教員の処遇改善50年ぶり?

 ヤフーニュースに共同通信配信の記事「教員処遇改善、50年ふり増額へ 月給上乗せ10%以上案」という記事が掲載されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ef3cf91cea5e893d9af2878be9e9eb439b69f7
 公立学校の教員に対しては、残業手当を支給しないかわりに、基本給4%の特別手当を支給し、その代わり、残業をさせる業務を限定するという形になっている。その4%を10%以上にあげるという案が検討されているということだ。
 私自身は、残業手当という方式も、また、この教職特別手当の方式にも賛成ではなく、別の方式を構想しているが、とりあえず、現行制度を前提に考えれば、あげることは反対ではない。近年の教職に対するあまりに不人気な状況が、文科省すら危機感をいだかせているということだろう。 “教員の処遇改善50年ぶり?” の続きを読む

原作の改変を考える2

 「セクシー田中さん」問題は、論議が活発に続いているとはいえないが、まだなされている。そのなかで、弁護士の人が書いた
『セクシー田中さん』問題で注目される「著作者人格権」 アメリカよりも強力に保護されていた原作者の権利とは?」という文章があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3692f2afbb29b64125eaf08f4624445ffc0f86
 ここで注目したのは、著作者人格権は、欧米ではあまり法律としては厳格に規定されておらず、日本のほうが厳しいというのだ。しかし、だからといって、「同一性保持権」を欧米が無視しているとは思えない。これは、当たり前の常識として守られているので、特に法で規定することではないと思われているように思われる。パロディーなど問題にならないというが、(問題にあることもあるはずだが)パロディーは、二次的創作と考えられていて、別ものだという意識なのではないだろうかと思われるのである。 “原作の改変を考える2” の続きを読む

ポリーニが亡くなった(つづき)

 向かうところ敵なし状態だったポリーニに、重大な問題が発生する。手の故障である。事情をよく知る人の話では、腱鞘炎になったということだ。そして、実際の症状よりも、精神的な焦りのようなことのほうが、大きな問題だったようだ。不運だったことは、誰にも訪れる高齢化による技巧的な衰えが始まる時期と重なったことだろう。40代後半に腱鞘炎になったとすると、それ以後、腱鞘炎を克服したとしても、やはり、再発の恐れなどに囚われるはずである。
 そうした影響が出始めたころ、ネットでは、ポリーニは練習不足だとか、怠けているなどという書き込みがけっこうあった。しかし、私からみると、練習不足などではなく、練習のやりすぎで腱鞘炎になってしまったわけだ。 “ポリーニが亡くなった(つづき)” の続きを読む

ポリーニが亡くなった

 20世紀後半を代表するピアニストの一人であるマウリツィオ・ポリーニが亡くなった。ポリーニのことは、何度もブログで書いたし、たった一度だけだったが生の演奏を聴くことができたので、そのことも触れた。生涯で聴いた最高の演奏会だった。まだ30代でバリバリの、いく所敵なしという感じのときの演奏会だった。ただし、リサイタルのチケットはあきらめていたので、N響の定期会員になった。まだ未定のときだったが、来日すれば、かならずN響に出演するに違いないと考えてのことだった。 “ポリーニが亡くなった” の続きを読む

大谷最大のピンチ?

 韓国におけるドジャースの開幕戦の最中に、とんでもないニュースが流れ、多くのニュース番組がこの問題に覆われた感じすらあった。ニュースで詳しく報じられているので、内容には触れないが、最大の問題は、水原氏の説明の逆転の真実と、それによって、大谷自身が水原氏を援助したのかということに尽きるだろう。とくに、大谷が罪に問われるのか、大リーグにおいてなんらかのペナルティを課されるのかということである。 “大谷最大のピンチ?” の続きを読む

読書ノート『国体の本義』

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。 “読書ノート『国体の本義』” の続きを読む

小学校卒業文集廃止の動きについて


 確かに、これまでは卒業文集なるものを作成するのが普通だった。少なくとも小学校においては。中学校や高校ではなかったと思うし、大学では当然ない。しかし、小学校でも卒業文集を廃止する動きがひろがっているのだそうだ。
「小学校で広がる 「卒業文集」廃止の動き 背景に先生の業務過多も保護者たちの反応は?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d199210f44f58bc44436695de04f3a856d05ffc5

 結論からいえば、廃止はごく自然なことだと思う。 “小学校卒業文集廃止の動きについて” の続きを読む

PTAからの卒業記念

 PTAから卒業生に記念品を贈る慣習は、いまでも残っているようだ。大分前(10年以上前)に、大きな議論になったことがあった。それと同じ議論が繰り返されているのだが、その結論に関しては、多少の力点の変化が起きているようだ。 “PTAからの卒業記念” の続きを読む

最近のウクライナ情勢を考える

 ウクライナの状況が厳しいことが、かなり頻繁にいわれるようになり、領土をロシアに一定割譲しても、和平をすべきではないか、という意見が、日本だけではなく、ウクライナ内部においてもでているように報道されている。そして、ウクライナでも最高軍司令官が交代になるなど、ウクライナを支援するひとたちにとっても、全面的に信頼していいのだろうかという要素もでてきている。
 ただ、これまでの支援する側の対応をみている限り、ウクライナが苦戦することは、ごく当たり前のことであり、支援する側が、支援の姿勢をかえることで、現状をかなり打開できることも間違いないのである。そして、ウクライナがロシアに領土を割譲するような状態で停戦すれば、つまり、ロシアが政治的にも軍事的にも勝利するようなことがあれば、その国際的な影響は測り知れないものがあり、真の意味で第三次対戦を誘発する要因にもなりえるのである。 “最近のウクライナ情勢を考える” の続きを読む

原作改変を考える1 オペラの場合

 「セクシー田中さん」の問題から、原作改変について、私のよく知る分野で考えてみたいと思った。というのは、私が最も好きな芸術であるオペラこそ、この改作が最も酷い状況にあると思われるからである。オペラになじみのない人がまだ多いと思うが、近年上演されるオペラのドラマの要素を、原作に忠実に演出されることのほうがめずらしいといえる。極端な例では、まったく時代も登場人物も粗筋も変わっている場合すらある。そして、どこまで許され、あるいは許されないのか、改作の結果どうなっているのか、といろいろと考えてみたい。

 まずオペラで改作が普通になっているのには、明確な理由があると思う。それは、オペラの新作があまりなく、あったとしても人気を獲得するオペラは、皆無といっていい状況だからである。いわゆる人気オペラと一般に認められる作品の最後は、リヒャルト・シュトラウス作曲の「ばらの騎士」だといわれている。これは、1911年に初演されているので、100年以上前のことになる。つまり、100年にわたって、人気オペラは登場していないのである。新作オペラが上演されても、だいたい新演出に到るものは極めてかぎられている。つまり数年経過しても、なお上演されており、新しい演出で再登場するということは、近年の新作オペラではきいたことがない。アルバン・ベルク、バルトーク、ストラビンスキー、ショスタコーヴッチ、その他わずかな作曲家のオペラが、継続して演じられているが、ポピュラーな人気オペラとはとうていいえない。 “原作改変を考える1 オペラの場合” の続きを読む