鬼平犯科帳のベストは

 昨年来、シャーロック・ホームズと鬼平犯科帳の比較をやっているが、これがなかなか面白い。もちろん自分勝手な感想だが。
 そして、よく考えるのが、それぞれのベスト作品はどれかということだ。これについては、ふたつの小説は、まったく異なる事情になっている。シャーロック・ホームズは、作者も読者も、1位と2位は一致しているというのが、定説である。1位は「まだらの紐」、2位は「赤毛同盟」である。私もこの評価に完全に同意している。「まだらの紐」は、昔はインドで成功した医者だったが、あることで刑務所にはいることになり、出獄後、すっかり人格が変わってしまい、イギリスに帰って来てから、連れ子の姉妹の財産をあてに生活することになっている。地方の名士なのだが、結婚間近になった姉を殺害し(結婚してしまうと、その彼女の遺産は完全に彼女のものになってしまう)、そして、妹が結婚することになったときにも、それを試みている。しかし、おかしいと考えた彼女がホームズに相談し、ホームズは、すぐに危険を察知して、当日にふたりの住む家に出向き、解決する。義父の企んだ方法は、インドの毒蛇を寝室に侵入させ、娘に噛みつくように仕向けるという方法だった。蛇を呼び返すための口笛に不信を抱いた姉が妹に相談する場面もあるのだが、その日の夜に、噛まれて死んでしまう。妹は、結婚が決まると、家の工事をするということで、姉の部屋(となりが義父が使用する部屋で、そこの金庫に蛇がいて、双方の部屋をつなぐ穴があいており、姉の部屋には、つかわない呼び鈴のための綱があり、ベッドが固定されている)に移されてしまい、口笛が聞こえたので、不安になったわけである。そうした事情から、毒蛇で姉妹を殺害することを見抜き、ホームズとワトソンは、姉の部屋で蛇がやってくるのを待ち、ステッキをふるって追い返すと、興奮した蛇が飼い主を噛み殺してしまう。

 義父がインドにいたこと、口笛、綱、固定されたベッドなど、ひとつひとつ、真相を解く手がかりを提示しながら、最後に劇的な結末となる、という、実に優れた構成になっている。ドラマでも、原作とおりに展開して、小説を読んだときのイメージとぴったり重なる。
 赤毛連盟は前に書いたので、繰りかえさない。(2022.12.13)
 とにかく、奇抜なアイデアが原作に登場するので、読むものもそのアイデアにびっくりしてしまい、それが、意外な事件に結びつく点も、ホームズの解析能力のすばらしさを実感させる。
 
 さて、では、鬼平犯科帳のベストは何だろうか。いま資料が手元にないのだが、池波正太郎の選んだベスト5というのがあったが、私は、まったく同意できなかった。たしか「瓶割小僧」がはいっていたのだが、私は、正直面白いと思わないものだ。ドラマは、原作と基本構造が同じなのだが、犯人がおちるに至る経過が、まったく違う。捕まった盗賊が、拷問にもまったく口を割らなかったのだが、平蔵は、その盗賊の子ども時代のことを思い出し、それを話すことによって、盗賊はおちてしまう。原作では、実に簡単におちてしまうのだ。それはいかにも不自然なので、ドラマでは、わざわざ当時の場面を、子どもや若者、店長、野次馬、などに演技をさせ、それを盗賊に見せつける、そうすると、当時のことを思い出して、泣きだすという設定に変更されている。どちらにしても、あまりに簡単に思い出すか、あるいはあまりにこった演技をするか、という点で不自然なのである。こうした不自然さを免れない「瓶割小僧」がベストファイブにはいるというのが、私には解せないのである。
 私がベストとして選ぶ基準は、
・物語に大きな不自然さがない。犯罪ものである以上、不自然さが皆無であることはなかなか難しい。
・不自然さがないにもかかわらず、意外性が展開のなかにある。
・結末に至ったときに、「なるほど」と思わせるものがある。
というようなものだ。
 実は、私が好きな物語という形で、「お熊と茂平」「大川のご隠居」のふたつをあげて紹介していた。
2021.4.5
2021.3.30
の文章だ。ここで、比較的こまかく内容を紹介しているし、何が魅力なのかも書いているので、それらは繰りかえさない。2年前の文章だが、「好きな」ということであげたが、その後いろいろ考えているなかで、やはり、このふたつが鬼平犯科帳のベストであると思うようになった。
 自然さと意外性を両立させる筋立ては、かなり難しいのではないかと思うのである。いかにも自然な流れを重視すれば、意外性は入り込みにくい。しかし、意外性が目立てば、不自然なものになりがちだろう。
 
 「大川のご隠居」では、鬼平のあまりの評判に腹をたてた、今は堅気の友五郎が、平蔵の部屋に忍び込んで、平蔵愛用の煙管を盗む。そのとき、誰かがはいってきたことを平蔵は感じるのだが、病床にあり、なんども妻が様子を伺いにくるので、妻だと思ってそのまま眠ってしまう。こういう流れは、自然だ。しかし、全快して、全快祝いをやろうと岸井といっしょに、船宿にはいり、船頭に船をださせると、船頭友五郎が、休憩中に平蔵の煙管で煙草を吸うので、平蔵は、粂八に友五郎の素性を調べさせる。ところが、粂八がでかてみると、ふたりは昔の盗賊仲間であり、友五郎が平蔵の部屋に忍び込んだことを、自慢してしまうことから、平蔵と粂八は、友五郎を粂八との盗みの競争に引きずり込む。粂八は実際には忍び込まないが、獲物を見せるので友五郎は信用して、再度平蔵の部屋に忍び込んで、煙管をかえし、印籠を盗む。そして、最後に平蔵が友五郎を指名して舟をださせ、別の船宿で煙管で煙草をすうことで、友五郎はすっかり理解する、という結末だ。
 意外性は、最初に友五郎が盗んだ煙管で煙草をすい、平蔵にみられてしまうこと、そして、調査に赴いた粂八と友五郎が盗賊仲間だったことだ。しかし、この意外なできごとをはさんで展開する話は、実に自然に発展していく。粂八が友五郎が盗みの競争に勝ったら、30両やる、という約束にのせられて、友五郎がはりきって、再度押し込むあたりは、実際には不可能なことなのだが、自然に展開しているように思わせる。2度目は平蔵は予め知っていて、当然気付いているのだが、見のがすのだから、捕まるはずがないと思わせ、不自然さを感じさせないのだ。
 そして、最後に、平蔵みずから、友五郎が盗んで、返した煙管でたばこをすってみせ、友五郎がショックをうけるときの描写は実に迫真的であり、印象的な結末となっている。(つつく)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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