熊本城の復元

 旅行記録を休みにしていたが、四国から九州にやってきた。九州の旅が、今回の目的であった。妻が九州の出身で、しかも、義務教育の期間に、9回も転校したために、その足跡を確認しておこうということだった。しかし、そうした私的な部分は、より一般的な意味をもつ場合だけ書くことにする。
 九州にわたって3日目に、熊本城をみた。私は、高校生のときに修学旅行で熊本城を訪れ、天守閣を最上階まであがったことを、はっきりと記憶している。途中に甲冑などが展示されていた。また、天守閣は、意外と小さい建物だというのも、そのときの印象だ。今回、ぜひ熊本城を訪れたいと思ったのは、やはり、その修復の進み具合を見たかったからだ。
 
 日本の建築物は古いものが多く残っているが、それは極めて幸運に恵まれたからで、なんらかの理由で消滅してしまった建築物のほうが圧倒的に多い。藤原頼通の平等院は残っているが、父道長の法成寺は鎌倉時代に消失したとされる。近い時代では、江戸城は度々の火災にあい、天守閣は再建されずにきた。地震で倒れた建物も大いに違いない。

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死んだ安全保障理事会をどう再生させるのか プーチン退場後のロシア

 ウクライナ戦争の終了の形がどうなるかは、まだ未確定であるが、何を準備しなければならないかは、ある程度明確である。国際組織の創設には、長い準備期間が必要となる。国際連合は、1945年に発足したが、その準備は1941年の太西洋憲章にまで遡る。それは、国際連盟が第一次世界大戦後、特にナチス政権が登場してから、国際問題の処理がほとんどできなくなり、無力化した反省を踏まえて、長い準備過程を経て成立したものである。レーニンは、「第二インターは死んだ」として、コミンテルンを創設したように、実質的に死んだ国際連盟に変わって、連合国が国際連合を創設したのだが、現在でも、国際連合は実働しているとはいえ、中心的な安全保障理事会は死んだも同然であろう。
 常任理事国であるロシアが、国連憲章が禁ずる行為を公然として行い、国際連合加盟国の大多数の見解が非難をするような状況であるのに、ロシアが拒否権を行使するために、国連としての対応が不可能になっている現状は、「安全保障理事会は死んだ」というべきである。安全保障理事会そのものを撤廃する選択もあるが、ロシア一国が、傍若無人に振る舞っているのだから、ロシアを排除することによって、理事会の再生を図るのが、まずはベストの選択だろう。その件について考えてみるが、そのためには、ウクライナ戦争の終結の仕方を考えねばならない。

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小室圭氏が司法試験合格?

 小室圭氏がニューヨークの司法試験に合格したそうだ。とりあえず正式に通知されている。ただ、単純にめでたいことだとはいえないというのも、正直なところだ。本当に正規に合格したのか、あちこちで疑いももたれている。
 これまで多額な税金が、小室夫妻に投入されていることは、否定しようのない事実であるといえるが、この合格によって、本当に自立した生活をするようになれば、大いにけっこうだが、そうなるのかは、まだ未知だ。生活費などの援助はなくなるのだろうが、過剰な警備や、家事等を担当する職員の派遣などをやめるのかどうか。彼らや、彼らを取り巻く周囲のひとたちが、相互に利用しあう関係である以上、なんらかの利権が蠢くことになる。

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坂本竜馬記念館

 昨日は奈良を早めに出発して、高知県に移動した。途中大阪の高速道路は、首都高と同じで、必ず渋滞が発生する。それが、今回は神戸のほうまで渋滞が延びて、かなり時間がかかってしまった。神戸は山と海岸線がそれほど離れておらず、さくこんの高速道路が必要だとも思えないのだが、既存の名神や中国自動車道以外にも、神戸を走る高速が複数あるのに、すごく混んでいる。高速を大都市の市街地中心にまで建設するのは、やめたほうがいいのではないかと、改めて思った。
 ふたつの大橋を経て、淡路島から四国に至り、そのあとは、高速道路といっても、片側一車線の対面交通が多く、あまり高速道路を運転している感じではなかった。ただ、四国の山地には、本当に森林がずっと続いており、日本は森林の多い国であることを実感させてくれる。

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平城宮復元

 関ヶ原の岐阜県から奈良に移動。昨日、平城宮復元工事が行われている地域を見学した。周知のように、奈良県平城京は、約70年間日本の都だったが、その後廃れてしまい、ほとんどが水田地帯になっていたらしい。しかし、何人かの平城京復元の主張が少しずつ実り始めて、現在は国家事業として、復元作業が行われている。もちろん、建物などは一切残っていないので、復元といっても、新たにこうだっただろうという形で、復元しているわけだ。できているのは朱雀門と大極殿のふたつだ。平城宮の南門である朱雀門の南には、資料館やレストランなど,いくつかの建物が立っており、復元の際には、周囲の観光地になるのだろう。そのほかの土地は飯場になっているか、荒れ地になっている。

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関ヶ原古戦場記念館

 現在、群響演奏会を皮切りに、九州までの旅の最中だ。高崎、関ヶ原と。昨日、関ヶ原の古戦場記念館を見てきた。今でも、関ヶ原という地名は、関ヶ原の天下分け目の闘いと結びついて記憶されているし、関ヶ原という地域でも、闘いは重要な町おこしの資源になっているようだ。至るところに、各武将の陣屋跡があり、合戦の指標などが記されている。そうした合戦資料の中心がこの古戦場記念館だ。1階がシネマ場、2階が資料展示、5階が展望コーナーだ。
 まず、シネマについては、まったく感心しなかったし、むしろ腹がたったほどだ。
 ふたつの部屋を使い、最初は立ったまま床に映し出される映像をみるというもので、関ヶ原の闘いの各部隊の動きをみせるだけのものだった。ほぼ定説にそったもので、別段興味を引くものではなかった。むしろ、何故床に映して、立ったままみせるのか。その利点がまったわからない。360度囲むように立っているので、半分近くの人は、逆さまの映像を見せられることになる。

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著作権を考える 子どもの発表会の著作権(最高裁判決)

 音楽教室の発表会での著作権料に関する最高裁判決がでた。
 
 私自身は、JASRACにあまり好感を抱いていないので、そうした意見の偏りがあるかも知れないことは、予めお断りしておきたい。 
 この訴訟で争われていたのは、音楽教室の発表会で演奏したときに、著作権料が発生するかどうかである。JASRACは、講師であろうと生徒であろうと、発表会で演奏すれば、著作権料を支払う必要があるという立場であり、講師、生徒側は、学習のためなのだから著作権料は発生しないという立場である。一審、二審で判断が異なり、また最高裁でも異なったという、珍しい事例である。それだけ著作権とは、複雑な権利であり、また、社会的効果も、ひとつの考えで割り切ることができないといえる。

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公文書の保存と公開 神戸事件の事例から考える

 神戸の中学生による連続殺傷事件の司法記録が、すべて廃棄されていたことが、話題となっている。
 通常の文書は20年保存となっているが、最高裁が重要な件については、永久保存することを義務づけている。誰がみても、神戸の事件は重要案件だと思うが、どういう訳かすべての資料が廃棄されたという。日本の行政担当者の文書保存意識の低さを、実感させられる。公文書は、自分たちに都合が悪くても、きちんと保存すべきものである。もちろん、非公開期間があってもよい。しかし、保存はきちんとして、一定期間が過ぎたら公開すべきものである。そもそも通常の裁判は公開であるから、資料も公開されている。もっとも、判決以外の資料は、特定の場所に保存されているので、見るためには、その場所に行かねばならない制約はある。しかし、裁判が公開であるということは、資料についても公開されるべきものであって、現在は資料もほとんどはデジタル化されてやりとりされるから、ネットで見ることができるようにすべきなのである。

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群馬交響楽団の荘厳ミサ曲

 今日、高崎まででかけて、群馬交響楽団の演奏会を聴いた。群響を聴くのは2度目だ。最初は、ずっと昔東京文化会館での東京遠征を聴いた。私が当時チェロを習っていた先生が、群響のチェリストだったので、東京で演奏会をする機会に聴きにいったわけだ。曲もよく覚えている。チャイコフスキーの「幻想序曲ロメオとジュリエット」、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲、そして、メインが「悲愴」だった。ホルン協奏曲が、なにか危なっかしい感じがしたので、あとで先生に聞くと、ドイツから来たというホルンのソリストが、練習のときと全く違うテンポで演奏したので、みんなあわせるのに懸命だったということだった。そんなことがあるのかとびっくりしたものだ。悲愴はすばらしかった。
 私は、当時松戸に住んでいて、高崎から毎週教えに来るのは、本当に大変だったと思う。当時は、先生が非常に若かったのだが、この春に、高崎にいったときに、群響のかつての演奏会場(そのときには、いまでもそこで演奏していると思っていたのだが、今は新ホールになった。)があり、ネットで調べると、今でも団員名簿にあったので、私のオーケストラの練習がないいときに、ぜひ聴きにいこうということになったのだ。ほとんどは土曜日で重なっていたのだが、今日は、日曜日なので、練習がなかった。

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Biglobe のブログ終了で考えたこと

 さて、ひとつひとつの書き込みを表示して、エディター(WZエディター)コピー&ペーストしていく。テキストだから、写真とか、書式は無視される。だから、コピーしたあと、見出しを拾いながら、アウトライン用の記号を付加していく。さらに、「いいね」のような、余分な情報を取り除いていく。 
 文章が670あり、1行40字で、44000行という、かなり膨大な量になっている。幸い、WZエディターは、高い機能性をもっているので、これだけ膨大な量になっても、機敏に動くので、作業のいらいらはないのだが、とにかく、単調な作業を続けなければならない。
 
 そうして、昨日はかなりの長時間単純作業をしていたのだが、あることに気がついた。私は、普段、あまり集中力が継続しない性質なので、読書や原稿書きなどは、30分くらいやると、集中力が途切れて、別の作業をしたくなる。だから、だいたい複数の作業を容易して、いれかえながら仕事する。そうすると、作業そのものを放り出すことがなくなるのだ。

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