道徳教育ノート 二匹の蛙3

 新美南吉の「二匹の蛙」の実践記録は、当初思ったよりも少なかった。テキストは、「二匹の蛙1」を見ていただきたいが、(また青空文庫で読むことができる)国語教材として扱われ、道徳教材にはなっていないようだ。しかし、私は、話としては単純で、「ごんぎつね」ような複雑さはないために、むしろ、道徳教育の教材としては、かなり明確なポイントがあるために、やりがいがあるものだと考える。道徳の教科書に掲載されているかは、全部チェックするわけにはいかないが、採択してほしい作品だ。
 当初、黄色と緑色の蛙が、それぞれ互いに相手を汚いやつだと罵り合って喧嘩になる。冬眠したあとでてきて、すぐに喧嘩がはじまりそうになるが、土の中から出てきたばかりなので、体を洗ってからにしようということになり、体が洗われると、きれいな色に見え、仲直りしたという、極めて単純な筋である。
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ALC貝塚学院閉鎖さわぎ 認可制度と自己責任

  3月28日のニュースは、ALC貝塚学院の閉鎖問題を大きく取り上げていた。午前中は、「閉鎖」だったが、夕方になると、「閉鎖しなくてもすむ可能性」が出てきたようなこともいわれていた。今日もまた、このニュースでワイドショーは賑わうかも知れない。
 無認可幼稚園という言い方をニュースではしていたが、ホームページを見てみると、ふたつの組織があって、それが融合して機能しているように思われる。ひとつが、ALC貝塚学院(以下「学院」)で、幼稚園のような組織になっているが、ホームページには、一般の幼稚園ではないことが断ってある。もうひとつが、ALCアルファウィング(以下「ウィング」)というもので、建物は別で、こちらは、英語、水泳、体操、バレエ、フィットネスに分かれており、更に学童の機能をもたせている。(フィットネスは、よく見るとチアダンスのようだ。)
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広島呉市のいじめ 形式主義の対策が解決を遅らせる

 毎日新聞3.26に、いじめ放置という記事が出た。自殺などの最悪の事態になったということではなく、卒業して高校生活への期待をもっているということのようだ。しかし中学3年間、いじめ被害を訴えたにもかかわらず、適切な対応をされなかったという記事の内容である。いろいろ考えるさせられるところがあるので、それらを整理しておきたい。

 記事のなかで、経緯が年表風に整理されている。
2016夏 同級生から服を破られるなどのいじめがはじまる
2017.11 3回教室で服と下着を脱がされる
     保護者が学校と市教委に連絡。学校が加害生徒に聞き取り
2018.4 学校が保護者に「グループ内の罰ゲーム」と説明。一時不登校
   6 不安障害と睡眠障害と診断。休みがち
   11 市教委が保護者に「重大事態として再検討」と連絡
2019.2 市教委が保護者に「重大事態として第三者委員会を設置したい」と連絡

 以上が、毎日新聞が整理した経緯である。
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ピエール瀧出演の作品放映問題


 臨時の投稿になるが、ピエール瀧の出演の映画が、東映によって上映が決まったということで、話題になっているようだ。私自身は、ピエール瀧という人にあまり関心がないので、そのこと自体はどうでもいいのだか、これまでは、たいてい犯罪容疑者となる人がでると、その出演作品は、没になることが多かった。
 今回でも、中止になる放送中の番組が8あり、過去に出演したのが、51あるそうだ。https://ccccclub.net/c/pierretaki/
 再放送がされなくなる等のことはあるだろうし、DVDなどの販売が中止になることもあるだろう。
 ウェブ情報は以下のように伝えている。

 東映は20日、麻薬取締法違反(使用)容疑で逮捕されたミュージシャンで俳優のピエール瀧(本名・瀧正則)容疑者(51)が出演している映画「麻雀放浪記2020」について、当初の予定通り4月5日から劇場公開すると発表した。場面のカット、再編集はせず、本編開始前にテロップ(字幕)で瀧容疑者が出演していることを明示し、劇場に掲出するポスターに同様の文言を掲載するという。
http://penguinsokuhou9.blog.jp/archives/17060637.html

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「相棒」3 辞書の神様 神様ならもっと敬意を

 以前は「相棒」の熱心な視聴者だったし、講義でよく触れたものだ。考えさせる内容が豊富だったのだ。しかし、最近は特に台本の質が落ちて面白くなくなったので、ほとんど見なくなっていた。久しぶりに、見ようと思い、録画した今シリーズ第3回「辞書の神様」をみたが、不快になった。ドラマに何を求めるかは、人それぞれだと思うが、この手のドラマ作りが「相棒」には多くなっているので、どうしても気になった。

 あらすじを簡単に整理しておく。
 公園で文礼堂の編集者中西が殺害されているのが発見される。
 文礼堂には普通の「文礼堂国語辞典」と大鷹公介単独編纂の「千言万辞」がある。後者は読物的な辞書で、右京もファンである。右京が、編集部の和田部長を訪れて、質問すると、和田は、「千言万辞」は売れないからやめようと担当の中西にいうと、中西は、大鷹を交代させるべく話しにいくといって出かけた、と語る。大鷹の弟子だった国島が公園の近くの防犯カメラに写っていたことで疑われ、取り調べられる。しかも、凶器と同じペーパーナイフを所持していた。国島は殺人を認める。
 それらに不自然さを感じた右京と冠城は、大鷹用の細かい動作指示のメモから、アルツハイマーを疑う。
 大鷹が自首してくるが、取り乱すので入院させる。右京は、完成間近といれわる「千言万辞」のゲラを見て、文礼堂部長の和田が、「千言万辞」に不快感をもっていることを感じ、廃刊したい和田と、国島に交代させて存続させたい中西の対立があり、和田が犯人であることを確信し、問い詰めると認める。
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女性宮家だけではなく、女性天皇の容認が憲法上正しい

 メディアで、女性宮家問題について扱われている。国会での議論を踏まえているが、しかし、議論の仕方そのものが疑問である。
 昨日テレビで、ある皇室ジャーナリストと称する高齢の人がコメンテーターとして出演して、解説していたが、そのなかに、憲法は男系の天皇を規定しているので、女性宮家を創設するにも憲法改正が必要だ、と受け取れるような発言をしていたと思う。テレビでの発言なので、絶対にそのように言ったかは自信がないが、憲法問題だとはいっていたので、とりあえず、そういう議論があるという受け取りで、以下考えるところを述べたい。

 女性宮家を創設するためには、憲法改正する必要があるという憲法条文は第二条だと説明されていた。
 第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
 ここでいう「世襲」とは、男系の世襲を意味するということだろうが、「世襲」ということの常識的意味として、男系と限定されることはないはずである。
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音楽の国際化4 楽器の改良

 ハワード・グッドールの説では、次は「ピアノ」であるが、私は、もっと拡大して「楽器」としておきたい。
 音階・音律は、現在平均律を中心として、必要に応じて純正律や他の古典音律が使われているわけだが、平均律に向かっていく動因となったのは、ピアノに至る鍵盤楽器の発展だった。鍵盤楽器は、最初、絃をはじいて音を出すチェンバロからはじまり、その後叩いて音を出すクラヴィコードが生まれ、音を叩いて音を出す、強弱の幅をひろげる、消す、のばす、音質をソフトにする等のメカニズムが様々に改良されて、現在のピアノに発展していくことになる。
ピアノの誕生と発展
 たくさんの絃をはじいて出す楽器としては、ギターやハープがあったが、16部音符の早いパッセージを継続的に演奏すること、厚い和音を奏することが難しい。ギターは、極めて音が小さいという欠点もあった。そこで、ハープを横にして、手で直接はじくのではなく、はじく器具を取り付け、鍵盤でその器具を操作するようにしたのが、チェンバロであった。チェンバロは、別名ハープシコードということでもわかる。鍵盤にすることによって、10本の指を自由に使うことができ、速い動きを正確に演奏できるようになり、また、たくさんの音による和音も可能となった。ハープというと、非常にたくさんの音を早く弾くのが容易ではないか、と思う人がいるかも知れないが、それは、19世紀後半になって、ペダルをつけることによって可能になったグリッサンドの演奏技法で、ヘンデルやモーツァルトの時代にはなかったのである。ヘンデルやモーツァルトのハープのための曲は、チェンバロやピアノで弾くような速いパッセージは出てこない。
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ペースを落とします

 定年後に備えて、一年間トレーニング期間としています。その手始めとして、この1カ月余毎日書いてきましたが、今後しばらく週2のペースにする予定です。一つ一つの文章のクオリティを高めることを目標にします。いろいろなペースを試したいと思っていますので、今後また変わると思いますが、しばらくは週2ということにします。
 またそれと平行して、ブログのデザインや様式も模索していくつもりです。
 コメントなどお寄せください。

鬼平シリーズ4 旗本の転落2

 旗本の転落の後半だが、前回の女問題ではなく、今回御家相続に関わる犯罪である。武士は、「家」が最大の課題であり、家の継続が至上命題になる。武士にとっての家は、単なる家族の集合体ではなく、経済単位であり、「家」そのものが生活の糧だった。家が存続している限り、生活は保障されていたわけである。家族が収入源の仕事をもつことによって、家族の生活が成り立つ現代とは、根本的に異なる。だから、家が大きな領主で、家臣がたくさんいれば、「家」が処罰されて取り潰されたり、あるいは、相続者がいなくて断絶したりすると、領主の家族だけではなく、家臣の家族全体の生活の糧が失われることになる。現代でいえば、会社の倒産にあたる。当然、誰が跡目を継ぐかという争いが生じる。自分の子どもや跡目にしようと企む者もいる一方、邪魔者を除こうとする者もいる。男子がいなければ家を存続させることはできないから、妾をもつことが当然とされ、その一族の争いも生じる。江戸時代を通じて、相続者がいないためにつぶされた大名だけでも、59家あったそうだ。旗本や陪審を含めれば相当な数になるだろう。
 鬼平犯科帳は、犯罪の主体が町人であるから、大名は対象になっていないが、希に、旗本の犯罪が扱われる。跡目相続に関係する話はふたつある。まず「毒」である。
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道徳教育ノート 二匹の蛙2

 文部科学省の「二ひきのカエル」を考えてみたい。
 この文章が、文部科学省のホームページに掲載されている道徳教育の教材であることに、まず驚いた。これはいったい如何なる「徳目」なのか。どういう道徳的価値を教える教材なのか、いくら考えても、私にはピンと来ないのである。(テキストは二匹の蛙1にあります。)
 若い蛙のピョン太が井戸に落ちて、なんとか這い上がろうとするができない、助けを求めても、誰も助けてくれない。おじいさん蛙がいて、諦めろ、ここもけっこう楽しいし、安全だなどといっている。そのうち、人間がやってきて、井戸水を汲むためにおけを落として、引き上げるとそこに蛙もいて、外に出られるという話である。
 いくら道徳の教材でも、あまりにリアリティの欠如した話というのは、教材としてふさわしくないだろう。
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