オリンピック中止を、オリンピックそのものの見直しのきっかけに

 海外メディアが、東京オリンピックの開催への疑問を報道するようになって、日本の政府や与党政治家は、それを否定するのにやっきになっている。しかし、以前は、まったく疑問すら表面では語られることがなかったのだから、これは大きな状況の変化である。正式に中止が決定される方向へのステップが始まったということだろう。
 体操の内村選手が、再び「どうやるかという方向で考えてほしい」という談話を出したところ、ヤフコメを数十読んだ限りでは、それに共感、賛同する意見は皆無である。ひとつもないのだ。内村選手の立場に同情する声はあっても、しかし、国民の多くが、より深刻な事態に陥っているのだということで、否定している。
 IOCの有力委員から、やるなら無観客だ、それなら納得できる、というような意見もだされている。しかし、それを納得する日本人は、今では圧倒的少数だろう。そもそも無観客で実施するというのは、非常に大きく矛盾する考えであり、且つ、無責任な意見である。無観客で実施するというのは、まだコロナの感染が納まっていないという状況認識があるからだ。しかし、オリンピックを無観客だろうが、実施すれば、海外から多くの人たちがやってくる。選手と役員くらいは、検査やワクチンを来日条件にして、かつ厳しい行動制限をするとしても、メディアの人たちは、それが可能だとは思えないし、また、無観客としても、多くの外国人がやってくるに違いない。オリンピックに直接携わる人の入国だけ許可して、それ以外の入国は一切シャットアウトするようなことを、政府が行うはずがないのである。また、行ったとしても、それだけのワクチン接種が、保障されるとはいいきれない。

 感染症は、かならず外からやってくるのであり、新型コロナウィルスについても、同様でる。
 以上のことを考えれば、この夏にオリンピックを、たとえ無観客だとしても、実施すれば、日本のなかで、感染爆発が再度起き、日本は、深刻な状況になることは、十分に予想される。従って、絶対に開催してはならない。
 
 さてこのようなことは、何回も書いたので、今回は、更に、ふたつの件を書いておきたい。
 第一に、再延期案が語られている。さすがに2022年案は、今ではないようだが、2024年案と、2032年案がある。まず、パリ大会を4年後にずらして、ということだが、パリに対して、非常に失礼な話だ。パリ大会は、1924年大会からの100年記念という年にあたるので、特別な意味をフランス人は感じていると言われている。
 更に、24年にやるとしたら、今の組織を温存することになりそうだ。現在の多くの人が、オリンピックに反感をもっている理由のひとつが、組織委員会の人たちの高額な給与があるのだ。既に開催不可能は明らかになっているのに、その決定を引き延ばしているのは、組織委員が優雅な生活を少しでも継続したいからだ、と思っている国民は少なくない。それは事実ではないかも知れない。しかし、法外な給与が支払われていることは事実であり、それが今後3年間続くとしたら、既に異常なまでに膨らんだ経費が、更に膨らむことになる。そういう事実を国民が受けいれると考えるのは、あまりに国民を甘く見すぎている。とにかく、いち早くまずやめて、現在建設されていて、あまり活用されていない施設をどうするのか、はやく決めて、有効活用する手だてを講じるべきだろう。
 では、2032年開催はどうか。これに対しては、ふたつの理由から、反対である。
 ひとつは、10年間の間に、大災害が起きる可能性は小さくないという点である。オリンピックは、東日本大震災復興の証だなどといっているが、まだまだ復興にはほど遠い地域があるのだ。常磐自動車道を通って、福島県を縦断すれば、途中で極めて放射線量が高くなる地域があり、そういうところでは、オートバイの通行は禁止されているのである。そして、空家が放置され、どうみても、復興から取り残されていることがわかる。オリンピックに反対する人は、たくさんいたが、その多くは、震災の復興にお金を使うだきだということが理由だった。そして、その課題はいまでも残っている。更に、関東大震災、南海トラフ地震などが、この10年間に起きる可能性は低くない。火山活動が活発になっている山もいくつかある。そうした災害に備えること、さらに脆弱であることが露呈した感染症等の疾病への対策など、やることがたくさんあるはずだ。
 第二の理由は、オリンピックの在り方そのものを変える必要があると、考える人が多くなっている。私もその一人だ。利権の固まりになったオリンピックは、既に当初のオリンピック精神とは、離れている。そして、あまりに開催費用が高くつくようになって、開催したいと考える都市も極めて少なくなっている。開催したいというのは、利権に絡んでいる人たちだ。個別の競技大会なら、まだ利権も小さいし、開催するうえでも負担は小さい。個別競技の国際大会に解消するか、あるいは、発祥の地ギリシャに固定するという案もある。固定したほうが、妙な招致合戦なども起きずに、落ち着いてできるだろう。
 東京オリンピックの中止を、オリンピックの在り方そのものを変革するきっかけにすべきだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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