ハワード・グッドールの説では、次は「ピアノ」であるが、私は、もっと拡大して「楽器」としておきたい。
音階・音律は、現在平均律を中心として、必要に応じて純正律や他の古典音律が使われているわけだが、平均律に向かっていく動因となったのは、ピアノに至る鍵盤楽器の発展だった。鍵盤楽器は、最初、絃をはじいて音を出すチェンバロからはじまり、その後叩いて音を出すクラヴィコードが生まれ、音を叩いて音を出す、強弱の幅をひろげる、消す、のばす、音質をソフトにする等のメカニズムが様々に改良されて、現在のピアノに発展していくことになる。
ピアノの誕生と発展
たくさんの絃をはじいて出す楽器としては、ギターやハープがあったが、16部音符の早いパッセージを継続的に演奏すること、厚い和音を奏することが難しい。ギターは、極めて音が小さいという欠点もあった。そこで、ハープを横にして、手で直接はじくのではなく、はじく器具を取り付け、鍵盤でその器具を操作するようにしたのが、チェンバロであった。チェンバロは、別名ハープシコードということでもわかる。鍵盤にすることによって、10本の指を自由に使うことができ、速い動きを正確に演奏できるようになり、また、たくさんの音による和音も可能となった。ハープというと、非常にたくさんの音を早く弾くのが容易ではないか、と思う人がいるかも知れないが、それは、19世紀後半になって、ペダルをつけることによって可能になったグリッサンドの演奏技法で、ヘンデルやモーツァルトの時代にはなかったのである。ヘンデルやモーツァルトのハープのための曲は、チェンバロやピアノで弾くような速いパッセージは出てこない。
しかし、チェンバロは、小さな楽器だったこともあるのではないかと思うが、強弱をつけられないとして、不満が出され、強弱が出せる楽器としてピアノフォルテが作られたわけである。クラヴィコードも原理は同じだが、ピアノフォルテは、絃を叩くのに現在のようなハンマーを使うようになり、ペダルで音の持続性や弱音効果を出すような操作を可能にしたが、その手法は変えずに、精密さを高めたのが、19世紀のピアノの改良の歴史である。それまでの楽器、弦楽器などは現在でもそうだが、手工業的な方法で制作される。バイオリンなどは、個人が最初から終わりまでの工程を、ひとりでこなすことが可能である。しかし、現在のピアノは、数百本の金属製の絃を、強力に張った状態で固定できるフレームをはじめとして、鍵盤の動きを精密にハンマーに伝えるメカニズムを実現するのは、非常に高度な工業技術が必要である。産業革命を経た19世紀後半に、現在のピアノが完成するのは、そのためである。
こうして生まれたピアノは、単独で極めて高度な音楽表現力をもつと同時に、オーケストラの代用をつとめることさえできる。オーケストラの伴奏で演奏される歌劇や合唱曲も、練習ではピアノが伴奏するのである。まだ、オーケストラの演奏会が頻繁に開かれるわけではなく、実際にオーケトスラを愉しむことが難しかった19世紀の後半には、リストのようなピアノの名人が、オーケストラ曲をピアノ用に編曲して、家庭で愉しめるようにしていたのである。
つまり、ピアノはある意味普遍的な楽器といえるから、国際化する、見える主役ともいえるのである。
管楽器の発展
クラシック音楽の国際化を考える上で、楽器の改良はピアノだけに留まらない。最近は、古楽派ともいうべき、クラシック音楽の17世紀、18世紀の楽器を使って、当時の音楽を演奏することが、普通になっている。ピッチや奏法も当時の状況や習慣にあわせる。本当に当時のような演奏になっているのか、私自身は疑問をもっているが、注意すべきは、当時の楽器と現在の楽器は、同じ名称で呼ばれ、現代オーケストラで演奏する場合には、同じ楽譜を担当する楽器とは、相当の違いがある点である。
どちらもフルートであるが、下の古いフルートは、穴を直接指で抑える。それに対して、19世紀に改良された上のフルートは、キーがついており、そのキーを指でおさえ、バネで戻るようになっている。指で抑えると、隙間ができたり、抑える力の関係で、音程があいまいになる可能性があるが、キーで抑えるので、隙間ができることはなく、正確な音程で演奏できる。更に、金属製であるために、大きな音がでる。木製の音のほうが好ましいという人もいるので、金属ではなく木製で、メカニズムはキーで抑えるという楽器もあるが、これも改良形といえるだろう。オーケストラで使用されている木管楽器は、すべてフルートと同じような変遷をたどっているといえる。
もっと変化が大きいのは、ホルンなどの金管楽器である。
ナチュラルホルン
これらのホルンは、単に管を巻いただけのもので、倍音を使って出せる音しかでない。理論的に可能でも高い音は実際にはでないので、2オクターブの間のドミソの音が主な音になる。ただし、ラップの部分に手をいれて演奏するのだが、手の操作で、音程をかえることができるので、音階はだせるが、速いパッセージを演奏するには、かなり高度のテクニックが必要である。そして、この基本の管の長さをかえることで、基音をかえることができる。更に、右側のホルンは、管を長めにして、しかも、中の管を入れ換えることで、全体の長さを変化させることができる。演奏途中で、管の一部を入れ換えることで、出す音を飼えるわけである。これらをナチュラルホルンという。
19世紀になると、バルブをつけることで、管の出し入れをバルブで行う仕組みが開発され、管の数を多くして、ふたつの調性を切り換えられる楽器も考案された。下のフレンチホルンを写真をみていただきたい。
このようにして、ホルンはまるで木管楽器のように、速いパッセージを演奏できるようになってきた。ホルン用に書かれた曲では、19世紀初頭までのナチュラルホルンの時代の曲と、19世紀後半、フレンチホルンが普及した時代に書かれた曲では、全く使われている技巧が異なるのは、こうした楽器の改良によるものである。
日本の楽器を見てみよう。
日本の伝統的な音楽で使用される楽器は、代表的には、琴、琵琶、箏、龍笛(横笛)、篠笛、尺八、三味線などだろう。
上の龍笛は、雅楽で用いられる横笛で、多少の改良がなされたが、基本的には同じ形態で現在に至っている。雅楽の楽器であり、おそらく、雅楽以外の場で正規の演奏会で使用されることは稀だと思われる。
篠笛は、より普及した横笛である。龍笛は貴族の楽器だったために、こった作りになっているが、篠笛は単純であるために、庶民の楽器とされ、上の写真でもわかるように、厳密な長さが規定されているわけでもない。
これらは、いずれも絃をはじくことで音を出す楽器であり、日本の伝統楽器として現在でも使用されている。中でも現在最も一般的に使用されている頻度が高いのは、箏だろう。
箏は、琴台に柱を立てて音程を決め、琴は、指で抑えて音程を決める。細かな改良はあったとされるが、基本的形と奏法は、現在でも伝統的なものである。ヨーロッパの楽器ではハープに最も近いが、ハープが鍵盤楽器としてはハープシコードになり、やがてピアノになるというような発展、更に、ハープ自身が大きな改良の結果、奏法が拡大したというレベルの変化はなかった。尺八や三味線も同様である。
コンサートホール
現在は、音楽を聴く手段はたくさんある。ステレオ装置などの再生装置を使って部屋の中で聴く、スマホやiPodなどの器具で場所に拘束されることなく、自由に聴く、そして、コンサートホールで聴く等。
世界中、音楽を愉しむ行為は、通常権力や財産をもった階層が、屋敷や宮殿の広間を使って、関係者を集めて、音楽の専門集団による演奏を愉しむ形式が、ずっと続いたはずである。しかし、クラシック音楽の世界では、全く異なった独自の音楽鑑賞形態が生じた。それは、お金を払って音楽を愉しむ民衆が登場し、大勢の聴衆のためにお金をとって音楽を提供する音楽家集団が成立し、そして、音楽を聴く閉鎖的な空間としてのコンサートホールが建築されたことである。江戸時代では、有料の催し物に、観客が閉鎖的な空間で愉しむのは、歌舞伎のような「芝居」の世界が中心で、音楽をもっぱら愉しむそうした興行は、ついに成立しなかったように思われる。
ヨーロッパで、音楽の聴衆が登場したのは、17世紀のイタリアにおけるオペラであったとされている。モンテベルディが最初のオペラを作曲して以降、イタリア各地にオペラ専門劇場が建設され、多数のオペラが作曲されたと言われている。ベネチアだけで、10のオペラ劇場があった。現在でも、ヨーロッパでは、オペラが音楽鑑賞の中心として、多くの聴衆を集めている。しかし、器楽では、オペラのような聴衆が成立し、コンサートホールが立てられるのは、ずっと遅れた。あいかわらず貴族の楽しみだったわけである。無料の音楽鑑賞は、ほぼ教会が担っていたといえる。
料金をとって観客を集め、コンサートを継続的に行ったのは、モーツァルトが最初であると言われているが、次第に尻すぼみになり、チケット代で、作曲家や演奏家が生活できるようになるのは、19世紀も大分経ってからのことである。しかし、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの活躍が、オーケストラの発展をうながし、19世紀になると、プロの常設オーケストラが誕生していく。
しかし、プロオーケストラ誕生の時期には、現在のようなコンサートホールは存在せず、大きな会場で演奏をしていた。自然の共鳴によって、美しい響きを作りだすためには、建築技術だけではなく、音響学などを基本に、会場設計をしなければならない。オーケストラの演奏を何度も聴いたことがある人は、座席の位置でかなり異なる響きがすることに気付いていると思われる。舞台上で演奏家たちが聴いている音も、客席とはかなり異なっている。オーケストラの中の位置によっても、聞こえ方は全く違うのである。座席にいる人たちが聴いている音は、オーケストラが演奏した音が直接耳に届いたものではなく、壁や装飾品に反響して、ミックスされた音を聴いている。したがって、どのような壁や照明、装飾をおけば、最も美しい共鳴音が得られるかを、音響学的に計算し、それに応じた建物構造にしていく必要がある。つまり、美しい響きのコンサートホールは、優れた建築技術と、物理学の成果によって建設される。したがって、現在でも使われている代表的なコンサートホールは、いずれも19世紀末近くから20世紀にかけて建設されている。
ウィーン楽友協会大ホール 1870年
コンセルトヘボー 1888年
ボストン シンフォニー・ホール 1900年
ウィーン学友協会大ホール
まとめ
ヨーロッパのクラシック音楽は、楽器の発展を伴っていた。そして、楽器の発展は、コンサートに通う膨大な聴衆の要求に応える大規模な楽曲の演奏を可能にするためのものであり、演奏の最善の響きを実現するコンサートホールの実現をも生み出した。それを産業革命と科学技術の発展が支えたのである。そうしてできあがった製品が、世界に広まっていくことは、当然のことだったろう。