アメリカニューヨークのメトロポリタン・オペラ劇場で、観客がステージに突然あがって、抗議をしたという記事がある。どんな抗議をしていたのか、詳細はどうも不明だが、そういうこと自体がとんでもないことである。オペラというのは、とにかく、実に多くの分野の人びとが関係し、数時間の舞台の上演を行うのだから、いろいろと事故が起きることはよく言われている。つまり、ミスによるものだ。
しかし、この事件は、そういうミスではなく、意図的な行為としての妨害だから、非常に珍しいのではないだろうか。いまでもそうであるかはわからないが、かつてミラノ・スカラ座の公演、とくに年度初日や新演出の初日上演では、野次やブーイングによる実質妨害的なことも、よく話題になった。とくに有名なものでは、フレーニ主演、カラヤン指揮での新演出上演の初日、というか、練習の時点から不穏な空気が流れていたそうだが、フレーニに対する攻撃的な野次が続き、フレーニが見返したりしたものだから、さらに混乱、たしか上演が途中で中止になり、以後続きは行われなかった。そして、それだけではなく、以後20数年間、スカラ座では、この日の演目、椿姫が上演されなかったのである。その後最初に上演されたときには、指揮者のムーティがわざわざ開始前に挨拶して、理解を求めた。そのときの上演は映像となってLDになったのだ、私も購入して何度かみた。
この妨害は、要するにマリア・カラスの熱狂的なファンが、スカラ座で椿姫をカラス以外が歌うのはけしからん、というものだった。カラスが歌うことを妨害したわけでもなく、新しい歌手を起用して新演出を出発させたというのだから、いかにも難癖だが、スカラ座が大名曲椿姫を聴けなくなったのだから、妨害者たちにとってもいいことではなかったろう。当時既にカラスは、オペラ歌手としては引退状態だったから、私からすると、まったくナンセンスな妨害だったと思う。それにカラヤンは、生涯ついに椿姫を録音しなかった。
こうしたオペラ上演での事故・事件を、私自身が経験した例をあげておきたい。ただし、正確には事故だったのか、そうではなく、計画的に仕組まれていたことなのかはわからないのだが。
一つ目は、日本での魔笛上演だった。日本語だったので、たぶん二期会だったと思う。二幕の終わりのほうで、パパゲーノが、パパゲーナを獲得しそこねて絶望し、自殺しようと思っている場面である。そして、自分が3つ数えるからその間に、自殺を思い止まらせたい人は、やめろ、といってくれ、といって、数え始める場面だ。そのとき、パパゲーノがひとつ、ふたつと数えているときに、客席から、大きな声で、「やめろ」という叫びがあったのだ。パパゲーノは一瞬えっ?というような表情をしたのだが、すぐにみっつ、といって、そのまま続けた。
パパゲーノの表情から、予め計画的だったとはとうてい思えないから、だれか客がふざけたのか、あるいは劇の内容をしらないままに、やめてくれといってくれ、と観客にむかってしゃべったから、そうしただけなのか。とくに音楽がとまることもなかったのだが、こんなこともあるんだと記憶に残った。
二つ目は、ハンブルクの歌劇場でのことだ。デンマークにでかけたのだが、途中ハンブルグで宿泊したついでに、ホテルの近くが歌劇場だったのでチケットがあるかどうか見に行くと、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」があり、チケットがとれたので、ドイツ有数の劇場でワーグナーをみることができた。コンヴィチュニーという有名な演出家の新演出だったようで、いろいろと変わったことがあった。2幕で、ワルターが翌日の歌合戦の練習をしているときに、小さなハープをもったひとたちが、舞台上でワルターの伴奏をしていたのだが、こういうのは、他の演出ではみたことがない。あんな小さなハープも初めてみた。ところが、驚いたのは、3幕で、歌合戦が終わったあと、詳細はまったくわからないのだが、ワーグナーの音楽がとまって、舞台上の群衆たちが大声で議論を始めたのだ。その場面は、音楽でいうと、ドイツをたたえる内容なのだが、そのままにするのではなく、歌の歌詞をかえるわけにはいかないから、音楽をとめて、そんなドイツ礼賛的なこと、つまり、この場面をことさらヒトラーが好んでいたことは有名なので、それを否定するために議論に切り換えたのかと思っていたのだが、そうこうするうちに、客席からその議論にたいする何か抗議なのか、あるいは別の主張なのか、さまざまな声が飛び交いだしたのである。早口のドイツ語なので、何が離されていたのかさっぱりわからなかったが、とにかく、ワーグナー上演としては、まったくの異例事態だった。
私が直接体験したわけではないが、とりわけ有名なトラブルは、つぎの事件だろう。カラヤンにとってトロバトーレはとりわけお気に入りのオペラだが、2度目の録音(ベルリン)以後、ウィーンでヨーロッパに中継される上演が決まり、ほぼCDと同じ(多少違うが)歌手での練習が進行していた。ところが、実際に上演されたときには、テノールの主人公マンリーコが、ボニゾッリからドミンゴに変更になっていた。カラヤンはCD発売の際、ボニゾッリを非常に高く評価しており、だから、ウィーンでも採用したのだし、変更後のドミンゴは、有名なアリアの最高音がでないから全音さげるという条件で、カラヤンの了承をとったということだから、当時は、どうも不思議で仕方なかった。ところが、大分あとで真相がわかったのだが、びっくりした。ボニゾッリは、高音に自信があるので、高音を思い切り長く伸ばしたがる人だったのだが、カラヤンとしては、あまりに不自然に長く伸ばすのは禁止して、そのように指揮していたのだった。もちろん、CDでは、不自然に伸ばすような部分はなかったと思う。だが、ボニゾッリとしては、客をいれてのゲネプロだったということだが、自分に思うように歌わせないカラヤンに怒って舞台上から剣(これから戦闘に出撃という場面だったので、小道具の剣をもっていたのだろう)をカラヤンに向って投げつけたというのである。当然、観客たちがそれをみていたわけだ。非公開での練習だったなら、その後話し合って、謝罪を受け入れるということもあったろうが、公開の場だったので、その場でボニゾッリをおろすことが決定し、窮余の策としてドミンゴが呼ばれたというのだ。ただ、このドミンゴの歌唱は高音の移調は別として、非常に優れたものなので、かえってよかったのかも知れないと思っている。
「メトロポリタン歌劇場の《カルメン》で観客がステージに上がり抗議活動。上演が15分中断」
https://officeyamane.net/protesters-at-met-opera/