前に、ソ連版映画『戦争と平和』の感想を書いたが、あの時期をはさんで、小説そのものも読み返していた。そして、最近読み終えた。たぶん5度目くらいになる。若いころ、読み始めたときに、『戦争と平和』は、人生の節目に、何度か読み直すとよい、と言われたが、確かにそう思う。今回は、ゆっくり、じっくり読もうと思って、少しずつ進み、時間をかけたので、これまで読みとばしていた部分をずいぶん意識し、また、そういうところに面白さが隠れていることがわかった。また前回までは、辟易していた、そして、アマゾンのレビューでも多くの人が指摘している、トルストイ独自の戦争論の部分も、じっくり読んでみた。
トルストイの戦争論の部分は、ほとんどの人が、訳わからないという感想をもつ部分だし、また、繰り返しが多く、正直、私も辟易するものを感じる。しかし、また、トルストイは、ここが本当に書きたかったのだろうなあとも思うのである。もしかしたら、トルストイは歴史学者になりたかったのだろうかなどと思ったりもする。それほど熱がはいっている。
ただ、主張していることは、比較的単純である。それは、戦争が起きる原因は、英雄とか、国家の指導者とか、思想家とか、戦略家とか、そういう影響力のある人物が、命令したり、そうするのがよいと働きかけて、それに兵士たちが、動かされて戦争が起きるのではない。実際に、ナポレオンが命じたことなどは、実はほとんど実行されなかったのだというのである。では、何が、戦争を、または、戦争にむけて兵士たちが移動していくことを引き起こすのか。それは、民衆一人一人が、何かにかられて動いていく、そのなかには、確かに政治指導者の意志もあるだろうが、そういう個々の力の総体として、また偶然なども重なって、戦争が起きるのだというのである。しかし、トルストイの「論文」のような文章を読んでも、ああなるほど、と納得のいく人は、ほとんどいないに違いない。個々の民衆の意志の総体といっても、それは言葉の遊びのようにも見える。
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