小室圭氏がニューヨークの司法試験に合格したそうだ。とりあえず正式に通知されている。ただ、単純にめでたいことだとはいえないというのも、正直なところだ。本当に正規に合格したのか、あちこちで疑いももたれている。
これまで多額な税金が、小室夫妻に投入されていることは、否定しようのない事実であるといえるが、この合格によって、本当に自立した生活をするようになれば、大いにけっこうだが、そうなるのかは、まだ未知だ。生活費などの援助はなくなるのだろうが、過剰な警備や、家事等を担当する職員の派遣などをやめるのかどうか。彼らや、彼らを取り巻く周囲のひとたちが、相互に利用しあう関係である以上、なんらかの利権が蠢くことになる。
奈良時代の天皇に触れたとき、天皇にふさわしい像が必要だと書いた。率直にいえば、現在の秋篠宮家のひと達は、日本国民の総意に基づく象徴としては、ふさわしくない。自己の地位を、自分達のために活用しているからである。端的にいえば、たかり体質ということだ。
秋篠宮は早く結婚し、今上天皇は結婚すること自体が非常に困難で、かなり遅れた。今上天皇は、「自分から近づいてくる人は選ばない」という原則をしっかり守って、相手を選んでいたという。現代社会においては、皇族・王族はどの国でも結婚相手を見つけることに苦労している。だから、外国に探しにいく王子すらいる。皇族と結婚するような人は、経済的にも社会的に豊かであり、自由を享受している。そういうひと達は、皇族に入って、自由を束縛されることを好まない人が圧倒的に多いからである。
皇族と結婚する人にふさわしい資質は、かなりハードルをあげることになる。
・ふさわしい資質をもっている。(国民から敬愛される)
・皇族にみずからなりたいとは思っていない。少なくとも、その地位を活用して、利益を得ようとは思っていない。
・皇族としての勤めを実行する意思をもつ。
これらは、なかなかひとりがもつことは難しい。だから、なかなか結婚できない王子・王女は、日本の今上天皇だけではないのである。皇后はそうした資質をあわせもつ、希有の人物であると思われる。
秋篠宮自身と長女は、早い時期に結婚を決めている。それは、自ら近づいてきた人を相手として選んだからである。したがって、秋篠宮家の現在の様々な問題は、起こるべくして起こったのであり、そうした可能性は、秋篠宮結婚当時から既に指摘されていた。自ら近づく人は、全部の人が絶対にそうであるとはいわないが、多くは、不自由を受けても、皇室に入ることによって受ける利益を求めている。紀子妃の新住まいへの要求や悠仁親王の進学に際しての行動などをみれば、皇室特権の乱用であることは明らかだ。そして、当人のみに、皇室特権が与えられるのであればまだしも、当人を取り巻く人々が、そこから派生する利権を求めて集まってくる。小室夫妻の結婚が、あれだけ批判されたにもかかわらず、結婚と結婚生活を援助するひとたちが、たくさんいたのは、そこから甘い汁を吸えるからに他ならない。一般人であるはずの小室圭氏がいかに多くの、そして国民の目からみると不当な「待遇」をえているか、一目瞭然である。そういう地位を得たことについて、前にも書いたように、小室氏を非難するつもりはない。非難されるべきは、そのように支えることで甘い汁をえているひとたちや、税金を使うことに歯止めをかけない役人たちである。他人に不当な利益を拡大させているとすれば、その限りで小室氏も批判されるべきだ。
王族に限らず、組織が、たかり体質の人々の巣窟になってしまうことは、組織そのものの没落をもたらすことは、歴史が明らかにしている。
人物として、秋篠宮家の人々は、皇位を継承するのにふさわしいだろうか。伝えられる秋篠宮の精神状況はさておき、悠仁親王をめぐる一連の不祥事をみれば、結論は明らかである。作文コンクールの不正引用と学力を無視した高校入学のあり方。そもそも、皇室のメンバーが一般のコンクールに出品すること自体が、はき違えそのものだが、そこに著作権法に反する文章というのでは、外国王室が呆れているのも当然だろう。当然のことだが、筑附での成績はきわめて芳しくないらしく、とてもついていけないので、別の学校に変わりたいという意向を漏らしているとか。この進学に関する母親の勘違いは、どう理解したらいいのか。地位を自分たちために、遠慮なく利用しつくす。時代錯誤も甚だしい。
このまま、皇統が秋篠宮家に移ったときには、日本の天皇制は乗りこえることが困難な危機に陥るに違いない。