アメリカという国は、本当に不思議な国だ。確かにネイティブ・アメリカンといわれるひとたちがいるけれども、やはり、今のアメリカ合衆国をつくったのは、主にヨーロッパからの移民であり、更にアジア等も含めた移民たちによって、多様な面を含みつつ、建設されてきた。つまり、中世が存在せず、近代のみがある。そして、これまでの中核がアングロ・サクソンだったとはいえ、実に多様な地域からはいってきたひとたちが、それぞれの文化を価値観を持ち込んでいる。だから、多様性というよりも、むしろ対立した価値観が競争しているようなところがある。
世界でもっとも強力な軍隊をもちながら、第二次大戦後は、ベトナムやアフガニスタンという、弱小にみられる国家に敗れている。ウクライナを支援しながら、ロシアと闘うことを、極度に虞れている。科学捜査が発達しているのに、先進国では圧倒的に犯罪が多い国である。今年は、毎日のように銃乱射事件が起きているようだ。世界ランク上位を独占するほどの優れた大学をもち、多数のノーベル賞を獲得している科学国家であるにもかかわらず、国民の平均的な学力はかならずしも上位ではない。そして、神が本当にいると信じている人が多数を占める宗教国家でもある。民主主義を国是としていたが、長く奴隷が正式に認められていた。
進化論を否定する創造説をかつて、学校で強制し、さすがに進化論を否定できなくなり、創造説が排除されても、事実上の創造説を学校で教えろという強力が運動が存在し、妥協的に取り入れている地域が少なくない。しかも、宗教の時間ではなく、理科である。このような教育情況は、先進国ではアメリカだけだ。エホバの証人のように、自分の子どもが交通事故で輸血手術が必要になっても、輸血は聖書が禁じているという理由で、手術を拒否する親なども、宗教国家アメリカらしい現象だ。
多様性は、寛容な精神が支配している場合には、創造性につながるだろうが、寛容さが失われると、社会的対立に発展しがちである。現在のアメリカは、そうした危険があることを否定できないようだ。トランプ現象と中絶禁止判決が、その社会的対立を押し進めている。
大統領選挙の結果を、あそこまで否定するということ自体、先進国で、民主主義のお手本とまでいわれた国では考えられもしないことだったが、更に、認証手続を行っている国会に大勢が雪崩込み、手続の中心である副大統領に危害を加えようとしたこと、そして、選挙には敗れたとはいえ、その段階で大統領だったトランプが、暴徒を扇動するというのは、リアルタイムで映像をみていたが、本当に信じがたい思いだった。議会職員の機転で、議会会場とは反対の場所に、暴徒たちを向かわせたから、ペンス副大統領は無事だったが、もし、議場に雪崩込んで、ペンスを拉致したら、殺害した可能性もあったらしい。
あのような事態を引き起こした以上、速やかに司法の手に委ねられるのかと思ったが、やっと起訴されるまでになった。裁判は来年だという。しかし、トランプの起訴に対して、トランプの起訴を、民主党支持者7割が賛成、共和党の支持者は8割が反対なのだそうだ。あまりに明確に分断されている。これに拍車をかけているのが、中絶を事実上禁止する判決を最高裁がだしたことで、かつての激しい中絶論争が再燃していることだ。かつては、中絶反対派が、中絶を実行している医師を殺害する事件がなんどかあったし、中絶実行日には、医院の前に賛成派と反対派がおしかけて、緊張したものだ。中絶に反対だからといって、中絶をする医師を殺害するというのは、世界でもっとも発達した経済と科学をもつ国で起こっている事態とは、思えないものだった。この話題は、アメリカのドラマでも多数扱われている。
要するに、人間は神がつくったものであり、受精の瞬間に人間となるのだから、中絶は神が与えた生命を消滅させることであり、神への冒涜であって、決して許されないことである、ということだろう。宗教を信じていない人間にとっては、まったく馬鹿馬鹿しい論理だが、信仰心の強い人にとっては、信念なのだろう。つまり、妥協の余地がない領域なのである。中絶容認派は、皆が中絶を支持せよと主張しているわけではない。中絶せざるをえない人には容認するというだけのことに過ぎない。つまり、寛容の精神である。それに対して、中絶禁止派は、自分と異なる考えを認めない絶対的主張となっている。pro-choice と pro-life という言葉は、まさしく正確に対立している立場の主張を明瞭に反映している。長い間、大きな、かつ激烈な対決点であり、また非和解的な領域であるために、アメリカの分裂を更に拡大する要因となる可能性が高い。