国立大学予算での文科省と財務省

 いまや年中行事になった観がある、予算をめぐる文科省と財務省の争いだ。これはずっと以前から続いていることであるが、現在の焦点は、国立大学予算に関してである。以下の記事があった。
「文科相、国立大の運営費交付金「増額が必要」 財務省に反論」(朝日新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab93b70e5110c7de898f31bc7cf0845455dfbbf2
 私は私立大学に勤めていたし、また現在は定年になって現場を離れているので、自身の切実観はないのだが、やはり、日本の科学技術、教育の発展は気になるし、絶対に軽んじてはいけない領域である。
 周知のように、国立大学の時代は、基本的な運営資金は国費によって維持されていた。その負担を切り離したい国と、ある程度自由な資金集めなどができるように、「国立」大学が、独立行政法人になってから、大学の資金状況が大きく変ってきた。潤っている大学はとても資金が豊かになり、そうした資金集めが弱い大学や分野では、年々財政事情が逼迫している。これは、大学関係者にとっては常識である。
 資金が豊かになったところでは、たとえば大学院生に対して給与に近い給付がなされている。これはアメリカの理工系の大学院では、常識のことだ。つまり、院生といえども研究に携わっているのだから、生活が保障されるべきであるということと、優秀な人材を集めるために必要なことにもなっている。アメリカでは産学協同は当たり前だから、優秀な研究者はたくさんの研究資金を企業などから集め、それを院生への支払にあてるのである。
 日本では、そうしたことは、国立大学の時代にはまったくなかったが、法人化された以降、いくつかの大学院では、実施されるようになっている。しかし、多くの大学や分野では、企業からの研究費補助など期待できないから、国からの予算に頼らざるをえないが、国家からだされる国立大学の予算は、年々1%ずつ減少させるという基本方針があり、厳格に実施されているかどうかは、私はわからないのだが、とにかく、年々予算は減っている。とくに物価髙が進んでいる現状では、まったく研究などなりたたないようなところもあるに違いない。
 もうひとつ、基本的な予算の減少だけではなく、増額させている部分もある。それが、特定分野に集中した補助である。記事をみればわかるように、財務省はこの立場を強調しているわけだ。
 戦略的な分野に重点的に補助を加増させることは重要だと思うが、しかし、その戦略は決して確かなものではないのである。だから、基本的には、どの分野に対しても、きちんと研究できる基礎的な部分は保障していく必要があるのだ。確かでないという事例をひとつあげよう。
 現在では、人工知能の日本における第一線の研究者である東大の松尾氏が、大学院時代のことを書いている。ある研究費を求めて申請したのだが、そのテーマが、人工知能を広告業務にどう活用するか、というものだったそうだ。それに対して、その人工知能分野の研究費配分を決める、当時の有力教授たちは、「広告の研究などナンセンスだ」といって、まったくとりあわなかったというのだ。ところが、よく知られているように、検索機能をAI研究のデータとして活用し、それを広告収入とその活用法についての独自の方法を生みだして、世界的な大企業になったのがグーグルである。松尾氏の研究費が認められていれば、日本でもグーグルのような企業が生れたかも知れないのである。
 もちろん、審査をしたひとたちは、その分野の権威だったろう。だが、研究テーマとその成功というのは、既存の知識や価値観では判断・予想できない分野がたくさんあるのだ。そのためには、どんなに無駄であっても、研究者が興味をもった分野基本的には応援する仕組みが必要なのである。だれかが、重点を決め、それ以外は放置、という体制では、革新的な研究が生れる素地がなくなってしまうのである。そして、そういう無駄とも思える分野で、まったく新しい成果が生れると、それは国全体への利益となってかえってくるのである。
 ここは、文科省に頑張ってほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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