現役最高齢のブロムシュテットが、実際に来日して演奏するのかということは、多くの人が気にしていたに違いない。だが98歳の指揮者が予定通り来日して、N響を指揮したようだ。その評が掲載されていたので、注目して読んだ。「10/9 ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団 w ジャコー」https://ameblo.jp/classic-journey/entry-12937714867.htmlという記事だ。
ただ、演奏評ではなく、演奏会に関する内容に気になる点があった。 “ムロムシュテット演奏のブログに感じた不満” の続きを読む
カテゴリー: 文化・芸術
「国宝」2度目見た
先日「国宝」の2度目を見てきた。8月の初め頃に一度見に行って、その後小説を読み、そして今回リピーターとして見てきたわけだ。
第一回目をみたときには、吉沢亮と横浜流星が、日本舞踊や歌舞伎のまったくの素人であるにもかかわらず、よくあそこまで訓練したなあということに感嘆したが、他方筋のつながりがよくわからないという感想だった。
血筋か能力かというのは、ある意味永遠のテーマかも知れないが、それを軸として二人の歌舞伎役者が切磋琢磨し、ある意味憎みながら、しかし互いに尊敬しあっている、そして、最後は能力(芸)が勝ったと解釈できるような終わり方をしている点は、教育学を専門とする私には、共感できるものだった。 “「国宝」2度目見た” の続きを読む
高野山訪問
原作の改変を考える2
「セクシー田中さん」問題は、論議が活発に続いているとはいえないが、まだなされている。そのなかで、弁護士の人が書いた
『セクシー田中さん』問題で注目される「著作者人格権」 アメリカよりも強力に保護されていた原作者の権利とは?」という文章があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3692f2afbb29b64125eaf08f4624445ffc0f86
ここで注目したのは、著作者人格権は、欧米ではあまり法律としては厳格に規定されておらず、日本のほうが厳しいというのだ。しかし、だからといって、「同一性保持権」を欧米が無視しているとは思えない。これは、当たり前の常識として守られているので、特に法で規定することではないと思われているように思われる。パロディーなど問題にならないというが、(問題にあることもあるはずだが)パロディーは、二次的創作と考えられていて、別ものだという意識なのではないだろうかと思われるのである。 “原作の改変を考える2” の続きを読む