PTAから卒業生に記念品を贈る慣習は、いまでも残っているようだ。大分前(10年以上前)に、大きな議論になったことがあった。それと同じ議論が繰り返されているのだが、その結論に関しては、多少の力点の変化が起きているようだ。
https://mainichi.jp/articles/20240227/k00/00m/040/333000c
議論というのは、PTA会員でない保護者の子どもにも、卒業記念を贈る必要があるか、あるいは逆に贈らないのは差別ではないか、というようなことだった。これは、PTAが事実上、入会義務があるように思われ、実際に全員が会員となっている場合には、起きない議論である。しかし、PTAは任意団体であり、必ずしも入会する必要はないことが、次第に認識されるようになると、会員にならない保護者が出てくる。そうしたなかで、PTAとして、卒業生に贈る記念品を、会員ではない保護者の子どもを対象にするかは、当然議論になってくる。というのは、記念品は当然のことながら、PTA会費から出されるから、会費をだしていない人に贈る必要はないという意見が出てくることになる。しかし、親がPTAに入るかどうかは、子どもの意志ではないし、それによって、学校における対応が異なってしまうのは、当然教育の場としてはふさわしくない。だから、親の問題を子どもに向けるなという意見が出るのもまた当然といえる。
今回は、この議論が再燃しているのは、おそらく、当初会員にならない保護者は少数だったので、非会員の子どもに贈っても、大きな負担にはならなかったが、次第に加入者が減ってくると、PTAとしての負担が目に見えてくるという事情があるのではないだろうか。
今回、この記事に対するコメントをみると、圧倒的に、会費を出していない保護者の子どもに、記念品を贈らないのは当然である、なぜもらえないかについて、親が子どもにきちんと説明すべきである、というような意見が多かった。
さて私は以下のように考える。
第一に、そもそもPTAがこのような記念品を贈る必要があるのかということだ。日本のPTAの歴史は、多くの場合、学校の財政的援助の歴史だった。もちろん、ある時期から、日本の学校は、国際的にも設備、備品などが豊富になっているから、PTAの援助があてにされることはほとんどなくなったといえるが、戦後の貧困状態で新制の義務教育制度が始まって以来、PTAは学校の教育条件を整えるのに、大きな役割を果した。全国のプールの多くは、PTAの寄付でできたともいわれるくらいである。そのために、会費や随時寄付が集められたのである。卒業生への記念品も、そうした一環として行われたといえるだろう。少なくとも、PTAに対して、そうした学校の経済的援助団体と考えることは、適切ではないし、もし、そうした使われ方がしているならば、会費そのものを減額すべきだろう。私は卒業記念品などは不要だと思うのだが、もし、保護者や子どもたちのほとんどがそれを望むのならば、PTAが事務処理を行うとしても、別途その費用を徴集して購入・配布するのがよい。その場合、敢えて望まない場合には、贈る必要もないだろう。その場合には、贈り物を欲するかどうかを選択したのだから、不公正などということはないだろう。
第二に、PTAの最大の問題は、PTAが保護者全員の意志集約を行って、学校の運営に対して発言する権利をもっている団体ではないという点である。もちろん、保護者だけではなく、生徒も、代表を送って、運営に対する発言権をもっている国は、いくらでもある。その場合、当然その団体は原則的に全員加盟制度であるが、多額の会費をとったり、その人の日常生活にとって負担になるような仕事をしなければならないということはない。日本のPTAの活動は、多くが学校が開かれている時間帯に行われるが、そうした国では、保護者の活動は夜に行われる。
日本では、教育委員会が指定することによって、外部の人間が学校に対して発言権をもつ運営協議会を設置することがあるが、ここに保護者の団体の代表が参加するわけではない。保護者が参加していたとしても、それは個人として指名されたからであって、保護者団体によって送り出されるわけではない。もし、PTAがそうした発言権をもち、代表をきちんと選んで送り出すようにすれば、日本の学校運営も変ると思うが、そもそもPTAは、保護者の団体ではなく、教師も形式的にははいっているからは、保護者の意志を集約する会ではないのである。
日本の学校運営は、教育行政当局によって、上からの管理統制が基本になっているから、(そうではないように、ある意味変わっている面もあるが)困難ではあるが、やはり基本的には、構成員が意志を集約し、運営に関わる権限をもつことが、学校をよくするためには必要なのである。