オランダ留学記5 ライデン大学での講義

 オランダ留学といっても、大学教師としての留学なので、特別なノルマなどはない。好きなようにやっていいわけだ。漱石は大学の講義に出ても得るところはないということで、家で勉強していたようだし、矢内原忠雄も、場末を歩き回って、地域の状況を知ることに努めていたという。私は、もちろん二人のような人物ではないが、留学の目的は、子どもを現地校にいれて、現地校をできるだけなかから知ることと、子どもたちの変化を見ることにおいていたので、ライデン大学の講義は、私を招待してくれたラケト教授の日本近代史のみ聴講した。この講義に関しては、私が親しくして、いろいろと教えてもらっていた学生が、この講義をとっていて、この講義の試験勉強に関して、質問に答えてあげたら、それがずいぶんと役に立ったらしく、成績優秀者として張り出されたと喜んでいたというようなこともあった。やはり、大学の講義といっても、予備知識のない段階で聞くわけだから、表面的な理解に留まっており、何の問題であったかは忘れてしまったが、多面的に考えるように、具体的なことを提示して教えてあげたことが、偶然問題に出て、いい答案を書けたようだ。

 これとはまた別に、私自身が、ライデン大学の学生にちょっとした講義をすることになった。その間は、準備に忙殺され、ニフティへの報告もあまりしなかったくらいだった。もっとも、準備といっても、オランダ語でやることにしたので、日本語で講義原稿をつくって、それをオランダ語に訳すことに、多大の時間を使ったわけだ。英語でやるという手もあったが、せっかくオランダ語を勉強して、留学のためにやってきたわけだからというので、かなり無理だとは思ったが、何人かの学生が翻訳をみてくれて、なんとか乗り切った。もちろん、オランダ教育の研究をするのだから、オランダ語の文献を読むことは、不自由なくできる程度には理解していたが、会話や作文はかなり次元の違うことだ。日本にいても、読む訓練はできるが、会話の訓練や作文の訓練は、ほとんど不可能に近い。いまでは、インターネットが普及しているし、様々な双方向的な学習ソフトが手軽に入手できるが、当時はまだインターネットが普及する以前だったから、難しかったのだ。
 オランダ語と言うのは、勉強した人にはわかるのだが、要するにドイツ語の方言のようなもので、方言はどこでも、正規の文法からは多少外れるような表現が多い。ドイツ語はきっちりした言語なので、辞書を綿密に調べれば、やっかいな表現でもだいたいは意味がわかるが、オランダ語は、日本で利用できる辞書が不備である上に、慣用表現が多く、それを知らないと、まったく意味が理解できないことが多い。だから、オランダ語訳は、さらに難しい。私のように、あまり語学が得意でない人間には、本当にきつい作業だった。私の書いたオランダ語が、「ちゃんと意味はわかります」と助けてくれた学生は言っていたが、努力賞ということでいいだろう。
 以下の報告では、ラトケ教授に臨席してもらい、質問などを通訳してもらう予定だったが、翻訳を手伝ってくれた学生が通訳もやってくれた。
 終了したあとの報告は以下のようなものだった。
 
351/628 GEC01342 WAKEI       オランダ通信18
(19) 93/02/23 06:00
 
オランダ通信18 ライデン大学での講義
 前回書いたように、この間ライデン大学での講義のために、ちょっと地獄のような生活をしていました。
 私はオランダにオランダ教育について勉強しに来たのですが、いろいろの事情で、ライデン大学の日本学科にお世話になっています。そこのラトケ教授という人に(この教授のおかげでオランダに来ることができたのですが)特別講義をしてくれないか、ということで、昨年の12月に引受け、この2月と3月に行う予定で、ずっと準備をしていたのです。ところで、オランダという国は、オランダ語を使わなくても生活できる国であるだけではなく、実にオランダ語を使うことが難しい国でもあります。
 何度も書くように、ほとんどの人が英語ができるので、用事は英語ですませようという雰囲気があるわけです。
 それで、オランダ語が一向に向上しないので、オランダ語で講義することにしたのです。もっとも討論は無理なので、ラトケ教授に通訳をしてもらうということにしました。
 それではあまりに妙なことになると思うので、3、4年生のために日本語での講義も行うことにして、今回オランダ語の講義が3回分終了しました。
 ここにオランダ語をアップしても仕方ないし、また日本語でアップしても、内容自体は特に日本人にはめずらしいことでもなく、ごく単純なことなので、それもやめておきます。
 内容は1回目が、地域社会の変化の中で、教育自体が非常に困難になっている状況を、女子高校生監禁殺人事件を素材にして話しました。犯罪もそうですが、家族がそれを知らなかったとか、近所も気づかなかった、少年たちは沢山知っていたのに、誰も知らせなかった、などという地域特性が、何故生じたのか、というようなことを話しました。
 これはとても大きな印象を与えたようです。
 そして、家庭内暴力や地域的無関心という状況は、オランダでもあるそうです。
 ただ、オランダでの状況として異なるのは、少年の犯罪はほとんど新聞などの報道の対象とならないので、それほど犯罪自体が知られていないので、どのような犯罪があるかは、十分にはわからないということでした。何か事件があると、昼間のワイドショ-でしつこい位に報道される日本とは、大変違います。オランダのテレビは昼間はやっていないので、日本のような番組はありません。
 いじめもオランダであるということでした。
 2回目は選抜問題で、主に偏差値のことになりました。
 これも何度も紹介したように、オランダでは偏差値などのような選抜方式は全くありません。大体は個人の希望が尊重されるようになっていることと、復活ル-トがあるので、それほど深刻ではないようです。ただ、オランダ語の訂正をやってもらった学生は、はじめ中等学校の3番目の類型に入って、段々復活戦で大学まで行ったので、通常より3年も遅れてしまい、とても無駄をしたと怒っていたので、必ずしも皆が賛成しているのではないのです。結局偏差値というのは、どうも理解が困難なようでした。私の説明も不十分だったようですが。
 家庭全体で入試競争に取り組むような感じで、家庭の問題は生じないのか、という質問がありましたが、成績によってや、家庭の状況で異なることを説明したのですが、その中で、優秀な生徒の家庭で、特に父親が忙しいビジネスマンで普段家に居なかったりすると、母と男の子の間の、母子密着の問題が生じ、テレビでマザコンの番組が人気があると、説明したところ、マザコンはオランダでも大変多いそうです。新婚旅行先から母に相談の電話をする男がいるという話をすると、オランダでも同じだということで、思わず笑いました。しかし、原因は異なるはずですね。
 3回目は、企業内の教育の話をしました。ごく入門的な話だったのですが、彼らの興味は企業内教育よりは、むしろ解雇に関する質問ばかりのようでした。
 こちらでDAFという大きな会社が、3000人解雇するという話が現在進行中なので、特に話題になりました。
 ということで、あまり大した話ではないのですが、この間あまり書かなかった事情説明ということで、報告しました。
 外国語に関しては、会話が重視されますが、「書く」というのも、大変難しいと思いました。話すのは、間違いがあってもあまり気にせずに話していきますが、文章は、間違いに大変こだわるし、表現の適切性などを問題にするし、また会話では分からなければその場で確認できるのに対し、文章ではそういう疑問が起きないようにする必要があるということで、また違った困難さがあるのですね。
 とくに講義などというレベルでの文章になると、本当に大変な思いをしました。----(以上)
 
 何を話したかは、作文したものが残っていないので(当時はオアシスのワープロ専用機で処理していたので、変換できないまま廃棄してしまった。機器の大きな変換は今後も起きるだろうから、ファイル変換もきちんとしておく必要があると痛感している。)、正確な内容は覚えていないが、いくつか議論になったことを記しておきたい。
 オランダ人の学生が最も驚いたことは、日本人の労働のすさまじさだった。当時はやっと「ゆとり」教育がはじまったころで、ゆとり教育は、日本人の労働時間が長すぎるという国際的非難に応えたものだったことでわかるように、当時の日本人は、まさしくエコノミック・アニマルというすさまじい働き方をしているひとがたくさんいた。
 近所の人の夫が、毎日、家族が全員寝てしまった後帰宅し、今のソファーに就寝し、朝はみなが起きる前に出社してしまうので、ほとんど家族と顔を合わせることがない、その女性は、毎晩帰宅する人が、本当に夫なのか、ときどき疑問に思うことがある、という話をしたら、とにかく、全員びっくりしていた。統計をみればわかるが、オランダ人は国際的にみても、労働時間が最も短い国民である。私が滞在していたとき、ほとんどの近所のひとたちは、5時か6時には帰宅していた。そして、有名になっていたワークシェアリングを活用して、夫婦のどちらかが働くような、家事分担どころか労働分担をしている夫婦もいた。
 その発展として、金銭に余裕があると、オランダ人は旅行に費やすようだが、日本人は子どもの教育費に使うという話をした。最初は、いかにもオランダ人は教育熱心ではないと、批判的に言われたと解釈して不快そうだったが、日本人の教育費というのは、学校教育だけでは不十分だと思って、塾とか家庭教師という、本来は不要な学習に使わざるをえない状況なので、それは確かに表面的な学力をつけるが、勉強嫌いを生んでいて、よいことではないのだ、塾にいくより、旅行にいったほうが、広い意味での勉強になると説明することで、納得されたようだ。
 この講義のあと、一人の女子学生が訪ねてきて、日本にはディスレクシアの子どもたちはどのくらいいるのかという質問をされた。不覚にもディスレクシアという言葉を知らなかったので、説明してもらうと、ヨーロッパには、アルファベットの文字を目で追うことはできるのだが、意味がわからない子どもがいるのだが、そういう状況をいうとことだった。実は、いまでも日本のディスレクシアの正確な状況はわからないし、実態も指導法も明確ではないように、私には思われる。というのは、日本では平仮名は一対一の表音文字だから、文字を追い、発音できれば、意味はわかる。少なくとも会話が通常通りできれば。ヨーロッパでは、表音文字ではあっても、文字の固まりは、別の発音になるから、文字をk-n-o-wと追えても、その言葉の読みと意味には直結しない。その関連が認識できないのがディスレクシア(識字障害)だろう。通常の会話ができても、そうした現象が起こりうる。
 他方、日本には修得の難しい漢字があり、漢字は読み、書き、意味をそれぞれ覚えないと理解できない。だから、文字表記とその言葉の音と意味の関連などにいく前に、知識としての漢字を覚えなくてはならず、読めない、書けないというのは、練習が足りないというように理解され、識字障害とはあまり認識されないのだと考えられる。現在ネットで確認しても、様々な見解があり、やはり日本の文字構成上の特異性と、ヨーロッパで認識されている学習障害としての識字障害ディスレクシアとは、少しずれがあるように思われる。日本では学説が分かれているとされている。
 そのようなことを考えさせられたライデン大学での講義だった。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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