「結婚しなくていい」ヤジ、野党の対応は稚拙ではないか?

 1月22日の国会代表質問で、選択的夫婦別姓の導入を認めるべきだという質問に対して、「だったら結婚しなくていい」というヤジが飛んだとされる。それに対して、「結婚の自由を否定する憲法違反の言論だ」「謝罪せよ」など強い非難が出されており、ヤジの主をめぐっても、自民党と野党の攻防が続いている。杉田水脈議員だという声が多いが、本人は無言を貫いている。自民党の森山国対委員長は「不規則発言自体がよくないと思うので、そういうことがないように(党内に)しっかり伝達する」と述べ、個別の発言はたださない意向だということだ。不規則発言がよくないのなら、安倍首相にそのように諫言すべきであろうと思うが、この問題はいろいろと考えさせる。
 まず最初に私の立場であるが、「選択的夫婦別姓」の導入に賛成である。ただし、結婚するときに、新しい姓をつくって、その姓になることも認めるべきだと思うので、100%「選択的夫婦別姓」がいいとは思っていない。ただし、新しい姓まで認めないなら、別姓もだめだなどとはまったく思っていないから、そのことには賛成である。
 そのことを踏まえて、このヤジをどう思うか。もちろん、感心しないが、しかし、この発言が「憲法違反」だとは思わないし、そういう発言をすることに対して「謝罪」をしなければならないとも思わない。憲法には、「表現の自由」もあるし、それに、事実として、姓を変えるのが嫌だから、法的な結婚をせずに、事実婚状態を続けるカップルもいる。そういう考えかたもあるわけだ。そして、その状態が憲法違反なわけでもないだろう。
 ヤジはあまり感心する表現形態ではないが、別に絶対にやってはいけないものではないだろう。野党だって、かなりヤジを飛ばしているはずである。
 したがって、今回のこの騒動で一番感じるのは、野党の戦術のまずさだ。杉田議員がいったかどうかは、どうでもよく、そういうヤジが飛んだのだとしたら、その「内容の吟味」に持ち込めばいいではないか。「謝罪」要求だったら、「謝罪しない」と突っぱねられるか、あるいは謝罪して終わりになってしまうだろう。杉田議員(のヤジだとして)の考えも、ひとつのあり方なのだから、それをもっときちんと整理して述べてもらい、そこで、議論をするというほうがずっと生産的ではないだろうか。そして、議論のなかで、杉田議員が考えが変わらないとしても、自民党のなかに、選択的夫婦別姓に賛同する人が増えるかも知れない。というより、自民党の議員のなかに、賛同者が増えなければ、実現しないわけだし、また、自民党全員が反対とも思えない。
 選択的夫婦別姓の必要性は、もちろん全員にではないが、切実に必要であるひとたちがいる。現在は制度的に認められていないから、戸籍上は異なるが、実生活では夫婦別姓を通している人は、私の職場には何人もいる。研究者だから、結婚前に論文を発表しており、結婚後に名前が変わると、論文執筆の継続性が断ち切られてしまうから、就職の応募などの際に、やはり不利になる。また、論文の取り上げられ方にしても、別人として扱われれば、不都合が生じることは明らかだ。だから、今では多くの職場や学会で、通称として、事実上の別姓を認めているわけである。しかし、戸籍上はあくまでも一方が姓を変えざるをえない方法である。
 ヤジのように、事実婚にして、正式な結婚をしない方法ももちろんある。その点は、現在の結婚制度にともなう様々な権利関係から考えれば、不利な点がいくつもある。財産的領域、相続、子どもの就学等々。
 もちろん、選択的夫婦別姓にも欠点はある。子どもの名字の問題は大きい。
 こうした状況を出し合って、議論をするいい機会ではないだろうか。「謝罪せよ」とせまるのではなく、本当にそう思うなら、議論しようと、共通の土壌で議論する。実は、そのことなしに、野党の主張が法律として制定されることはないのだ。
 もう少し、野党も責任政党的な発想になってもらいたいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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