ムロムシュテット演奏のブログに感じた不満

 現役最高齢のブロムシュテットが、実際に来日して演奏するのかということは、多くの人が気にしていたに違いない。だが98歳の指揮者が予定通り来日して、N響を指揮したようだ。その評が掲載されていたので、注目して読んだ。「10/9 ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団 w ジャコー」https://ameblo.jp/classic-journey/entry-12937714867.htmlという記事だ。
 ただ、演奏評ではなく、演奏会に関する内容に気になる点があった。 “ムロムシュテット演奏のブログに感じた不満” の続きを読む

「国宝」2度目見た

 先日「国宝」の2度目を見てきた。8月の初め頃に一度見に行って、その後小説を読み、そして今回リピーターとして見てきたわけだ。
 第一回目をみたときには、吉沢亮と横浜流星が、日本舞踊や歌舞伎のまったくの素人であるにもかかわらず、よくあそこまで訓練したなあということに感嘆したが、他方筋のつながりがよくわからないという感想だった。
 血筋か能力かというのは、ある意味永遠のテーマかも知れないが、それを軸として二人の歌舞伎役者が切磋琢磨し、ある意味憎みながら、しかし互いに尊敬しあっている、そして、最後は能力(芸)が勝ったと解釈できるような終わり方をしている点は、教育学を専門とする私には、共感できるものだった。 “「国宝」2度目見た” の続きを読む

高野山訪問

 すっかり間があいてしまったが、この間旅行をしていた。いつものように、車による長距離旅行だったが、昨日無事帰宅した。今回の旅行の主な目的は、九州での親族の集りに妻が出席することと、これまで行ったことがなかった和歌山にいくことであった。そして、和歌山にいくからには、高野山にいってみようということだったが、それは、以下のような高野山への「関心」があったからである。
 中学の歴史で習うことだが、平安時代に最澄と空海が、それぞれ天台宗の比叡山延暦寺、真言宗高野山金剛峯寺を建立して、その後の日本の二大寺院として今日に到っているのだが、私にとっては、このふたつは、かなり異なる印象をもっていた。というのは、比叡山は、僧兵が暴れたとか、信長に焼き討ちにあったというような武力的な面もあるが、なんといっても、日本の歴史に残る宗教家を輩出したという点で際立っている。源信、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮など、高校の教科書には必ず載っているような人物であり、彼等は、みな比叡山で学んでいるのである。一度比叡山を訪れたことがあるが、法然がこもって修行した庵などのように、彼等の庵が名前付きで存在していた。もちろん、本当のものではないだろうが、比叡山といえば、多くの人にとっては、彼等の学んだ場であると認識されているだろう。

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原作の改変を考える2

 「セクシー田中さん」問題は、論議が活発に続いているとはいえないが、まだなされている。そのなかで、弁護士の人が書いた
『セクシー田中さん』問題で注目される「著作者人格権」 アメリカよりも強力に保護されていた原作者の権利とは?」という文章があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3692f2afbb29b64125eaf08f4624445ffc0f86
 ここで注目したのは、著作者人格権は、欧米ではあまり法律としては厳格に規定されておらず、日本のほうが厳しいというのだ。しかし、だからといって、「同一性保持権」を欧米が無視しているとは思えない。これは、当たり前の常識として守られているので、特に法で規定することではないと思われているように思われる。パロディーなど問題にならないというが、(問題にあることもあるはずだが)パロディーは、二次的創作と考えられていて、別ものだという意識なのではないだろうかと思われるのである。 “原作の改変を考える2” の続きを読む

ジャニーズは解体しかないのではないか

 別の文章を用意していたのだが、急遽この話題に切り換えることにした。これまで不安視されてきたジャニーズ関連のできごとが、ついに現実のものになってしまったからだある。それは、ジャニー氏及び事務所のあまりに冷酷な所業によって、生命が失われるのではないか、という不安であった。現時点では、ふたりの件が報道されている。

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ジャニーズと旧ソ連の人材育成システムの類似性を考える

 芸能界にはまったく興味のない私だが、ジャニーズ問題は、まったく別の観点で非常に興味がある。そのなかでも、ジャニーズでは、所属タレントが取り分が25%だということに驚いた人が多い。出演料として受けとった分の半分を、経費として事務所がとり、残りを折半するというのだから、驚いてしまう。もちろん、さまざまな支援があるとしても、実際に仕事をして報酬を得るのは、タレント自身であるし、また、タレントに価値を認めるから採用した企業は高いお金を払うのだろう。

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部活の地域移管問題 2 

 前回は、スポーツや文化は多様になっているので、多様な要求に学校の部活という形態は対応できないものになっていて、弊害が多くなってきたことをのべた。その解決としては、地域に多様なクラブを設立して、自分の求める形態の活動をしているクラブを選択して参加するようにすればよい、という主張であった。
 今回は、もうひとつの部活の問題である、教師の無償労働の問題を考える。
 
 部活は学校の内部的な活動として行われるが、正規の学校教育の一環ではないので、その指導にかかわる教師は、どんなに長時間指導しても、その対価が支払われることは、つい最近までなかった。近年では、ごくごくわずかな手当がだされるようになっているようだが、到底、指導にかかる労働に見合うものではない。そして、問題は、無償労働であるにもかかわらず、何か事故があったときには、責任を問われるのである。もちろん、民事的な損害賠償責任を負うのは、国家だから、そうした責任を教師個人が負うことはないが、不注意による行政処分などは十分にありうる。不十分ながらの手当がだされるようになった経緯は、詳細には知らないが、教師の過重労働が社会問題化し、その大きな要因が部活指導になることが、大きく問題になったから、せめて手当を出すということになったのだろう。残念ながら、サービスをうける側からの提起はあまりなかったようである。

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箱物と運営

 今回の旅行で、最後に、バブル最盛期に建築されたというリゾート地に宿泊した。冬はスキーを楽しむことができるが、今は真夏で、しかも平日だったので、実に閑散としていた。バブルを感じさせる広大な建物で、部屋のつくりも贅沢にできていて、かなり広い。もし、なかの機能がそのまま運営されていたら、けっこう長く滞在しても飽きないかも知れない。
 しかし、中の店はほとんどしまっており、レストランもたくさんあるのだが、開いているのはひとつだけで、夕食も朝食も同じところで、しかも、あまり客がいない状態だった。冬は、それなりにたくさんの客がいるのだそうだが、少ないとこれほど機能停止状態になるのかとびっくりするほどだ。聞くところによると、ソニーが最初たてたそうだが、バブルがはじけて潰れ、ロッテが買い取って、現在運営されているという。私はスキーはまったくしないので、正確なところはわからないが、スキーができるといっても、この敷地内に大きなスキー場があるわけではなく、比較的こじんまりとしたスキー場だ。近辺のところにでかけていくということは可能なのだろうが。

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記念館は、役割を果たしているか

 今回の旅行で、記念館に関しては2つ行った。いつも感じるのだが、記念館とは何を伝えようとしているのか、あるいは何を伝えるべきなのか、そして、訪問者は何を知りたがっていると解して、記念館を構成しているのか、そんな疑問を持つのである。
 まず広島の原爆記念館をみた。いままで2回ほど広島にいったのだが、ここは訪れていなかった。今回は不可欠だと考えたのだが、期待を満たされたとはいえない。もちろん、一般市民、外国人、そして、私のような高齢者では、それぞれ求めるのが違うだろうし、あまり、原爆投下の実態について知らない人にたいしては、あのような展示でいいのかも知れない。しかし、日本人の多くは、とくに中高年の人は、原爆の悲惨さは、さまざまな機会に伝えられており、多くの情報をもっている。だから、単に悲惨な写真を見せられても、特別に記念館にきて、新しいことを知ったという気持ちにはなれない。

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城の鑑賞とバリアフリー

 名古屋城の再建論議だが、10日ほど前に松江城を見て考えさせられた。松江城は江戸時代のままだから、当然エレベーターはない。天守閣の上に行くのはかなり大変である。そもそも城はバリアフリーと正反対の仕組みで建築されたものである。至るところにバリアを設置している。まず、一番下の門をはいっても、道が込み入っており、階段もわざわざ昇りにくく設計している。なかなか上の重要な建物に行き着かない。そして、建物自体が非常に高い場所に建っている。特に、現在の観光地として重要な天守閣は、なかの階段そのものが、非常に急にできており、健康な若者でも、おそらくスムーズには登れないだろう。
 城は軍事的な目的でつくられており、敵の攻撃を迎え撃つようにできているものだ。だから、堀があるのだし、堀をわたっても、いたるところに、難所が設定されている。つまり、バリアフリーどころか、バリアそのものの集積のようなものが、戦国時代から江戸時代初期につくられた城なのである。
 そういう建物をバリアフリーにして観賞して場合、城の本質を理解できるのだろうか、という疑問をもたざるをえなかった。そういう疑問が湧いてきた。城の建物はこのようなものだったということは分かる。観光地の天守閣には、甲冑や鉄砲、大砲などの武器が展示されている。そして、当時の衣服や食事などもわかるようになっている。しかし、城がどのように機能し、敵とどのように闘う全体の構造はわからない。

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