オランダ留学記6 オランダ人の生活

 オランダは、非常にユニークな国だ。オランダが発祥となった社会システムもたくさんある。新しいところでは、安楽死やソフトドラッグ、同性婚の合法化など、そして、古くは、株式会社、自由刑、先物取引など、その後世界で普通のことになっている制度がいくつもある。そして、ユニークさは、こうした点だけではなく、オランダで生活してみると、いろいろとあることに気づいた。今回は、そうしたユニークと感じた生活の姿を紹介する。
 オランダにきて、なんとなく気づいたことは、オランダ人の生活はゆったりしているということだ。私が住んだ地域が、特にそうだったのかも知れない。移民が多く住んでいるような地域は、様相が異なっていただろうが、それは10年後に再度オランダに留学したときに感じたことだった。

 最初の文章は、シンタ・ニクラス祭に関することだ。世界の多くの国では、クリスマスを12月25日に祝う。日本のように、キリスト教国家ではないところでも、そうした習慣が広まっている。しかし、ヨーロッパのいくつかの国では、シンタ・ニクラス祭として、12月5日を祝うことになっている。クリスマスも、もちろん別途ある。シンタ・ニクラスというのは、小アジア地域から出た聖職者で、貧しいひとたちを助けたとか、様々な伝説があるが、サンタクロースの起原とされている。しかし、現在では、フィンランド発祥のサンタクロースが、となかいの引くソリでやってくるほうがポピュラーになっている。オランダでは、サンタクロースの姿で登場するのは、12月始めのシンタ・ニクラスであって、黒人ドレイのピットを連れて、スペインから船に乗り、オランダに着く。そういうプロセスが毎日のようにニュースになって、オランダに到着すると、各学校を回って、プレゼントを渡していくのである。そして、町中にシンタニクラスに扮した人たちが溢れるのも、驚きだった。そして、彼等は各戸を回って、お菓子を配ってあるいていく。
 25日のクリスマスは、別の行事がオランダでは行われるようだ。それは、通信にも書いてあるように、家に集まって一年のふり返りを、詩に読み込んで披露しあう習慣である。ヨーロッパの文豪などの話を読むと、発表前の原稿を家族の前で朗読してみせるということがよく出てくる。例えば、トルストイが『戦争と平和』の最初の部分を書いて読んで聞かせたとき、モデルになっている人物をみんなであてあったそうだ。今でもそうした習慣が残っているのかどうかはわからないが、市民のなかに、クリスマス行事として残っているのかも知れない。
 
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(19) 92/12/23 06:19
オランダ通信9
 12月のオランダでは、シンタ・ニクラスの祭りで埋めつくされている感じです。これはオランダとベルギ-の一部に独特の祭典なのだそうで、12月5日が祭りの当日なのですが、サンタ・ニクラスとツバルト・ピッツという黒人何人かが街や住宅や学校を回るのです。そして、多くの世界の国と同じクリスマスの季節がやってきて、つまりオランダではクリスマス的な祭典を12月に2回するのです。
 この祭典を見ていると、労働と余暇の問題を考えさせられます。
 オランダでは、シンタ・ニクラスの祭典のときには、少なくとも多少教養のある人たちは、近所で集まって詩を披露するそうです。それには、1年の主なできごとが読み込まれていて、それを楽しく可笑しくうたいあげ、重要なことはきちんと韻を踏んだ形式にまとめあげ、それを読まれた当人に捧げるということなのです。そうして家族や近所の人々と楽しくすごすわけです。
 こういう時には、ヨ-ロッパの言語は「聴覚言語」だということを、とても実感します。日本では「詩を作り、朗読して楽しむ」とうい習慣をいつの時代に捨てたのでしょうか。今でもある人達は楽しんでいるのでしょうか。
 このオランダの風習は、今でも相当広範囲に楽しまれていることは確かなようです。
 それから、シンタ・ニクラスです。
 明らかに中年の男性が、大勢シンタ・ニクラスになって子どもの学校や家庭を訪れて、子どもたちを楽しませるのです。今年は実は5日が土曜日なので、学校は休みの関係で、4日に繰り上げてシンタ・ニクラスの祭典が行われていました。とういうことは、常に平日に行われているのです。彼らは仕事を休んで参加していることは、疑いありません。大体オランダという国は、子どもの誕生日には、父親はどうどうと「子どもの誕生日」とうい理由で会社を休むのですから、シンタ・ニクラスに扮して学校まわりをするとなれば、仕事を休むことなど当然すぎることでしょう。
 ライデン大学に日本の大学院生がホイジンガの研究に来ています。ホイジンガが「遊び」を中心とした概念を提起したのは、ナチとの関係が問題になってきた時代なのだそうで、実はそこらをよく知らなかったのですが、彼によると、ホイジンガはナチへの対抗理論として、遊びを考えた、という解釈をしたいようです。
 私の知る限りでは、労働者が「余暇」を楽しむことを権利として認めさせ、実際に仕事から解放されて、余暇を楽しむ体制を認めさせたのは、フランスの人民戦線内閣のときが最初だったと思われます。(違っていたら、知っている人教えてください)
 それが1936年からの数年間、ホイジンガが「ホモル-ベンス」を発表したのが、1938年だそうで、いうまでもなくミュンヘン会議の年であり、翌年には第2次世界大戦が始まります。
 こう考えると、遊びはファシズムとの関連で考えざるをえない面が、相当あるのだという感じで、ネオナチの台頭を念頭におくと、オランダ人の遊び心も、とても興味深いものがあります。
 ドイツの事情をよく知っている人、ドイツ人はあまり遊ばないのでしょうか。
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 次は正月に書いた文章である。今では、日本でもよく知られているが、ヨーロッパでは大晦日で日付が変わると、一斉に花火をあげる習慣がある。かなり本格的な花火もあるために、事故も頻繁に起きる。そして、翌日元旦の朝は、そこら中花火のごみが散乱している。私は、あまり好きになれなかった。
 そして、ここには書かれていないが、この1月1日をもって、EUが成立して、国境検問がなくなった。そのことを、私たち一家はまだよく理解していなかったのだが、数日たって、ドライブに出かけたときに、ドイツ国境までやってきた。もちろん、国境検問所はそのまま残っているが、人がいる様子がない。車は、特に止められることもなく通過している。私たちも大丈夫なのだろうかと思うのだが、誰にも聞くことはできない。国境検問所というのは、日本でいえば、高速道路の料金所に似ているかも知れない。たぶん大丈夫なのではないか、だめだったら引き返せばいい、と考えて、とにかく、通過してみた。そして、少しドイツ国内を運転した上で戻ってきたのだが、ああそういえば、EU成立で国境がなくなったんだと、実感できた瞬間だった。それからは、ちょくちょくドイツに出かけた。あるときは、マウストリヒトを経由してドイツやルクセンブルクを回ってきた。マウストリヒトに一晩泊まったときには、ここでEUの条約が結ばれたのだというので、感慨ひとしおだった。
 
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337/628 GEC01342 WAKEI      オランダ通信12
(19) 93/01/06 05:13
オランダ通信12
 遅ればせながら、新年おめでとうございます。
 今年もよろしく。
 大分時間があいてしまいましたが、またアクセスしていきます。
 オランダでは新年早々運河が凍って、人々はスケ-トを始めました。とにかくオランダという国は、至る所に運河があるので、天然のスケ-ト場がそこら中にあるわけです。ただ非常に不思議なのは、隣の運河どうしで、凍ったり凍らなかったりする場合があることで、人為的にやっているのかも知れませんが。
 因みに、こちらの高速道路ではあまりトラックを見かけないと思っていたら、案の定重い荷物の輸送は運河を使用するそうです。そのため、道路がうるさかったり、またすぐに痛んだりということがありません。
 大晦日では、こちちは花火の習慣があるそうで、12時を期して一斉に、そこら中で花火が上がりはじめました。日本では大きな打ち上げ花火は、通常の人はほとんどしないと思いますが、こちらでは誰でも気軽にやるようです。とにかく1時間以上、そこら中の通りで、花火の競演です。
 一年の内でそういう訳で、元旦が一番通りがきたない日なのだそうです。花火のカスがずっと通りに残っていて、とても清潔な街とは言えなくなりました。
 都市部分ではこれが原因で火災も起きているし、また打ち上げ花火に座って、横にして、まるで大砲のように発火させる若者もいて、(これはテレビの映像)とても危険な要素もあります。テレビでは自動車が燃えている映像が、繰り返し報道されていました。
 こういうところになると、ヨ-ロッパ人のある種の馬鹿騒ぎの習慣には、ついていけない、というより、ついていきたくない気持ちが起きます。
 寝ていると、救急車が2回来ました。
 もちろんだから、こういう騒ぎに対して、とても不快な感情をもっている人々もたくさんいるようです。
 1993年を期して、EC統合が一段と進んだはずですが、我々の日常生活の上では、これといった変化があるわけではありません。頻繁に旅行したり、買いつけをしたりする人々は、そうでもないのでしょうが。
 ヨ-ロッパではとても重要な要素で、しかも結構ことなった制度をもっている場合が、とてもたくさんあります。
 例えば、オランダに来て知ったことの一つに、オランダの医療保険には、障害者条項があるのです。これは、健康な人が何かの原因で障害者になったとき、障害者として特別に必要になる費用をすべて保険から支出するものなのです。
 日本では、治療に必要な部分は健康保険から出るでしょうが、障害者施設に入ったり、また介助者を頼んだりした場合の費用は、保険からは出ないと思います。そうした補助はあるのでしょうが、オランダでは全額でるわけです。
 しかし、これはヨ-ロッパでもオランダだけのようで、(正確には知りませんが)他の国ではありません。
 労働市場が自由化されているので、例えばスペイン人がオランダに来て働き、そこで労働災害で障害者になった場合、その逆の場合など、様々な適用の問題が起きてくると思うのです。
 学校の形態・費用の問題なども起きてくるでしょう。
 こうした具体的な制度が、国家が融合していく過程で、どのように浮き出てくるのか、またとない歴史的実験で、今後数年間、「現代思想フォ-ラム」では、ヨ-ロッパ統合は重要な問題であり続けることでしょう。
 ところで、坂本さんから何度かアクセスの方法を尋ねられていますが、全く単純な電話回線でやっています。これは、オアシスのAUTOCOMでやってみようと、わざわざオアシス405を買ってこちらに来たのです。しかし、あとで考えてみると、AUTOCOMは海外からニフティにアクセスすることは、まったくと言ってよいほど考慮してないので、逆に坂本さんが勧めてくれる方法は、不便なようです。やってみますが。
 完全自動と完全手動しかないような感じで、最近の一般通信ソフトのような「一度アクセスすると、それで自動化できる」というような便利な機能がないわけですね。一般ソフトではないから。マクロは付いているけれども、マクロの解説が一切ないので、自分で適当に組むわけにもいかないし、やはり、海外では98の方がいいか、などと最近思っています。
 それから、AUTOCOMは必ずお知らせをその都度読むようになっていて、これが5分くらいかかり、これで1500円くらい飛んでしまうので、困ってしまい富士通にファックスを入れ、対処方法を聞いたのですが、それでも読んでしまうのです。
 こういうパソコン通信などという国際社会の典型的なメディアが、一歩外国に出ると、ひどい不便を強いられるというようなソフトを、ニフティの本家みたいな富士通が作るんだから、日本ってやはりまだまだ国際化していないのではないか、などと、愚痴めいたことを呟いています。
 まずは新年の挨拶を
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 次は若者の生活のひとつの側面だ。ライデン大学の学生たちと接するようになって気づいたことに、彼等は誰一人として親と同居していないという点だった。日本の大学生は、大学が自宅の近くにあれば、ほとんどの学生は自宅から大学に通っている。つまり、親と同居していることになる。では、なぜオランダの学生は、たとえ大学の側に住んでいたのに、大学生になると親の家を出て、一人暮しを始めるのか。それは、おそらく、社会の暗黙のルールというものなのだろう。聞いたなかで、極端だと思われるものは、18歳を超えて、つまり成人して親と同居していると、家庭的な問題があるのではないかと疑われるというものだ。親子に不健全な関係があるとか、自立させないような精神的な拘束があるとか、そういう噂をたてられる危惧があるというのだが、どこまで本当かはわからない。ただし、ほとんどの若者が18歳になると、親の家を出て自立することは間違いない。実際に、私の娘たちが、オランダ語を教えてもらい、そして、ときどきベビーシッターをしてもらっていた学生がいたのだが、彼女は、ごく近所に母親が住んでいて、普通のオランダ人の住居なので、3階建ての長屋のようなものであり、3階までには4室はあるだろう。その時点では、そこに母親が一人で住んでいた。やはり離婚家庭だったのである。
 オランダでは、高等専門学校も含めて、成人になった学生には給付制の奨学金が全員に支給される。経済状態によって、また進学率の増大によって、額は少しずつ低下していたが、多少のアルバイトをすれば、親にまったく頼らずに生活できるといっていた。もちろん、アルバイトなどはせずに、親に多少の金銭的援助をしてもらっている学生もいる。しかし、いきなりの一人暮しは、なかなか大変なので、同棲する学生が少なくない。しかも、以下の通信に書かれているように、パートナーとして届けることによって、住宅補助を受けられる。すると、二人分の奨学金と住宅補助とで、生活はより楽になるという利点もある。
 
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371/628 GEC01342 WAKEI      オランダ通信27
(19) 93/03/24 06:08
 
オランダ通信27 
 
 今回は、ちょっと変わった題材で、当世結婚事情です。
 オランダでは、非常に離婚が増えているそうです。学生と話をしても、親が離婚しているという例は、少なくありません。
 といっても、大体の雰囲気としては、老人たちはそれほど多くないようです。40代、50代が非常に多いという感じです。何故か、ということと、それに対して、若者たちがどう対処しているか、ということです。
 若者たちは、明確に自分たちの親の世代の離婚をみて、特殊な対処をしているように思われます。それは「試験婚」と言ったらよいでしょうか。
 つまり、好きになったら、結婚するのではなく、まず「同居」します。そして、3年くらい一緒に住むのです。大丈夫やっていける、とお互いに感じれば、結婚する、またそこまで決心がつかなくても、子どもができれば、結婚する、というような慣習ができつつあるようです。したがって、大学生でもこうした「同居」がたくさんあります。(未婚のまま子どもをもつということは、非常に少ないそうです。)
 非常に興味深いことは、少なくとも行政的にこの事実が容認されていることです。行政的な文書には、日本では「配偶者」と書いてある部分には、「配偶者またはパ-トナ-」と書いてあります。パ-トナ-が、結婚していないけれども、一緒に住んでいる者を指すことは間違いありません。私のところに、社会保険の調査書類が来たのですが、「パ-トナ-が都合で外国に行くような場合、あるいは帰国する場合、あなたはどうしますか。一緒に行く・後で行く・残る」というような項目がありました。
 だから、一時的に一緒に住んでいる状態を前提にしたもので、そういう場合でも、きちんと社会保険の対象になるわけです。
 私の感覚では、こちらでは学生は不当に優遇されていて、もし学生同志が「同居」していると、政府から住宅資金の援助があります。私のオランダ語の講義案を見てくれた学生は、通常900ギルダ-の家を、500ギルダ-だけ払っていて、後は政府の援助だ、と言ってました。政府による「同棲の勧め」みたいなもんです。
 はるか昔よんだトマス・モアの「ユ-トピア」に、たしか「試験結婚」なる話が出てきたと思います。結婚する場合は、一年くらい試験期間をおいて、その間、さまざまな面から互いに調べ、確か体を調べるなんていうのもあったのでは。
 オランダの形態は、(他のヨ-ロッパがそうかは知りませんが)まさしく「ユ-トピア」の現代版という感じです。ただ、これで関係がこわれた場合、どちらが多く傷つくかというような話は、まだわかりません。
 何故、40代50代で離婚が急速に増えたのか。
 もちろんそこまでよく分からないのですが、まず説明として出てくるのは、宗教的な束縛が弱くなったということです。
 オランダは、有名な事実ですが、以前は、「柱社会」という宗教的縦割り社会だったのです。つまり、社会のあらゆることがらが、すべて宗派的な組織として揃っていたのだそうです。出産から、学校、社交、新聞等のメディアなど、(企業は違うと思う)宗派ごとにあって、自分の宗派の病院に行き、学校に通い、新聞を取り、娯楽をするということです。オランダは、周知のように、カトリックのスペインから多くの犠牲を払って、新教徒が独立して作った国です。だからカトリックもプロテスタントも両方いる、そこをどのように共存していくか、ということで、「棲み分け」を選択して社会を作ってきたのです。(新教徒が作ったので、新教徒ばかりというのは、私も誤解していたところで、カトリックが支配していたのだから、当然独立してもカトリック教徒はたくさんいるのです。)
 結婚ももちろん同じ宗派の内で、昔は多く行われていました。
 「柱」というのは、この宗派毎の縦割りの組織をいうのです。
 しかし、60年代から、こうした「柱」が急速に解体しはじめたようです。宗派が違っても結婚する、自分の宗派でない学校に子どもを通わせる、教会に行く人の数が急速に減少する、等です。
 オランダは誰でも知っているように、海を埋め立てて作った国です。神は地球を作ったが、オランダはオランダ人が作った、という言葉は、オランダ人のもっとも好むことばの一つです。つまり、人為的な国なのです。だから、日本のような農業社会にある、長い間に形成され、したがって自然なもののように意識される「共同体」はオランダ社会にはなかったのではないか。だから、「共同体」が通常担う社会の紐帯は、宗派的「柱」が担ってきた、それが崩壊して、したがって家庭の紐帯も崩壊して、離婚が増大したと、まず通常考えられているようです。
 しかし、なぜ「柱」が崩壊したか、という原因が、その奥にあるはずで、その原因になると様々な人が、さまざまなことを言います。
 そこはまだ私としては、よく整理できてないので、いずれまた書くことにします。
 それで、若者たちの新しい形態について、大人たちはどう思っているのでしょうか。まだ離婚が多くなかった老人世代、70代の人達は、当然快く思っていないようです。しかし、離婚世代たちは、自分たちの世代の問題があるので、仕方ないことだ、と必要悪のように受け取っているように思われます。
 当人たちは親世代に批判意識があるでしょうから、結婚に対する違う準備として、実験的な営みをしているわけですが、彼らが結婚して、20年たったときに、どうなるか、非常に興味深いものがあります。
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投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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