世の中では、コロナウィルスの話題一色だが、私にとっては、明日のイギリスEU脱退のほうが、より関心がある。メイ元首相が実現しようとして、議会に阻まれてきたブレクジットを、ついに議会承認に漕ぎ着けたということで、その手腕を評価されているようだが、実は、メイがしてはならないことと禁じ手にしていたことを、ジョンソンはあえてやったことによって、議会承認をとりつけたのだ。それが今後のイギリスによい結果をもたらすかは不明だ。つまり、事実上、北アイルランドはEUに残留するのと同じような措置にしたことは、連合王国を分裂させる危険性が高いわけだ。だから、メイ元首相はその道を選ばなかった。
そもそも、連合王国としてのまとまりをとりながら、ブレクジットを実現することは、論理的にほとんど不可能だった。 “イギリスのEU脱退” の続きを読む
月別: 2020年1月
鬼平犯科帳 密偵の誕生
「鬼平犯科帳」には、大勢の密偵が登場する。主に活躍するのは、平蔵直属の密偵だが、与力や同心についている密偵もいる。実際にそうであるかはわからないが、「鬼平犯科帳」に登場する密偵のほとんどは、元盗賊である。したがって、かつての仲間を裏切って売る行為をしている。そのために、盗賊からは狗と蔑まれている。それを承知で、密偵を務めている。江戸時代の奉行所に勤める同心がつかっている密偵たちも、犯罪集団すれすれの人間が多かったとされるが、平蔵の密偵たちは、全員がそうだ。そして、それぞれ、密偵になるいきさつが物語のなかで語られる。例外は伊三次のみで、彼は最初から密偵として登場し、しかも、主要な密偵のなかで、一人だけ殺されてしまう。そのせいか、伊三次にはファンが多いようだ。
では、それぞれどんな経緯で密偵になったのだろうか。 “鬼平犯科帳 密偵の誕生” の続きを読む
年休とったら保護者や校長からクレーム
年休とったら、保護者からクレームを受け、校長からは、生徒第一に考えろと言われた、教師を続ける気力が薄れたというツイッターが話題になっているという。おそらく学校の風土となっていることだろうと思う。そして、文科省も基本的には同様の「感覚」をもっているに違いない。文科省の「働き方改革」の案では、夏休みに年休をとりやすくして、全体の労働時間を短縮するというものだった。夏休みに年休とりやすいことは、誰が考えたってわかることで、既にほぼ実現していることだろう。夏休みに年休とったらクレームをつけるという校長や保護者は、ほぼ考えられない。逆に、年休とれるのは夏休みくらいなのだ。(教師にとっては実際には休みではない。)だから、文科省の改善案は、何も提案しておらず、現状の肯定に過ぎないのである。しかし、今や教師の労働のブラック度は周知のことになっているから、このまま改善がなされないと、教師志望者がどんどん減ってしまうだろう。既にその兆候は明確になっているのだが。
まず、年休を取ることは、「権利」であり、正当な理由などは必要ないのだ、ということを、保護者や管理職はよく理解すべきである。端的な言い方をすれば、学期内の授業日に、気軽に年休をとれる体制にすることが、教師の働き方改革のひとつである。 “年休とったら保護者や校長からクレーム” の続きを読む
GIGAスクール構想の疑問 1人1台のPC 効果があるとは思えない
「GIGAスクール構想」ということで、今後小中学生1人1台のパソコンをもたせる政策が歩みだしている。現国会の目玉の政策なのだそうだ。かかる費用が4000億円という気が遠くなのような金額だ。教育委員会が購入するのだから、学校備品ということになるのだろう。どの程度使われるか、どのように使うのか、よくわからないが、これまでの日本の学校教育のあり方からみて、大いなる無駄になる気がする。もちろん、私自身は、PCの教育を進めることには大賛成であるし、ずっと前から推進する必要があったと考えている。日本はIT教育が遅れていると言われているから、こうした構想が出てきたのだそうだ。しかし、これまでだってパソコンの授業はかなり前からあった。だが、そのやり方が酷い。その酷いやり方を生みだした要因を変えなければ、結局同じことになるだけだ。
官邸の教育再生実行会議が提唱したことだそうだが、おそらく、売れないパソコン業界の販売経路として、学校を考えたという側面が強いのではないだろうか。大学共通テストの民間検定試験の採用も、教育再生実行会議の提案だった。これが利権絡みであったことは、今や明らかだ。教育再生実行会議のメンバーに財界メンバーが多数入っていることを考えれば、景気回復の手段として構想されたと考えても不自然ではない。
では、これまでのパソコンの教育で、何が問題だったのか。 “GIGAスクール構想の疑問 1人1台のPC 効果があるとは思えない” の続きを読む
再び刑事事件の「責任能力」が問題に 洲本5人刺殺、死刑破棄で無期懲役に
2015年3月に、淡路島洲本で5人が刺殺される事件が起こった。全国に大きな反響があった大事件で、私も鮮明に憶えている。犯人は直ぐに逮捕され、裁判員裁判で死刑判決が出た。弁護側が控訴し、今日、一審判決が破棄され、無期懲役の判決がでた。再び、刑事責任能力が問われる難しい事例となっている。
通常の殺人事件であれば、5人を刺殺したのだから、死刑判決がでることは、当然と思われるが、この事件では、当初からかなり難しい要素があった。
朝日新聞の2017年3月22日号に次のような関連年表が掲載されている。
<2010年12月> 平野被告がインターネット上で他人を中傷し、精神科病院に措置入院
<2013年10月> 退院後、兵庫県明石市で一人暮らしをしながら治療
<2014年7月> 通院中断
<10月> 平野被告の母親から「息子が来るかも知れない。怖い」と保健所に相談。職員らが面談し、他人に危害を加える恐れはないと判断
<2015年1月> 洲本市の実家に戻る
<3月> 事件発生
<9月> 神戸地検が起訴。その後、裁判官、検察官、弁護人が公判前に争点などを協議
ここでわかることは、平野被告が精神的な疾患を患っていたことである。 “再び刑事事件の「責任能力」が問題に 洲本5人刺殺、死刑破棄で無期懲役に” の続きを読む
少年法年齢引き下げ見送りについて
選挙年齢の18歳への引き下げにともない、様々な「成人」に関わる年齢の引き下げが検討されている。最も重要な事項である少年法の適用年齢に関して、18歳に引き下げる案での法案提出を見送ったと報道されている。
日本の少年法は、一時世界で最も保護的であると言われ、右派のひとたちから散々攻撃されてきた。その後、アメリカでの厳罰化の動向に後追いする形で、日本でも多少の厳罰化が実施されている。殺人罪などの凶悪犯は、逆送致によって、大人と同様の裁判を受けさせることが可能になっている。今回の審議において、法制審議会の議論がまとまらない、つまり、政府の意向である引き下げに同意しない委員が少なくなかったということだろう。
子どもの犯罪を罰しない、あるいは軽い処罰にするというのは、古代からみられることであるが、子どもの年齢をどこまでと見るかは、近代とは異なっていた。小学校が始まるような年齢になると、大人と同じように裁かれるような時代が長かったといえる。19世紀末から20世紀にかけて、成人年齢に達しない、つまり青年期まで含めて、犯罪者の処罰を大人よりも軽減し、更生を重視する考えかたが、アメリカで少年法として成立した。それが日本に取り入れられたわけである。ニューディール派のかなり理想主義的な少年法が、戦後改革によって導入されたので、非常に保護的なものだったわけだ。 “少年法年齢引き下げ見送りについて” の続きを読む
本日最終講義
今日は、大学での最後の活動である「最終講義」をやってきた。通常の授業の枠とは別に、特別の「最終講義」というのは、どういう習慣であるのかわからないが、多くの定年退職する大学教師は、これを行うようだ。私が強く意識している歴史的最終講義は、矢内原忠雄のものだ。矢内原は、軍部批判をした論文が非難されて、東大教授を辞任せざるをえなくなるわけだが、受け持っている講義が結局、途中で停止されることになる。その最後の講義が、「最終講義」と言われていて、多くのひとたちに語り継がれている。多くの慣習的な最終講義は、こうした普段の講義の最後ではなく、特別のテーマで行う。
数日前に書いたが、「大学の教育活動でめざしたこと」という題で行った。
いろいろあるが、大学の講義で目指したことは、とにかく、学生に勉強させることだった。 “本日最終講義” の続きを読む
「結婚しなくていい」ヤジ、野党の対応は稚拙ではないか?
1月22日の国会代表質問で、選択的夫婦別姓の導入を認めるべきだという質問に対して、「だったら結婚しなくていい」というヤジが飛んだとされる。それに対して、「結婚の自由を否定する憲法違反の言論だ」「謝罪せよ」など強い非難が出されており、ヤジの主をめぐっても、自民党と野党の攻防が続いている。杉田水脈議員だという声が多いが、本人は無言を貫いている。自民党の森山国対委員長は「不規則発言自体がよくないと思うので、そういうことがないように(党内に)しっかり伝達する」と述べ、個別の発言はたださない意向だということだ。不規則発言がよくないのなら、安倍首相にそのように諫言すべきであろうと思うが、この問題はいろいろと考えさせる。
まず最初に私の立場であるが、「選択的夫婦別姓」の導入に賛成である。ただし、結婚するときに、新しい姓をつくって、その姓になることも認めるべきだと思うので、100%「選択的夫婦別姓」がいいとは思っていない。ただし、新しい姓まで認めないなら、別姓もだめだなどとはまったく思っていないから、そのことには賛成である。
そのことを踏まえて、このヤジをどう思うか。もちろん、感心しないが、しかし、この発言が「憲法違反」だとは思わないし、そういう発言をすることに対して「謝罪」をしなければならないとも思わない。 “「結婚しなくていい」ヤジ、野党の対応は稚拙ではないか?” の続きを読む
満員電車にベビーカー 思いやりだけでは済まない
ものまねタレントの「みかん」のブログ発で、満員電車にベビーカーで乗ることの問題が話題になっている。私は、ものまねなどにはまったく興味がないので、みかんというタレントは知らなかったが、とりあえず彼女のブログや、紹介ブログ、そして、5チャンネルでのやりとりなどを見てみた。こうした話題は度々議論されるところだし、日本のラッシュアワーは、とにかく解決不可欠の問題なので、取り上げてみた。
まず、最初のみかんブログを読むと、他でも多数紹介されているが、普段は車での移動だが、その日は仕方なく電車で移動せざるをえなかったということだ。ベビーカーとキャリーバッグをひいて、朝の通勤客で混み合う電車に乗ったが、ある駅で下りた男性が、「邪魔なんだようっ!」と捨てぜりふをはかれて泣きそうになった。電車移動はしたくないと思ったというような内容だ。「乗っちゃいけないの?!」という題がつけられている。
大きく話題になったのは、その後、志らくがMCをしている「グッとラック!」で取り上げ、論争になったからのようだ。その番組自体を見ておらず、紹介記事で知っただけだが、だいたいの筋はわかった。志らくは、「男性こそ邪魔だ」というような発言をしたようだ。 “満員電車にベビーカー 思いやりだけでは済まない” の続きを読む
大学で獲得すべき知的能力とは何だろうか
最後の授業を終わり、あとは、「最終講義」を残すのみとなった。今回は、「最終講義」で話す柱となる内容を考えるために書いてみる。考えながらなので、とりとめない書き方になる。
題名は「**大学の教育活動でめざしたこと」ということで、私は専門が教育学なので、教育活動自体が、専門の実践という側面をもっている。「最終講義」には定型はないのだろうが、多くは、自分がやってきた研究活動の総括などをする。私の狭義の専門領域はヨーロッパの学校制度だが、やはり、基本は「教育とは何か」にある。教育という行為には、必ず価値的な対象がある。そして、具体的な対象は、ある領域の知識であったり、あるいは技能・技術であったりする。しかし、単に専門領域の知識を与えることを意図して、教育活動をしている大学の教師はあまりいないはずである。やはり、知識を獲得するとともに、あるいは知識を獲得することによって、より、高いレベルの知的能力の獲得を目指しているはずである。私の「最終講義」は、その目指してきた知的能力とは何か、それをどのような方法で目指したのか、その結果はどうだったのかという点に焦点を当てて考えることを意図して行う。 “大学で獲得すべき知的能力とは何だろうか” の続きを読む