「鬼平犯科帳」 密偵たちの死1

 「鬼平犯科帳」には、たくさんの密偵が登場する。実際に長谷川平蔵は、多くの密偵を使っていたとされている。ただ、よく時代劇に出てくる岡っ引きとは違う。岡っ引きも、平蔵の密偵と同じように、どちらかというと反社会的な人物が多かったようだが、岡っ引きは、十手を預かっていて、表向き彼らが岡っ引きであることが知られていた。しかし、「鬼平犯科帳」に出てくる密偵は、そうしたアイテムはまったくもっておらず、外見はまったくの町民である。ただ、事件そのものは、実際にあったものもあるが、個々の密偵は、まったくの作者による創作であると思われる。(もっとも、ある人が密偵になったが、密偵の名簿にその名はない、というような記述があるので、そうした名簿が実際にあるのか、あるいは名簿自体が池波の創作なのかはわからない。)
 小説のなかで、密偵は3類型に分類できる。常時平蔵の命令を受けて活躍している密偵。「密偵たちの宴」に登場する6人である。(彦十、粂八、おまさ、五郎蔵、伊三次、宗平)常時登場するわけではないが、何度か重要な役割でもって登場する密偵。そして、単発的にわずかに登場する密偵である。興味深いことに、理由は多様だが、殺されてしまう、あるいは自害して死んでしまう密偵は、第二グループに多く、第一グループでは一人だけである。そして、第三グループには見当たらない。

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五十嵐顕考察11 教育費と自由をめぐって

・ 公費支出するのだから、公的機関、つまり国家組織がその使い道を決める必要がある。そういう論理がある。これをどう考えるか。
 
 最後にこの難題に答えねばならない。
 他の領域とのバランスなどを考慮する必要があるとしても、一般的に国民の多くは教育費を増額することについては、賛成すると思われる。特に現代社会では、教育は単に学校にいっている時期だけではなく、生涯必要になっているから、すべての国民にとって当事者性がある。
 
 さて、教科書無償制度が導入されたときに、それまで学校単位で使用する教科書を決めていたのに、採択区という複数の市町村が集まった単位で決めるようになった。最終的には、市町村の教育委員会が決めるわけである。(ただし、私立学校や国立の学校は、学校単位が現在でも継続している。だから、私立や国立では、ユニークな教科書が採用され、話題になることがある。)教育的には、使用する教師が選択するのが最善であるのに、何故行政当局が決定するようになったのか。表向きの理由としては、
・公費を支出するのだから、公的機関が決めるのが当然である。
・専門家が決めたほうがよい判断が可能だし、秘密が守られるので、教科書会社による営業活動(汚職)が防げる。
だいたいこのふたつが説明されていた。教科書関連の汚職は、いまでもときどきニュースになるから、理由にはならないだろう。やはり、中心は、第一の公費だから公的機関、つまり、お金をだす主体が決めるという論理の妥当性である。

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五十嵐顕考察10 教育費と自由をめぐって2

 前回、次は以下の点について考えるとした。
・ 公費支出するのだから、公的機関、つまり国家組織がその使い道を決める必要がある。そういう論理がある。これをどう考えるか。
・ もうひとつは、そもそも教科書は、誰が決めるのが、教育的に妥当なのか、という問題がある。この点を次回論ずる。
 考察する前に、無償化措置によって、教科書が改善されたかどうかについての認識を確認しておきたい。私は、確実に悪くなっていると考えている。もちろん、よくなったと考える人もいるだろう。現在の教科書はイラストや写真が多く、紙も良質で、カラフルである。しかし、私は教科書に不可欠な要素はそういうものではないと思う。豊富で重要な知識、事実、多様な見方、考える視点などが、分かりやすく提示されていることが、教科書としての質を決めると思う。現状の日本の教科書は、ぎりぎり削られたかのような重点だけの知識や事実が提示される。写真が多いことは、理解を助ける上で、一面プラスだが、そのためにスペースが必要で、そのために本文が貧弱になっている。

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五十嵐顕考察9 教育費無償と自由

 著作集のために、入稿前のファイル作成、つまり、本として印刷されたものをOCRにかけて、テキスト化する作業をずっと続けているが、生前刊行された著作(すべて論文集)は終えた。死後刊行されたものは残っているが、少なくとも生前本の形でまとめられたなかに入っている論文は、すべて一文字一文字確認しながら読んだことになる。
 その過程で、あることに気づいた。それは、教育財政学者としての五十嵐教授に、もっとも鋭い分析をしてほしいと、私は考えるテーマについての論文が存在しないことだった。それは教科書無償化に関するものである。現在義務教育学校で使われる教科書(検定教科書)は、すべて無償で配布されている。しかし、私が義務教育を受けていたときには、有料だった。無償になったのは、1962年と1963年に成立した法律によって、1963年に入学した小学校1年生から、順次1年ずつ上級学年に適用されていったものである。

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大谷の顔面への投球は

 4月24日(日本時間では25日)の試合で、大谷翔平に対して、うまくよけなければ、確実に顔を直撃する投球があった。何度もビデオをみたが、本当にきわどいタイミングでよけており、大谷の反射神経のよさを印象づけるものでもあった。あたったら、かなり深刻な事態になった可能性すらあった。
 投手が退場になるのかと思ったが、まったくそんな雰囲気もなく、審判もとくに注意したようにはみえなかった。日本なら、確実に危険球判定で退場ではないだろうか。しかし、大リーグはここらの考えが違うようだ。日本では、とにかく、頭部近くの危険な投球をしたら、危険球とみなされて、退場になることがある。しかし、大リーグでは、危険球であるかどうかは関係なく、報復死球とみなされると退場になるようだ。そうした映像を集めたものが、youtubeにあるが、投球が打者にあたったと同時に、躊躇することなく、球審は退場を指示している。そして、そのほとんどが、特に危険な箇所にあたったものではなく、あてられた打者も、特別痛がっている風でもない。つまり、危険な投球ではなく、「報復」をしたことが退場になるのだという。

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気になるアメリカの分断

 アメリカという国は、本当に不思議な国だ。確かにネイティブ・アメリカンといわれるひとたちがいるけれども、やはり、今のアメリカ合衆国をつくったのは、主にヨーロッパからの移民であり、更にアジア等も含めた移民たちによって、多様な面を含みつつ、建設されてきた。つまり、中世が存在せず、近代のみがある。そして、これまでの中核がアングロ・サクソンだったとはいえ、実に多様な地域からはいってきたひとたちが、それぞれの文化を価値観を持ち込んでいる。だから、多様性というよりも、むしろ対立した価値観が競争しているようなところがある。

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月並みだが、大谷と藤浪の違い

 ヤフーニュースが、4月21日は大谷翔平、22日は藤浪晋太郎の記事で大賑わいになったという。もちろん、大谷は称賛の渦、藤浪は非難の渦と、正反対なのだが。それぞれ単独はもちろん、二人の比較も散々に書かれ、語られている。なにしろ同じ年齢で、同時に高校野球の時代から、話題の選手であり、とにも、プロにはいって、当初はライバルであったのは事実だ。藤浪もプロの最初の2,3年は、阪神の中心的な投手として活躍したのだから。しかし、金本監督になって、まったく活躍できなくなって、そのまま大リーグに挑戦したので、大リーグで藤浪を獲得するチームがあるのか、と当初は信じられなかったほど、日本では低迷していた。それに対して、大谷は、大リーグ2年目あたりで肘の故障が見つかり、手術を受けるなど、大変な時期もあったが、それ以外は、極めて順調に成長してきた。大谷ほどの選手で、これほど、年々成長し続けている人も珍しい。二人を比べるのもおこがましいし、散々されているけれども、自分自身で重要なことを確認したいという目的で、二人の違いを比較してみたい。
 
 結論になってしまうが、すべての日常性が、二人の相違を作り出しているということだろう。

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野手が投手として救援

 普段野球中継のテレビは見ないので、当然記事で知ったのだが、ネットでニュースをみていたところ、次の記事かあった。
「江夏豊氏 “原采配”野手の投手起用を厳しく批判「果たしてそれがプロの姿なのか」」
 要するに、巨人・阪神戦で、大差がつけられたところで、原監督が、二塁手である増田を投手として投げさせたことに対して、江夏が客に対して失礼であるという批判をしているということだ。どういうことだったのか、検索してみたが、全投球をみることができる映像があったので見てみた。(URLを記入すると、youtube動画が直接出てしまうので、問題があるかもしれないと思い、記入しないことにした。「増田大輝 投手」で検索すると、見られるので、興味ある人はみてほしい)

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岸田首相へのテロ犯の主張

 岸田首相の暗殺をはかった木村隆二容疑者は、ツイッターで発信していたというので、読んでみた。「「被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟」広報」という名前で出している。現時点で削除されていない。ツイッターだから仕方ないともいえるが、あまりに主張が単純なので、驚いた。24歳で参議院議員選挙に立候補しようというのだから、もう少し緻密な議論をしているのかと思いきや、要するに、主張の羅列でしかない。その主張は以下のようだ。
・選挙権は普通選挙権があるのに、被選挙権は制限選挙になっている。
・立候補の年齢制限と供託金は憲法違反である。
・このふたつと世襲政治のために、普通の国民は立候補もできない
・外国人を日本人より優遇するのは、国賊である。(留学生30万人計画をさす)
ぐらいが、主張である。

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官僚志望が減ったのはいいことだ2

 もちろん、個人差はあるだろうが、最近の官僚をみていると、天下国家を背負って、行政に取り組んでいるというよりは、なにか、実力ある政治家にとりいること、あるいは、有利な天下り先を確保することのほうが、重要であるかのようだ。それは、ある程度仕方がない面がある。とにかく、キャリアとして入省すると、完全にピラミッド型の組織での出世競争となる。そして、上にいくにしたがって、ポストを獲得できなかった者は、外にでざるをえない。かつては、それこそ天下国家を背負う意識のある官僚は、政治家に転出する道がかなりあった。しかし、政治家の世襲化が進み、官僚からの政治家転出が狭き門になった。自民党だけではなく、野党にも官僚出身者がいることは、道が広まったというより、官僚的意識からすると、やはり、世襲化のために、政権党に入り込む余地が狭まった面が強いだろう。

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