坂本竜馬記念館

 昨日は奈良を早めに出発して、高知県に移動した。途中大阪の高速道路は、首都高と同じで、必ず渋滞が発生する。それが、今回は神戸のほうまで渋滞が延びて、かなり時間がかかってしまった。神戸は山と海岸線がそれほど離れておらず、さくこんの高速道路が必要だとも思えないのだが、既存の名神や中国自動車道以外にも、神戸を走る高速が複数あるのに、すごく混んでいる。高速を大都市の市街地中心にまで建設するのは、やめたほうがいいのではないかと、改めて思った。
 ふたつの大橋を経て、淡路島から四国に至り、そのあとは、高速道路といっても、片側一車線の対面交通が多く、あまり高速道路を運転している感じではなかった。ただ、四国の山地には、本当に森林がずっと続いており、日本は森林の多い国であることを実感させてくれる。

 かなり早く奈良のホテルを出たにもかかわらず、高知についたのは4時近くになり、高知にいくなら、とりあえず坂本龍馬の記念館を見ようという計画だったので、急ぎ記念館に。閉館が5時なので、実質1時間未満の見学だったが、だいたいは見ることができた。
 
 
                                                                                     坂本竜馬記念館から見た土佐湾
 
 全体を見終わっての感想は、かなりがっかりしたというのが正直なところだ。坂本龍馬は、近年評価が分かれている人物だ。一介の脱藩浪士が、なぜ、海援隊など、かなり資金を必要な事業が可能になったのか、竜馬を暗殺したのはどういう勢力なのか、薩長同盟は、本当に竜馬が押し進めたものなのか、等々。他の記念館でも感じることだが、こうした歴史上の論争点については、ほとんど触れるところがない。中学生や、ほとんど知識のない一般のひとたちには、基本的な教養を得られるという点でいいのだろうが、多少なりとも読書をして、より深い知識を得たいと思っている見学者に、満足するような展示物を提供している記念館は、私はまだ出会ったことがないように思う。残念ながら、ここもそうだった。そもそも、歴史的な大事業をなし遂げて、名を残した人が、単純な理解ですむはずがない。大きな矛盾や対立点を潜って実績を残したのだから、そこには、複雑で、不可解ともいえる事情があるはずであり、それをどのように対処し、また対処できなかったのか、その背景にある関係などを、なるほどそういう事情があったのかと、理解を進めることができたら、どのような見学者も満足するに違いない。時間が短かったせいかも知れないということは、断っておきたいが。
 ただ、竜馬が書いた手紙が多数展示され、現物、みやすく楷書体にしたもの、そして現代誤訳が添えられているので、手紙をつかって、人脈を広げたとされる竜馬の、具体的な手紙については、とても興味深いものがあった。
 
 残念ながら、竜馬記念館にはたいした印象が残らなかったが、泊まったホテルは少々変わっていた。かなり新しい高知市内のホテルだが、3階~6階が通常のビジネスホテルで、8階がマンションになっている。そして、7階に宿泊したのだが、実はマンションと同じ造りになっている。だから、少々狭いが、夫婦と子ども二人が、若いときには生活できるような設備と部屋割りになっている。こんなホテルにこれまで泊まったことがない。邪推するくせがついている私には、7階もマンションとして売り出したのに、買い手がつかなかったので、とりあえずホテルの客室にしているのではないかと思われた。買い手がついたら、客室からマンションの一戸になるのではないかとも。
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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