小池氏の学歴詐称問題は、ずっと以前から言われており、さまざまな専門家が、小池氏が詐称していることを論じているが、小池氏は、これまで、巧みに、というよりは図太くかわしてきた。特に大きく問題になったのは4年前の都知事選前に、『女帝』(石井妙子著)が現われたことである。これは大ベストセラーになり、さすがに小池氏も追い詰められたとみられていたが、在日エジプト大使館のホームページ(フェイスブック)に、カイロ大学の見解がアップされて、一挙に追求が下火になった。当時、このカイロ大学の声明を読んで、どうも変だと思った人は少なくないに違いない。私もその一人だ。『女帝』は、後で述べるように、この問題について決定的な情報を示していた。だからこそ、小池氏もかなり動揺したのだろう。側近の小島氏に「こまっている」として、相談をもちかけたわけである。そして、そこからの経緯について、『文藝春秋』によって暴露されたのが、現在の「盛り上がり」の原因となっている。そして、あのカイロ大学声明は、小池氏が、側近に作成させたのだ(つまり捏造)、というのが、小島氏の暴露の中心点である。たしかに、カイロ大学があのような声明文を、大使館のフェンスブックにのせるというのは不自然であるし、それよりも、後半にあった、小池氏が学歴詐称しているというような意見を公表することは、名誉毀損であるので、法的措置をとる、という文章に、大きな違和感をもったものだ。また、この文章によって、メディアの追求が下火になったわけである。この法的措置の脅し的文章がなければ、あそこまで一気に追求がなくなることはなかっただろう。今から考えれば、鎮静化させるためもっとも効果的に狙った文章を挿入したのは、それを望んだ人が作成したことを裏付けると解釈できるわけである。
さて、今回考えたいのは、「証明」問題である。事情をよく知る人は、欧米や日本では、大学卒業について、当該大学に問い合わせれば正確な情報がえられるが、エジプトなどの途上国では、お金を出せば、卒業詔書などは、卒業実績がなくても、簡単に発行されるという。大学が正式にださなくても、そういう業者がいて、小池氏が示す卒業詔書や卒業証明書もそうした類のものだろうという。また、小池氏は父親からの縁もあるし、また小池氏が政治家になって築いてきたエジプトとの関係で、政府や大学が、たとえば外交ルートで問い合わせても、小池氏は卒業生であるという回答をするだろうという。そうだということを前提に考えてみよう。
そうすれば、いかに小池氏がカイロ大学を卒業していなかったとしても、大学や政府に問い合わせたとしても、卒業したという「回答」が必ずかえってくるとすれば、「正式に問い合わせれば、簡単にわかるではないか」という詐称派の思いは実現しないわけである。
私自身は、これまでのたくさんの関連文書を読んだが、小池氏がカイロ大学を卒業していないことは明らかだと思っている。しかし、それが大学当局によって、逆の証明がされてしまうことを考えれば、「卒業」ということの意味を確認することが必要なのだと思うのである。
通常の日本人が「卒業」と考えるのは、その大学に通学して、授業をうけ、試験に合格して、必要な単位を修得して、卒業詔書をその時点で得ることだろう。いくら、卒業詔書があったとしても、(それもかなり内容的にあやしいものだそうだが)授業をうけ、試験に合格するほどの力を獲得していなければ、卒業したとは認められない。しかも、「首席」というのだから尚更である。
しかし、当時の小池氏は、授業にはあまり出ていないようであるし、進級試験に落第したことは、同居人の記述によって疑いない。また、試験に合格するほどの実力であれば、アラビア語を駆使できるはずであるが、アラビア語に通じているひとたちの多くが、小池氏のアラビア語は幼児段階のレベルだという。また、卒論は書かなかったと小池氏は延べているが、当時も今も社会学科では、卒論は必修だという。
そして、同居人氏のいうところでは、進級試験に落ちたその年に、日本に帰国し、再度エジプトにやってきたときに、日本では、カイロ大学を卒業した日本人の女性第一号だと公言し、それが新聞記事にもなっており、その記事を同居人に見せたという。進級すらできなかった人が、その年度内に卒業できるはずがないのである。
このように考えれば、小池氏が、実際にカイロ大学を卒業していないし、また、ほとんど通学もしておらず、カイロ大学で身につけた学力はほぼないに等しいことは明らかであろう。(つづく)