昨日、水戸市にある内原郷土史義勇軍資料館をみてきた。家を出るときには、同じ水戸市の県立歴史記念館にいくつもりだったのだが、途中で昼食をとり、さて行こうと車で運転しているときに、その看板が見えたので、ちょっと寄っていこうかということになった。偶然入っただけなのだが、かなり興味深かったので、時間をかけて見ることになった。そして、県立歴史記念館にはいかないまま帰宅した。
感想は、少々否定的なものだった。実に詳細に、こまかなところまで資料を集め、わかりやすく展示していたのだが、その基本的立場に、どうしても納得できなかった。
どういうところかというと、もともと内原の国民高等学校があったところだった。国民高等学校といっても、知らない人がほとんどだと思うが、戦前、デンマークのホルケホイ・スコレにならった、青年のための学校で、正規の学校体系ではないが、義務教育後の学校に行けなかった者や、もっと勉強したい人のために、おもに職業教育的な授業をしていた学校で、全国にあった。宮沢賢治は岩手の国民高等学校の教師をしていたのである。