戦争の反省の難しさ 内原郷土史義勇軍資料館

 昨日、水戸市にある内原郷土史義勇軍資料館をみてきた。家を出るときには、同じ水戸市の県立歴史記念館にいくつもりだったのだが、途中で昼食をとり、さて行こうと車で運転しているときに、その看板が見えたので、ちょっと寄っていこうかということになった。偶然入っただけなのだが、かなり興味深かったので、時間をかけて見ることになった。そして、県立歴史記念館にはいかないまま帰宅した。
 
 感想は、少々否定的なものだった。実に詳細に、こまかなところまで資料を集め、わかりやすく展示していたのだが、その基本的立場に、どうしても納得できなかった。
 どういうところかというと、もともと内原の国民高等学校があったところだった。国民高等学校といっても、知らない人がほとんどだと思うが、戦前、デンマークのホルケホイ・スコレにならった、青年のための学校で、正規の学校体系ではないが、義務教育後の学校に行けなかった者や、もっと勉強したい人のために、おもに職業教育的な授業をしていた学校で、全国にあった。宮沢賢治は岩手の国民高等学校の教師をしていたのである。

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ノート『天災から日本史を読みなおす-先人に学ぶ防災』磯田道史(中公新書)

 イタリアの歴史哲学者クローチェの有名な言葉に「あらゆる歴史は現代史である」というのがある。本書は、歴史書でありながら、現代史、あるいは未来史ですらあると感じさせる書物である。著者である磯田氏自身が、将来起きるかも知れない自然災害に、どう対処したらよいのか、それを今から準備するために必要なことを、歴史から学ぶという視点を貫いている。しかも、歴史的文書を丁寧に調査し、吟味しながら、当時の災害の起こり方、人々の対処のよかったこと、まずかったことを整理している。そして、ある災害には、こうしたことが必要だという教訓を、説得的に引き出している。最近、これほど役に立った感じを受けた本はなかった。

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忠臣蔵の新説?

 昨日(12月14日)は、いわゆる忠臣蔵で討ち入りを実行した日だ。最近は、この日にちなんで話題となることもほとんどないようだが、私が子どものころは、まだ東映の時代劇全盛時代で、毎年正月映画は、忠臣蔵と決まっていた。毎年、内容が大きく変わるわけもないが、ただ俳優か変わるので、今年の大石蔵之助は誰がやるのか、などという話題で、けっこう盛り上がっていた。私は、片岡千恵蔵の大石しか記憶にはないのだが。小学生のころは、ほぼ毎年新年に、近くの三軒茶屋の映画館に見にいっていた。
 忠臣蔵というのは、実際に起きた赤穂浪士による復讐劇にを因んだ芝居の題名だ。最近はいささか事情が違っているだろうが、日本人にとっては最も有名な歴史の一コマだった。題名が示すように、主君が切腹になった無念を晴らすために、浪人となった家臣たちが、苦労の末、敵討ちを果たすという、「忠臣」の物語である。しかし、史実を含めて、その解釈についても、見解が分かれており、実際のところはわかっていないことが多い。

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8月15日に思うこと

 今日は「終戦記念日」ということになっている。しかし、日本が正式に終戦に至ったのは、8月15日ではない。9月2日、ミズーリ号での休戦協定を結んだ日である。事実、8月15日をもって、日本軍の軍事行動は止んだが、連合国には、まだ戦闘行為を継続している部隊があった。とくに、ソ連軍は日本人たちに対する攻撃をやめてはいなかったのである。すべての連合国軍が戦闘をやめたのは、日本が正式に降伏文書に署名した9月2日である。
 では、何故、日本は8月15日を終戦の日として、教科書や公式の行事として認定しているのか。それは、さまざまな解釈があるだろうが、戦争を終わらせたのは、天皇の意志であるという認識を確定させるためだと、私は思う。8月15日に行われたのは、天皇が前日録音した「玉音放送」が流したことだ。その趣旨は、結論としてはポツダム宣言を受け入れたと、国民に対して公表することだった。その他には、大東亜戦争は、アジアの解放のためだったとか、連合軍の虐殺が激しくなったので、日本の将来を考えたとか、いろいろなことを言っているが、要するに、これは、日本が降伏したことを、連合軍に伝えたと、国民に知らせたメッセージであり、「戦争か終結」したことを、正式に知らせる文書ではないのだ。実際に見たこともない人が多いかと思うので、文末に全文を掲載しておこう。

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本能寺の変の謎について

 youtubeで本能寺の変についての諸説を解説する映像をみた。簡潔にまとまっていて面白かったが、結論としては、結局どの説がもっとも説得力があるのかは、まったくわからず、すべての説が問題あり、という感じになっている。そして、最後には、本能寺の変をあまり重大に扱うことこそが、問題だなどという説まで出てくる。最近は、あまり読まないが、若いころは信長ネタを大分読んでいたので、遊び心になるが、現在の私の「印象」を書いておきたい。専門家ではないので、詳細な資料を読んでのことではないし、気楽な印象だが、たまにはいいだろう。
 youtubeでは、大きく怨恨説と黒幕説にわけ、それぞれ細かくわけていた。私は、怨恨説はどれも間違いであるように思う。そもそも、ほとんど無名の侍だった光秀が、大名にまで取り立てられているのだから、不満をもつのも妙だし、家康の供応の不始末とか、比叡山の焼き討ちに反対したとか、領地を召しあげられたとか、そういう怨恨説の根拠は、いずれも否定されているし、また、そんなことを起きるのか?という、疑問だらけの根拠だ。

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