ダイリーグの報復死球が酷い

 直近のドジャースとパドレスの試合での、報復死球の連発はあまりに酷いものがあると感じている人が多いに違いない。アメリカの解説者のなかでは、報復死球は伝統的なもので、とくに問題がないなどと語っている人もいるが、大谷は2回も被害にあっており、映像をみるかぎり、ほぼ間違いなく故意にあてている。とくに一度目の死球などは、最初に膝あたりをねらったのだが、大谷がうまくよけたので、次の投球では、よけることを計算にいれた腰あたりを狙ってなげている。だから、バッターボックスの端あたりになげられていて、逆にいえば、大谷がまったく逃げなければ、お尻のあたりを外れた可能性すらある。しかし、近くにくる投球には、反射的に後に下がってよけるから、よけてくるあたりになげたわけだ。試合後の記者会見で、投手が、「故意か」と聞かれて、「みればわかるだろう」と、事実上故意であることを認める回答をしたとされる。

 報復死球そのものが、非難・禁止されるべきであるが、とくに大谷への、しかも二度もの故意の報復死球は、大リーグの腐敗を象徴しているとさえいえる。日本でも、まれに報復死球と考えられる事例があるが、それでも、(おそらく大リーグでもそうだろうが)投手にたいしてはやらないという不文律もあるとされる。大リーグの場合は、両リーグでDH制度になっているので、無意味な不文律なのかもしれないが、それでも、大谷は「投手」であり、実際に、このパドレス戦シリーズの最初になげている。しかも、手術後、リハビリをへて最初の登板だった。つまり、投手大谷に故意の報復死球をやったのであって、しかも、二度目は右肩にあたったようにみえた。右投手の右肩は、もっとも大事な部位である。そこをねらってぶつけるというのは、いかに「伝統的」な行為であっても、その伝統のなかですら、避けてきた許されない行為といってよいだろう。
 ネットの書き込みなどでは、対策をとるべきだという案がだされていて、共通しているのは、「死球にたいして、ひとつの塁をあたえる、つまり四球と同じ扱い」というのは、甘いという意見だ。私もそう思う。死球はあいてを怪我させる危険がある行為だから、四球と同じというのは、やはりつりあわないというべきだろう。とすると、死球は原則として、2つの塁をあたえるというようにするのがよい。
 そして、報復死球とみられる、あきらかに「故意」とみられる死球には、3つの塁をあたえるというようにする。さらに、危険球と同様に、投手を退場処分とするというのが、妥当ではないだろうか。
 日本でも時々はあるというが、大リーグでは、とくに主力選手が死球をうけると、次には、投手は報復死球をしなければならないという「圧力」をうけると聞いたこともある。投手がそれを望まなくても、チームの雰囲気として強制されるというのだ。すべてのチームでそうかどうかはわからないが、「伝統」だと解説者がいうくらいだから、そうなのだろう。西洋の伝統として、「やられたらやりかえす」というのが、スポーツにかぎらず風潮としてあるという。もっとも、キリスト教国家であるのに、「右の頰を打たれたら、左の頰もさしだしなさい」というのが、教えなのではないか、といいたくなるが、やはり、スポーツには、スポーツマンシップが必要であり、大谷の人気の要因が、スポーツマンシップにあることは、よくいわれることで、報復死球をみて喜ぶファンよりは、それに怒りを感じる人のほうが多いのではないだろうかと思いたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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