漫画のドラマ化で原作者が自死

 この問題を知ったのは、事件(原作者の自死)の前に、さっきー氏のyoutubeを見たからだった。テレビの裏側を解説するというyoutubeで、なるほどと思うことが多いのだが、このなかで、「セクシー田中さん」というドラマで、原作者と脚本家の争いになっているということから、珍しい揉め方として紹介していた。原作をかなり改変してドラマ化することはよくあることだが、通常は、表立ったトラブルにはならないというのだ。というのは、ふたつのパターンがあって、改変されることを嫌う原作者が、ドラマ化を断るか、改変されるのは、いっても無駄とあきらめて、任せてしまう場合のどちらかがほとんどだという。もちろん、当事者にとっては、どちらかが不満足な展開になるのだが、トラブルにはならないという。今回の場合には、原作者が、原作を改変しないことを条件にしたが、それにもかかわらず改変が行われ、原作者が自分で脚本を書くという事態になったことが、極めて例外的だという解説をしていた。そして、この問題が難しいのは、だれもがよかれと思っていることだ。改変する脚本家やプロデューサーにしても、面白くなくするために改変するのだ、などということは絶対になく、このほうが面白いと考えて、改変する。原作者は原作の形をベストと考えているのは当たり前だ。善意と善意がぶつかり合って、トラブルになると、解決が非常に難しいというのが、さっきー氏の結論だった。 “漫画のドラマ化で原作者が自死” の続きを読む

再開します

昨年、突然、ブログ機能がおかしくなり、アサヒネットのブログに引っ越していました。こちらがどうやら使える感じになったので、こちらに復活します。当面アサヒネットにも同文を掲載します。この間アサヒネットに投稿したものをまず、準備こちらにも掲載します。

五十嵐顕考察34 教育財政論2

 前回は、戦後教育財政の研究を始めた時点での、五十嵐の立脚した観点について整理した。そして、勤評への批判が、政治的な観点からなされ、教育財政的な視点がなかったことを指摘した。それは、前に指摘した教科書無償化措置に、なんら批判をしなかったことと同じ問題があったことを簡単にのべておいた。教科書無償化については、以前に書いた通りである。

 さて、今回は、10年後、新たな地平を開こうとしたことについて考察する。勤評闘争は1950年代終りころから、そして、教科書無償化は1960年代の初頭から、小学校一年から順次実施されていった。9年かかって全学年の無償化が実現されたことになる。当然私自身は、無償化の時代ではなく、毎年学年はじめに、お金をもって学校の始業式のときに、教科書を購入した世代である。 “五十嵐顕考察34 教育財政論2” の続きを読む

五十嵐顕考察33 教育財政研究について1

 いままで何度か、五十嵐の財政論について書いてきたが、概略的にまとめる必要がでてきたので、これまで書いていない部分について主に書くことにする。
 五十嵐は、東大の教育財政学担当の教官として、26年間勤めたが、教育財政学の研究者になったのは、自分自身の意志ではなく、偶然の要請だった。1946年に戦地から帰って、就職先がなかったときに、国立教育研修所で助手を募集していることを知らされ、そこで宗像誠也に、アメリカの教育委員会制度を調査してほしいと依頼されたのがきっかけだった。依頼の対象は教育委員会制度だったが、アメリカの教育委員会は、自主財源をもっているところが多く、教育政策の決定と執行を行う組織だったが、それでも財政的には貧弱で、州や連邦政府の補助金が必要であるために、同時に教育財政の調査を行うことになった。そして、その調査が認められて東大に迎えら、教育財政学の担当者になった。したがって、それまで教育財政学の研究上のトレーニングはおろか、研究のトレーニングもうけたことがなかったのである。それもあってと思うが、五十嵐教育財政学は、通常の財政学とはかなり色合いの異なるものになった。

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フリースクールは国家の骨格を崩すか

 東近江市長が、不登校について、いろいろと発言して、大きな話題になっている。通常大騒ぎになると発言を撤回して、逃げ回るひとが多いが、この市長は記者会見にも応じて、自説を主張しているので、わかりやすい論点の対立が起きている。
 いろいろと記事を読んで、この市長の主張を整理すると以下のようになるようだ。
 
・大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさようとしている
・フリースクールって、よかれと思ってやることが、本当にこの国家の根幹を崩してしまうことになりかねないと私は危機感を持っている
・不登校になる大半の責任は親にある

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ウクライナ情勢あれこれ

 ウクライナ情勢がかなり動いている。
 最も大きいことは、5月頃からはじまったウクライナの反転攻勢が、次第に実を結びつつあることだろう。当初はなかなか進展せず、反転攻勢は失敗するのではないか、という観測もかなり流れていたが、そもそも、十分に備えに時間をかけることができたロシアだから、そう簡単にそれを破れるはずもなかったし、当初遅々として進まなかったのは当然だった。そして、もうひとつ流れている説は、当初米英が作戦を指導していたが、それが通常行う戦闘機が主導して、陸上の軍隊がそれに従って進んでいくという方式だったという。しかし、援助側は戦闘機を提供していないのだから、そんな作戦がうまくいくはずがなく、ウクライナはそれに見切りをつけて、ウクライナ側の方式によって闘い始めた。そして、それが困難をともないながらも、次第に成功しつつあるというのである。

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「鬼平犯科帳」がっかりする話3 敵

 「敵」は、主要な密偵の大滝の五郎蔵のお目見え話である。がっかりする話として紹介しているが、ミステリー的な話としてはよく出来ていて、とても面白い。あくまでも、長い「鬼平犯科帳」シリーズのなかに置かれたものとして、疑問点が多いという意味である。
 話は、岸井左馬之助が、友人の招待でいった越後・塩沢からの帰りの山道で、二人が激しく争っている場面に出くわす。大男の大滝の五郎蔵に若者が挑んでいる。若者(与吉)は、五郎蔵が父の敵だと信じ込まされて、敵討ちにやってきたのである。しかも、ふたりはどうやら盗賊だと左馬之助は察するのだが、若者が、「自分は盗賊改めの狗だ」と名乗る(これははったりで事実ではない)ので、見捨てることができず、若者が殺害され、五郎蔵が急いで江戸に出発する前の盗人宿にもどっていくのをつけ、番人と話し込む内容まで盗み聞きしてしまう。そして、翌日は、五郎蔵を見張り、江戸までもどって、逗留先をつきとめて、すぐに平蔵に報告する。

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日本人の労働の無駄?

 ロシアによるウクライナ侵略から日本に逃れてきたウクライナの女性のyoutubeをたまたま見た。そのなかで、興味をひかれた部分があった。日本にきて、1年半といっていたが、全編日本語で説明され、多少不自然なところがあったが、すべてきちんと意味が通じる言い方だった。1年半でこれだけマスターできるのだから、かなり頭のいいひとなのだろう。そういう彼女からみて、日本の企業での働き方に、不満があったという。不満というよりは、批判といったほうがいいかも知れない。
 それは、ウクライナ人は、今日しなければならない仕事を、一日の労働時間である8時間内に終わって、時間があまったら、翌日の仕事をする。しかし、日本人は、8時間内で終わるような仕事を、8時間に引き延ばして遂行する一方、残業はやたらと多いというのだ。
 一日の仕事を超えてするのだから、当然、一週間単位では、かなりの仕事量をこなすことになるのだが、その結果については、詳しい説明がなかったが、おそらく、それだけ賃金が余分に支給されることになるということなのだろう。ウクライナ人の合理的な働き方を説明していたから、決められた量以上の仕事をしても、賃金が同じであれば、合理的な働き方とはいえないからだ。

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危機回避は難しいのだろう

 スポンサーのジャニーズ事務所離れが急速に進んでいる。7日の会見をみて、この事態を予想した人たちは、少なくなかったと思われる。私自身は、予想よりはジャニーズ側が真面目な雰囲気をだそうと記者会見をした面もあり、その点が意外だったが、スポンサー離れがおきるだろうとは予想していた。それにしても、当事者たちからすれば、厳しい報告を受け取り、被害者たちが、厳しい要求をしていたことを考えれば、そして、アメリカなどでの同様の問題に対する厳しい対応を考えれば、相当な覚悟で、被害者たちだけではなく、社会、とくに企業に対して納得のいく具体的な方策を示さなければ、こうした事態になることは、予想できたはずである。少なくとも、危機対応の専門家にも相談しただろうし、彼等の助言もあったはずである。しかし、7日の記者会見は、具体的な対応策は何も示さず、そして、その後もとくにめだった対応をしていないことを考えると、危機に直面した当事者にとっては、事態を正確に理解し、社会を納得される方策を打ち出すことは、本当に難しいのだろうか、と思ってしまう。

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五十嵐顕考察29 「教育財政学」はなぜ書かれなかったのか

 昨日は、著作集の編集委員会があり、編集委員会といっても、半分は研究会で、報告と討議がある。昨日は、五十嵐論の総括的な柱の報告があって、時間の関係でほとんど討議できなかったのだが、非常に充実した報告で、興味深かった。この報告について触れることはせず、また、充実したものであることを確認したうえで、私が聞いていて、主に考えたのは、こうした個人の業績を考える上で、研究者であれば、当然書かれた文章を素材にして考察するのだが、(そして、この報告は主要な本を素材にしていた)私は、むしろ書かれるべきであったのに、書かれなかった素材のことであった。もちろん、だれでも、あらゆることを書くことはできないのだが、専門領域については、当然かかねばならないことがある。そして、五十嵐は、東大の教育財政学講座の担当者だったということも、書かねばならないことがあると、多くのひとは考える。それは、「教育財政学」という総括的な著作である。実際に、五十嵐は、晩年それを書こうと努力していたといわれている。しかし、長い研究生活のなかで、ついに、そのような本が書かれることはなかった。

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