オランダ留学記6 オランダ人の生活

 オランダは、非常にユニークな国だ。オランダが発祥となった社会システムもたくさんある。新しいところでは、安楽死やソフトドラッグ、同性婚の合法化など、そして、古くは、株式会社、自由刑、先物取引など、その後世界で普通のことになっている制度がいくつもある。そして、ユニークさは、こうした点だけではなく、オランダで生活してみると、いろいろとあることに気づいた。今回は、そうしたユニークと感じた生活の姿を紹介する。
 オランダにきて、なんとなく気づいたことは、オランダ人の生活はゆったりしているということだ。私が住んだ地域が、特にそうだったのかも知れない。移民が多く住んでいるような地域は、様相が異なっていただろうが、それは10年後に再度オランダに留学したときに感じたことだった。

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オランダ留学記5 ライデン大学での講義

 オランダ留学といっても、大学教師としての留学なので、特別なノルマなどはない。好きなようにやっていいわけだ。漱石は大学の講義に出ても得るところはないということで、家で勉強していたようだし、矢内原忠雄も、場末を歩き回って、地域の状況を知ることに努めていたという。私は、もちろん二人のような人物ではないが、留学の目的は、子どもを現地校にいれて、現地校をできるだけなかから知ることと、子どもたちの変化を見ることにおいていたので、ライデン大学の講義は、私を招待してくれたラケト教授の日本近代史のみ聴講した。この講義に関しては、私が親しくして、いろいろと教えてもらっていた学生が、この講義をとっていて、この講義の試験勉強に関して、質問に答えてあげたら、それがずいぶんと役に立ったらしく、成績優秀者として張り出されたと喜んでいたというようなこともあった。やはり、大学の講義といっても、予備知識のない段階で聞くわけだから、表面的な理解に留まっており、何の問題であったかは忘れてしまったが、多面的に考えるように、具体的なことを提示して教えてあげたことが、偶然問題に出て、いい答案を書けたようだ。

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オランダ留学記5 学校選択2

 オランダでの生活も順調に進み、子どももオランダの学校に慣れてきた時期のことである。いくつもの学校を訪問して、確かに、オランダにはいろいろな種類のが教育スタイルがあるのだということを実感していった。しかし、制度というものは、100%すばらしく機能するということはない。制度も悪用すれば、まずい結果が生じるし、多様な教育に応じるといっても、完全に要求に則した多様な学校を設立できるわけでもない。また、多様な教育に分かれていては、国民的なまとまりが形成できないではないかという、選択に否定的な意見だってある。「教育の自由」や「学校選択」について、国民のほとんどは賛成しているが、具体的に問題が生じることもあるし、また、意見か分かれることもある。そうした紛争ともいうべき事態を紹介した文章である。
 
----(以下通信)
23 学校選択をめぐる紛争
                                            93.4.1
 
 確か昨年の秋に、義務教育に関する論争がここであったと思います。実はそのログは、丁度そのとき日本に一時帰国したので、日本でとり、こちらに持ってきていないので、内容を確認することができないのですが、なにかまだ中途半端で終わった感じがしています。何人か書いていたと思うので、出来たら続きをしてほしいと思っています。

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オランダ留学記1992~93 4 オランダの大学

 私の海外研修の主たる目的は、自分の子どもをオランダの現地校にいれて、オランダの教育を生で知ることだったから、調査の主力はそちらだったが、当然大学から派遣されて、大学で学んでいるのだから、大学の在り方には注意を払った。ただ、大学というのは、日本でも同様だが、非常に大きく、かつ多様な組織だ。働いているひとは数百しかいなくても、学生は一万を越える場合が少なくないし、領域が広い。
 私が所属していたのは、オランダで最も古いライデン大学で、日本学科にいたが、いろいろなところから、留学生が来ている、実に国際色豊かなところだった。留学生の部屋にいたのだが、地域の政治状況を反映して、国内の対立が持ち込まれて、激しい喧嘩が起きることなどもあった。とくに中国人留学生に、そうした争いが目立った。政治的な弾圧から逃れてきたひとと、体制に忠実な学生が同居しているわけだから、争いごとも当然なわけだった。
 さて、「大学」といっても、日本とヨーロッパでは、その意味するところが異なる。ヨーロッパで「大学」というときには、基本的に修士課程までを含むことが多く、卒業によって修士となる。オランダはその典型である。それに対して、日本の四年制大学は、オランダでは高等専門学校と呼ばれていて、職業的な専門教育を行うところである。小学校の教師養成は、高等専門学校で行われている。つまり、高等教育機関として、修士を取得させる大学と、学士を取得させる高等専門学校があり、その入学資格も異なる。
 このことでわかるように、オランダの大学はエリート教育機関である。当時の進学率は、まだ10%程度であった。それでもかなり増加していたくらいだ。そして、学生には全員給付制の奨学金が支給されていた。何故、全員に支給されているのかは、説がふたつあるようで、実際のところはわからない。あるとき力関係でそうなったので、継続しているという側面もあるだろう。

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オランダ留学記1992~93 3 ドイツにおけるトルコ人襲撃

 大分前に書き始め継続して書くつもりだったが、頓挫していたこの連載をまた書くことにした。今度こそは、最後までいきたいと考えている。
 前回までは、とりあえず住居に落ち着き、子どもたち二人を公立の小学校にいれつつ、オランダに留学した当初の目的である「学校選択」についての通信をだしたところまで書いた。そうして、やっと落ち着いて、学校生活の様子などを知るようになった矢先に、大きな事件がとなりのドイツで起こった。
 1989年11月10日にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年10月3日に東西ドイツが統一された。そして、1992年の秋は、翌1993年1月1日のEU発足の直前であった。このように書くと、当時のヨーロッパが、非常に発展的で好ましい状況だったと考えがちであるが、そういう一面があると同時に、かなり緊張した事件も多発していた。東西ドイツが統一されたことは、東ドイツから大量に西に人口移動が生じたことになるし、とにかく、東ドイツは西に比較して、非常に貧しかったから、統一といっても、極めて困難な事業だったのである。そうしたことを背景に、ネオナチの勢力が増大し、各地で暴力事件を起こしていた。

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オランダ留学記92 学校選択システム

いじめ自殺からオランダに関心
 私がオランダに興味をもったのは、日本で当時(1980年代)いじめによる自殺が大きな社会問題になっていたことがきっかけだった。自殺してしまった例を見ると、実は、学校が充分に対応してくれないから転校してしまった、別のいじめの被害者がいたということが少なくない。ならば、自殺する前に転校してしまえばよかったのにと思い、自由に学校を変えられる国がないかと探していたところ、オランダがそうだとわかったのが、最初のきっかけだった。
 その後、オランダのことをいろいろと調べていく内に、オランダのユニークな魅力にすっかり虜になってしまったが、それはおいおい述べることにする。 “オランダ留学記92 学校選択システム” の続きを読む

オランダ留学記92 1到着と学校入学

(これまで書きためたり、発表してきた文章をまとめて公刊していくことにしました。Kindleを考えています。そこで、ここに登校しながら、原稿の整理をしていくつもりです。まず第一に二度オランダに留学したときの、日本への送信(ニフティ)を材料にして、書いていく予定です。なお太字の部分が、当時日本に送った文章です。)

はじめての外国

 香港、パリの空港を経由して、アムステルダムのスキポール空港についたのは、1992年8月12日だった。26時間の長旅だった。真夏だったが、朝8時に到着したからか、ずいぶんとひんやりしていた。ライデン大学日本学科の?さんが車で迎えにきてくれて、そのまま予約したホテルに直行した。本当はこんな朝早い到着の客などないのだが、そこは快く受け入れてくれて、部屋に。普通のホテルのイメージとは全くちがって、かつての裕福な家をホテル用に改装したもので、ライデンから、これから住むことになるウーフストヘーストあたりには豪邸が並んでいる。しかし、家族が住んでいる家はほとんどなく、税金が高いので手放してしまい、企業の事務所や分割した住居になっているのがほとんどだそうだ。だからこのホテルも昔風の家の作りで、落ち着いてはいるが、床がみしみし音がして、ちょっとタイムスリップしたような感じだ。
 まず初めにやらなければならないことは、大使館と市役所にいって手続きすることだ。市役所の手続きはよくわからないので、引っ越してからということにして、早速ハーグの日本大使館にでかけた。大使館といっても、ちょっと大きめの一軒家という感じで、お金持ちの友人宅を訪ねるような雰囲気だったし、非常に態度が悪いと脅されていた大使館員の人も、まあ親切で、特に面倒なこともなく手続きが終了した。
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