8月15日に思うこと

 今日は「終戦記念日」ということになっている。しかし、日本が正式に終戦に至ったのは、8月15日ではない。9月2日、ミズーリ号での休戦協定を結んだ日である。事実、8月15日をもって、日本軍の軍事行動は止んだが、連合国には、まだ戦闘行為を継続している部隊があった。とくに、ソ連軍は日本人たちに対する攻撃をやめてはいなかったのである。すべての連合国軍が戦闘をやめたのは、日本が正式に降伏文書に署名した9月2日である。
 では、何故、日本は8月15日を終戦の日として、教科書や公式の行事として認定しているのか。それは、さまざまな解釈があるだろうが、戦争を終わらせたのは、天皇の意志であるという認識を確定させるためだと、私は思う。8月15日に行われたのは、天皇が前日録音した「玉音放送」が流したことだ。その趣旨は、結論としてはポツダム宣言を受け入れたと、国民に対して公表することだった。その他には、大東亜戦争は、アジアの解放のためだったとか、連合軍の虐殺が激しくなったので、日本の将来を考えたとか、いろいろなことを言っているが、要するに、これは、日本が降伏したことを、連合軍に伝えたと、国民に知らせたメッセージであり、「戦争か終結」したことを、正式に知らせる文書ではないのだ。実際に見たこともない人が多いかと思うので、文末に全文を掲載しておこう。

 さて、終戦記念日に、繰り返し考えることは、権力者、特に独裁的な権力者は、国民の命などまったく気にしていないということだ。そのことを強く感じるのは、東京大空襲に関してだ。東京の市街地のほとんどは焼け野原となり、一夜の空襲で10万人以上が死んだといわれている。にもかかわらず、政府は戦争をやめず、その後無謀な作戦を繰り返し、最終的には二度の原爆投下、そして、ソ連参戦による大量の戦死と捕虜という事態を引き起こすまで、戦争をやめなかった。
 東京大空襲を、単に被害の大きさで考えるべきではない。私が驚くことは、この空襲の前に、アメリカは、飛行機数機を飛ばして、東京上空を偵察し、しかも、かなりの低空飛行をして、爆撃すべき場所を調査していたのである。そうした飛行機を目撃した記録もけっこう残されており、しかも、操縦するアメリカ兵の顔がみえたとする証言もある。偵察機に対抗措置が取られた形跡すらない。そのことの意味することは、日本は首都の制空権を完全に失っていたということだ。実際に爆撃されているときには、高射砲で撃ち返す程度のことはしたのだろうが、真昼の偵察に何ら手をうてないということは、何故だろう。偵察されていたことに気づかなかったという可能性もあるが、それはそれとして、既に戦争に負けていることをしめしている。つまり、この3月の時点で、日本は完全に戦争に負けていたことが、日本人にとってもはっきりしていたのだ。しかし、このあと、天皇は、もう少し戦果をあげてからの降伏を模索するように指示したといわれている。つまり、完全に首都の制空権を失って、事実10万人もの民間人が殺害されても、戦争を終結するほどのことではないと考えたわけである。
 これが「権力者」というものなのだと思わざるをえない。
 現在のコロナ禍で、多くの死者がでても、菅首相や小池都知事は、深刻に受けとめているようには思えない。そして、いくつもの対応策があるにもかかわらず、それをずっと無視してきた。菅首相が推進しているワクチンは、それなりの効果があるが、それだけでは済まないことは、明らかになっているが、その他のことは、ほとんどやろうともしない。戦争終結時に権力者が真剣に考えたのが「国体護持」だったように、現在の政府首脳が考えているのは、政権の維持なのだ。
 もちろん、すべての政治家がそうだというのではない。国民のことを考えている政治家がいることは間違いないだろう。そういう人を選挙で選ばねばならないという思いを、この終戦記念日には、改めて確認したいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です