もちろん、個人差はあるだろうが、最近の官僚をみていると、天下国家を背負って、行政に取り組んでいるというよりは、なにか、実力ある政治家にとりいること、あるいは、有利な天下り先を確保することのほうが、重要であるかのようだ。それは、ある程度仕方がない面がある。とにかく、キャリアとして入省すると、完全にピラミッド型の組織での出世競争となる。そして、上にいくにしたがって、ポストを獲得できなかった者は、外にでざるをえない。かつては、それこそ天下国家を背負う意識のある官僚は、政治家に転出する道がかなりあった。しかし、政治家の世襲化が進み、官僚からの政治家転出が狭き門になった。自民党だけではなく、野党にも官僚出身者がいることは、道が広まったというより、官僚的意識からすると、やはり、世襲化のために、政権党に入り込む余地が狭まった面が強いだろう。
当然、平均的には大変優秀であるひとたちだから、それなりの地位を求めるのだろう。そのために、官僚たちは、天下りを前提とした組織を作り出す。かなり税金が投入されて運営されていながら、とりあえず民間の組織であるような組織がたくさん作られている。そして、関連省庁のOBが順に管理職についていくわけである。このことは、ずいぶん前から指摘されていたが、改善されるどころか、そうした組織が増大しているようにもみえる。
ここでも文科省は、大きな問題となっている。天下り斡旋で、かなりの処分者がでて、大きな社会問題となったことがあるが、むしろ文科省は、天下り先を確保するために、大学行政をしているかのようにみえるほどである。
日本の科学者たちの論文が少なくなり、国際的な存在感を低下させていることが、ずいぶん前から指摘されているが、もっとも大きな問題は、大学行政に関わり始めた文科省が、大学を活性化させるのではなく、逆の政策を取り出したことだといえる。文部省の時代は、科学技術庁が別にあったために、文部省は初等・中等教育が主な行政対象だった。しかし、科学技術庁と一緒になって、文部科学省になってから、積極的に大学への関与を強め、かなり細かいことまで介入するようになった。しかし、そのことが、大学の活性化ではなく、停滞に向かったことは否定できない事実である。
国立大学を法人化し、運営資金を年々減らしてきたために、研究環境が悪化したことが、非常に大きな要因だろうが、法人化が、まったく別の意図をもってなされた、あるいは、それに気づいて、違う意図を推進してきたといえる。国立大学の時代は、学長は多くが教職員の選挙によって選ばれていた。それが、原則公選はなくなり、意向調査的に行われても、そのトップが選ばれるわけでもなくなった。そして、外部からの圧力が学長や理事長の選出に影響することが多くなった。これは、端的にいって、天下り場の確保と考えざるをえない。実際に、文科省からの国立大学への天下りが増えている。かつても出向はたくさんあったが、以前は国立大学への理事長や学長への官僚の天下りなどは、ほとんどきいたことがない。
天下ってきた理事長や学長が、その教員たちの研究をどうやって進展させたらいいか、などということは、ほぼわからないだろうし、また、そういう熱意があるとも思えないのである。そして、管理機構が、教職員の意思と離れたところで動き出せば、教職員の士気は当然低下するに違いない。そういう士気の低下と、論文数の低下が、直接結びついているとは思わないが、研究環境の悪化となっていることは間違いない。
しかし、官僚といえども、生活しなければならない。これまでのように、完全ピラミッド型の人事配置で、上にいけなかった者は外にでなければならないというシステムと、外への出方のシステムの双方を変えていく必要があるのだろう。
一般の民間会社であれば、出世できなくとも、低い地位のままで定年まで勤めることは、ごく普通に行われている。そこにも、もちろん問題があるが、官僚といえども、そういう在り方も絶対的に排除はできない。しかし、優秀である「はずの」ひとたちだから、低い地位のままて定年というのは、耐えられないに違いない。ただ、志望者が減少して、そのままいけば、優秀な人材が集まらなくなるわけだから、これまでのように、キャリア組から、官僚のトップを選ぶのではなく、アメリカのように、官僚の上位は外部から導入するという仕組みもありうる。このまま志望者が減り続ければ、そうならざるをえないともいえる。
現在、民間企業では、転職が以前よりずっと多くなっている。官僚も、民間と同じような転職をするようになることが考えられる。いまでも、自分で応募して転職する人もいるだろうが、官僚の多くは、いわゆる天下りで転職するだろう。それは、優秀な官僚の能力を最大限に活用するシステムとは思われない。天下りを想定して作られた組織が、どれだけ国全体の経済活動に寄与するかは、とても疑問だからだ。だから、そういう天下り用の組織は、できるだけ廃止して、必要な部分は民間企業が行うようにし、そして、天下りではなく、企業が募集する求人に応募して、転職する。そして、逆に民間から官僚に転職する者も当然あるべきだ。
このように、公正な転職として、官僚と民間企業が相互移動できるようになれば、別に官僚志望者が減少したとしても、何も問題ではないことになる。同一労働同一賃金と職務給の体制に、日本社会全体が漸次移行し、そうしたなかで自分の意思による転職が多くなることが、日本社会の発展のために必要なのではないかと思う。