fea2c6d14
 逮捕された生徒と同じ学校の生徒が証言したものだが、だいたいは先輩から入手し、入手すると、まわりにみ見せびらかすことが多いと語られている。つまり、違法薬物で、逮捕される可能性のある「物」だという認識が、極めて薄いようだ。
 日大のアメフト部での大麻汚染問題は、まだ泥沼状態が続いているが、社会に拡大していることが事実であるとすれば、本当に由々しき状況である。

 気になることのひとつに、大麻はたいした害がなく、煙草より安全だから、煙草が合法なら、大麻も合法にしてもいいのではないか、という見解や、大麻は医療的な効果があるので、合法にすべきという、ふたつの合法論があることだ。もちろん、意見は自由だが、合法化論には、まったく賛成できない。

 まず医療的な効果があるというのは、麻薬というものは、多くの種類のものが、治療用に、厳密に管理された中で使用されているのだから、医療的な効果があるということは事実だろう。しかし、だから、一般的な使用を合法化することとは、まったく別の問題であって、専門医によって厳格に管理された上で使うのと、一般人が、「注意書き」があったとしても、自由意志によって使用することとは、まったく意味が異なる。麻薬は麻薬であって、基本的には身体的には害があるものである。
 煙草より害が少ないという点についても、煙草自体の害が認識され、事実上多くの場で喫煙が禁止されていることを見れば、煙草もやがて、より厳しく禁止されるようになるべきであるとも考えられ、煙草より害が少ないことは、合法化の理由にはならない。
 大分前のことだが、ある心理学者が、政府の煙草審議会に参加して、そこで議論されていたことを紹介している本があった。それは、煙草を容認しておけば、政治に対する不満が弱まる、しかし、禁止すると政府に対する不満が、煙草禁止と合わせて強化されるので、合法にしておくことがよい、という理由で、煙草の禁止措置をとらないことが確認されたという。
 煙草の合法措置は、こうした市民の不満解消のためであるとすれば、大麻の合法化が行われたとしても、実はそうした意味合いかも知れないのである。

 ここでもう少し考えたいのは、世界で大麻などソフトドラッグが合法化されている国があることだ。いわゆる先進国でソフトドラッグ合法化したのは、オランダが最初だった。オランダは、バードドラッグは現在でも厳格に禁止して取り締まっており、ソフトドラッグは使用場所や量を制限して、その限りで合法化している。そして、現在でも実施されているかは、確認していないが、かつて麻薬バスを走らせていた。大麻などを希望する者が、所定の場所、所定の時間にいくと、医師が麻薬を射ってくれるのである。
 問題は、何故そうした措置をとったかである。決して、大麻が煙草より安全だから、合法化してもいいだろう、などということではないのである。当時、麻薬に関連して、深刻に恐れられていたことはエイズだった。アメリカではエイズが同性愛の行為から伝染していたといわれたが、ヨーロッパでは、主にドラッグの注射針から伝染したと考えられていた。注射器をまわしながら、ドラッグを注射していたから、そこにひとりエイズ感染者がいれば、多くの人に伝染してしまうわけである。だから、なんとか、そうした行為を止めさせるために、医師が安全に注射してあげるかわりに、それに違犯した者には、厳罰を課すという方法をとったのである。大麻は吸引する方法をとることが多いので、場所を指定して(コーヒーショップといわれる場)合法にしたのである。もちろん、麻薬バスでは、投与の量を少しずつ減らすことによって、中毒状態を治療する効果も狙っていた。
 つまり、エイズが蔓延することを防ぐために、より害の小さい方法をとったのが、オランダのドラッグ合法の目的だったのである。

 現在日本では、大麻などの合法化によって、より大きな害を効果的に減らすことができる、などという対象が存在するわけではない。かつては、犯罪組織がドラッグを扱っているのが普通だったから、合法化することによって犯罪組織の資金源を絶つという目的もありえたが、今は暴力団への取り締まりが徹底していて、暴力団が主体となって、ドラッグが拡散しているわけではなく、むしろ、「普通」のひとたちのビジネスと興味によって拡散していることがめだつ。したがって、身体的害の小さなドラッグを合法化することの社会的メリットは存在しないのである。害は小さいといっても、害であることに間違いはない。むしろ、若者がドラッグに近づかないように、可能な限りの方法を実行すべきである。

 

 

 

日大アメフト部廃部について

. 日大アメフト部廃部問題について
 日大のアメフト部が再び大きな問題を起こしたのは、二度目だから、さすがに世間の見方は厳しい。廃部が競技スポーツ運営委員会で決定したとき、ヤフコメでは当然だろうという意見が多数だったという印象だった。日大アメフト部は、日大のなかでも、また全国のアメフト部のなかでも、際立って強い部だったそうだから、おそらく大学内での扱いもかなり特別なものがあったのだろう。 “日大アメフト部廃部について” の続きを読む

文科省が大学再編・統合の方針?

 文科省が少子化に伴う大学入学者の減少という事態にたいして、再編・統合をうながす議論を進めるように、中教審に諮問したと報道されている。「文科相、大学の再編・統合を中教審に諮問 入学者数の減少見据え」(毎日新聞)
 18歳人口は22年で112万、それが40年には82万になるのだそうだ。進学率の上昇や留学生の受け入れが進んだとしても、その間12万5000人減って51万人になるという予想だ。

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五十嵐顕考察32 藤野先生(魯迅)

 五十嵐は、教育学の中核に「教育実践」という概念を常においていた。最初の論文集『民主教育論』でも、教育実践が、教育研究に先行し、また中核を占めることを強調している。しかし、他の概念もそうだが、五十嵐の教育学概念のなかで、「教育実践」がいかなる内実をもっているのかは、明確でない。少なくとも、常識的に考えられる教育実践よりは、広い概念であると考えられる。常識的に考えられる教育実践は、(私の考えに過ぎないが)教師が教室で行う授業実践が中核となるといえる。しかし、五十嵐は、そうした教師の具体的な教室における実践を、ほとんど対象としていない。教育財政学が専門だから、当たり前ともいえるが、具体的に教室で授業を見ることは、何度もあったはずであるし、また、自身が教授として、大学で授業をしていたのだから、そういうなかで、実践分析をすることがあってもよかったのではないかと思うのだが、私が見る限り、そういう教育実践分析の文章は、ほとんどみられない。

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港区の中学修学旅行 海外へ

 来年度から、東京港区の公立中学では修学旅行に海外にいくのだそうだ。私立高校などでは、海外の修学旅行はめずらしくもないが、公立の中学となると、これまで聞いたことがない。9月19日の毎日新聞の報道によると、都内では初、全国的にも珍しいという。しかし、このニュースには、いくつか驚くことがある。
1 24年度の港区の公立中学の3年生は760人しかいないそうだ。私の近所の市立の大規模中学では、一校一学年で、そのくらいの人数がいそうだ。いくら少子化といっても、ひとつの区の中学生の一学年の人数としては少なすぎないか。
2 生徒の自己負担は、おそらくこれまで積み立てているだろうが、それは通常の京都・奈良想定だろう。7万くらいなのだそうだが、当然、海外であれば、それではとうてい済まない。不足分は区が補填するという。
3 港区では小学校一年から「国際化」という授業があり、英語教育に力をいれているという。

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五十嵐顕考察31 民族の独立という問題

 五十嵐は、教育行政のいわゆる反動化、逆コースといわれる時期をすぎると、民族の独立問題を重視するようになる。それは、日本がアメリカの統治から独立したにもかかわらず、平等とはいいがたい安全保障条約を結び、日本各地に米軍の基地が残り、真の独立が達成されていないという認識から、対米従属からの独立という政治課題を重視したからであろう。そして、それに留まらず、戦後、植民地状況から独立を果したアジア・アフリカの独立、そして、民族自立を議論の柱のひとつとするようになる。そして、その中心が、中国と北朝鮮であった。五十嵐を含む教育関係者が、中国を訪れ、各地の教育関係者や子どもたちを交流をかさねたのは、1961年である。そして、五十嵐は、教育財政の専門家という立場から、社会主義国家における教育の機会均等や教育費の問題を論じている。

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