城の鑑賞とバリアフリー

 名古屋城の再建論議だが、10日ほど前に松江城を見て考えさせられた。松江城は江戸時代のままだから、当然エレベーターはない。天守閣の上に行くのはかなり大変である。そもそも城はバリアフリーと正反対の仕組みで建築されたものである。至るところにバリアを設置している。まず、一番下の門をはいっても、道が込み入っており、階段もわざわざ昇りにくく設計している。なかなか上の重要な建物に行き着かない。そして、建物自体が非常に高い場所に建っている。特に、現在の観光地として重要な天守閣は、なかの階段そのものが、非常に急にできており、健康な若者でも、おそらくスムーズには登れないだろう。
 城は軍事的な目的でつくられており、敵の攻撃を迎え撃つようにできているものだ。だから、堀があるのだし、堀をわたっても、いたるところに、難所が設定されている。つまり、バリアフリーどころか、バリアそのものの集積のようなものが、戦国時代から江戸時代初期につくられた城なのである。
 そういう建物をバリアフリーにして観賞して場合、城の本質を理解できるのだろうか、という疑問をもたざるをえなかった。そういう疑問が湧いてきた。城の建物はこのようなものだったということは分かる。観光地の天守閣には、甲冑や鉄砲、大砲などの武器が展示されている。そして、当時の衣服や食事などもわかるようになっている。しかし、城がどのように機能し、敵とどのように闘う全体の構造はわからない。

 
 名古屋城は天守閣の再建で、天守閣に行くのも、エレベーターを設置してバリアフリーにするかもしれないが、堀から残っている城は天守閣、行くまでが坂とバリアの連続である。熊本城は全体の再建だから、入口からのバリアフリーを要求されたら、かなり大変なことになる。どうすれば、車椅子のひとが、天守閣までいきつくことができるのか。工夫が必要だろう。
 城は戦闘のためのものだから、弱い者のための設備は想定していない。徹底的に強い者のためにつくった施設だ。
 もちろん、だからといって、現在それを理解し、鑑賞しようというひとを、制限することは好ましくないし、最大限鑑賞可能な状態を保障すべきだろう。しかし、鑑賞可能な、あるいは容易な状態にするために、その鑑賞物が本来もっていた重要な性質を素通りしてしまうとすれば、それはいいことなのだろうか。松江城は、非常にめずらしく、城全体の敷地が保全され、もちろん、主要な建物はなくなっているが、天守閣以外の建物もいくつは残っている。そして、明治になって、明治天皇のための迎賓館も残っている。そして、一番高いところに天守閣がある。それを一番したから昇っていくことで、当時の武士たちの歩みを実体験するわけだ。
 そうした苦労して登るという、そのこと自体が意味をもっていたことを、バリアフリーにすることで、スルーしてしまえば、城というものの理解が歪んでしまうのではなかろうか。
 
 だから、バリアによって鑑賞できないひとのために、鑑賞可能な状態を作り出すことは必要である。だが、それに伴って、バリアそのものがもつ意味を理解させる、別の仕組みが必要ではないか、と感じたのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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